漢文を音読しょうNO,22
                                               
 
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一)韓国の正しい歴史認識 --- 音声にて読み上げ 
             
この日韓歴史認識について検証してみよう。
 
100年余前に日清戦争後下関条和協約において
 
日本と清国(現中国)間において
 
第一条 朝鮮の独立の承認(朝鮮の朝貢や属国としての典礼の廃止)
 
    締結をしている。
 
それ以前は朝鮮(韓国、北朝鮮)は事大主義ー大国に事(つか)えること。
 
1000年間従属主義に徹してきていた。従い主権を持っておらず、国内の

 
諸事変更であっても清国に許可を得ていたのであります。

 
その時代はの世界は群雄割拠にあって露、仏、独、伊、英、米、オーストリア、
 
 
 
日本が中国、清時代に連合国として駐留していたのであります。

 
朝鮮がたよりにしていた清国であっても内乱が絶えないために連合国8国が常駐

 
していた時代であります。

 
朝鮮の独立を申告し保護しなければどこかが占領しに来ること必定な時代であった。

 
その朝鮮は中国の属国であり、主国の清が8か国に駐留されているのであれば次に

 
起こることは朝鮮の取り合いとなることは時間の問題であった。
 
 
その時代は李氏が支配していた朝鮮は他国から国家として認可されておらず、
 
 
ダレ神父の「朝鮮事情」の資料によると国として形はなくどの道路にも死体が
 
 
転がっていて国家としての体を成していなかった。

 
1910年日韓合邦国家にして大韓帝国(国名を変更)として世界に認可させたので
 
あります。

 
その時の大韓帝国は財政上破産寸前でありました。

 
36年間日本が6000キロに及ぶ鉄道網の建設、水力発電の建設、農政改革、大韓帝国を
 
 
民主国家に仕上げたのであります。
 
 
1945年の日本の太平洋戦争敗戦まで統治が続いたのであります。

 
その後韓国は漢字を廃止してしまい、過去の歴史を国民に不明にしたのであります。

 
学者が韓国の真実な歴史を発表するとその学者、内容を隠蔽することがたびたび
 
 
起こり反日の内容があると尾鰭をつけた内容が事実として歴史を歪曲しています。
 
 
従軍慰安婦問題にしても1000年間中国に貢女の献上は毎年行われていた歴史があり

 
職業売春婦がすすんで応募してきたのであります。

 
現在でも日本には5万人が風俗嬢として来日しており、世界にも他数万人が中国、

 
オーストラリア、台湾、アメリカ等に働いております。

 
韓国内では売春廃止して外国に追い出しております。
 
 
アメリカ、中国に従軍慰安婦の像を勧めておりますがその像が韓国の貢女文化、
 
 
歴史を宣伝しております。

 
現在の十万余人の世界へ働かせている風俗嬢は将来は世界の国々が強制連行して
 
 
働かせたと発表するようになるでしょう。

 
現在の事実を嘘という隠蔽態度、体質が歴史認識を曲解しているのであります。

 
漢字を読めない国民に益々馬鹿になるように教育、歴史を教えて学者が真実を発表
 
 
すればその学者を貶める体質は歴史認識を不明にしています。

 
日本との外交を無視して中国に従属していく様子は1000年従属国家、事大主義で
 
 
あった19世紀以前に歴史を巻き戻したように感じます。
 
 
日本の葉隠れ武士道の教えにあるように其の国家の国学の正しい歴史を知ることから
 
良き国家に指針を与える条件であります。

 
独りの人間であったならば過去の自らの行状を忘却して嘘で飾り、謝らない、感謝
 
 
しない人間がどのような人生を辿るでしょうか。

 
韓国の歴史認識とは国民の愚かさを国家は期待し、邁進しております。
 
 
漢字を読めない国民、大統領以下政治家は文盲、目明き盲で韓国の21世紀を
 
 
迷走させています。

 
参考文献;韓国は日本がつくった 黄 文雄 ワック出版

     韓国併合の道     呉 善花 文藝春秋
 
 

二) 百人一首を素読しよう。

 

       素読音声11〜20

 

11、わたの原 八十島かけて 漕ぎ出でぬと
 
   人には告げよ 海人の釣船
 
                 参議 篁

12、天つ風 雲の通ひ路 吹き閉ぢよ
 
   をとめの姿 しばしとどめむ

                  僧正遍昭
 
13、筑波嶺の 峰より落つる 男女川
 
   恋ぞつもりて 淵となりぬる
 
                   陽成院
 
14、陸奥の しのぶもぢずり 誰ゆゑに
 
   乱れそめにし われならなくに 
 
                    河原左大臣
 
15、君がため 春の野に出でて 若菜つむ
 
   わが衣手に 雪は降りつつ
 
                     光孝天皇
 
16、たち別れ いなばの山の 峰に生ふる
 
   まつとし聞かば いま帰り来む
 
                     中納言行平
 
17、ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川
 
   からくれなゐに 水くくるとは
 
                     在原業平朝臣
 
18、住の江の 岸に寄る波 よるさへや
 
   夢の通いひ路 人目よくらむ
 
                     藤原敏行朝臣
 
19、難波潟 みじかき芦の ふしの間(ま)も
 
   逢はでこの世を 過ぐしてよとや  
                     伊勢
 
20、わびぬれば 今はた同じ 難波なる
 
   みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
 
                    元良親王

 

 

 

 
三)葉隠れ武士道
 
    
 佐賀鍋島藩士
 山本常朝(つねとも)口述から田代陣基(つらもと)聞書きー葉隠
 (1659〜1719)       (1678〜1748)
 
        音声にて読み上げ
 
我が知恵一分(いちぶ)の知恵ばかりにて万事をなす故、
 
私となり天道に背き悪事となるなり。
 
脇より見たる所、きたなく、手よわく、せまく、はたらかざるなり。
 
真の知恵にかなひがたき時は、知恵ある人に談合するがよし。
 
その人は我が上にてこれなき故、私なく有体の知恵にて了簡する時
 
道に叶うものなり。
 
脇より見るとき、根づよく確かに見ゆるなり。
 
たとえば大木の根多きが如し。
 
一人の知恵は突っ立ちたる木の如し。 ( 葉隠 1−5)  
 
  



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