漢文を音読しょうNO,29
 

                                                              

 
 目次ページ  前ページ  次ページ
 
 
(一)潜在意識において自他は一体である。
      
          読み上げAITALKせいじ<<クリック
 
潜在意識は
 
○自分と他人とは区別できないという原理があります。
 
○過去、現在、未来という三時相がありますが潜在意識は
 
  その三時相は判別できない原理です。

 
潜在意識は私と他人を区別できない、すなわち文法でいえば主語不要の意識です。
 
人間は  表面に   顕在意識
     其の奥に  潜在意識 
     その又奥に 共通意識(宇宙意識)を持っています。
 
共通意識(宇宙意識)は
 
この地球上の動植物、生き物、人間すべては共通無意識を共有して使用しています。
 
現代科学、心理学はここまで究明されています。
 
共通意識において地球生物は根っこはすべて同根であります。
 
潜在意識の2つの原理から日本歴史上で下記の繰り返しが出現しています。
 
800年間歴史、政治の場の共鳴

○ 鎌倉時代  1185-1333
 
  
      15人の将軍
 
○	室町時代   1336-1573

 
        15人の将軍
 
○	江戸時代   1603-1868
 
        15人の将軍
この三時代、歴史の共鳴は1代目、3代目、8代目が目立つ仕事をしています。

そしてすべて15代目の将軍で終了しています。

鎌倉時代  1代目北条時政、3代目泰時、8代目時宗

室町時代  1代目足利尊氏、3代目義満、8代目善政 

江戸時代  1代目徳川家康、3代目家光、8代目吉宗

その他の12人の将軍は政治能力が無かったことです。

それぞれ三時代が15名の将軍という同数

歴史的に場の共鳴が起こっています。

現在においても15人の首相の中で12人は1年以内で、統率力の

無い人間が出現しています。

江戸時代以前から ー400年前の関が原の合戦

          150年前の明治維新

           70年前の太平洋戦争 
    
歴史的の精神的共鳴で何らかで連携しているのです。
 
例えば関が原では徳川東軍が勝ち
 
 明治維新では西軍が勝ち(関が原で負けた薩摩、長州が中心となった新政府)
 
 日露戦争、日清戦争に勝ち
 
 世界を相手にして太平洋戦争をして敗戦
 
(日本はアメリカに負けたことが70年間戦争を回避し平和を満喫できたのです。
 
勝ったアメリカはその間に朝鮮戦争、ベトナム戦争、キューバ危機、
 
9.11、イラク戦争2回、アフガニスタン戦争を行ったのです)
 
1941年資本主義、民主主義の日本はアメリカから石油を7割輸入していた。
 
アメリカは日本に石油輸出禁止を宣言して追い詰めたことが共産主義を拡大する
 
ことにつながりこの70年間多くの共産主義との戦いに明け暮れたのです。
 
アメリカは民主主義、日本に勝ったことが多くの戦争を招き寄せたのです

ーーーーーーー
日本は世界との経済戦争に1980年には勝利してアメリカのバブル崩壊に追い込む。

 
 続いて日本がバブル崩壊して15年間の経済低迷。
 
 いざ次に起こることは平和、経済成長を建設が待っています。
 
低迷、破壊ー成長、経済隆盛と二つの波が繰り返すのです。
 
大きな破壊、低迷があれば大きな成長、建設の波が押し寄せるのです。
 
其の時気を付けなければならないことは、自他は一体、世界は一体であることです。
 
他国を貶める言動があれば、自国に及ぶことに繋がります。
 
参考文献: こうして未来は形成される 喰代栄一Eiichi Hojiro サンマーク出版
 
 
 
 
(二)古事記を素読しよう。
  
   古事記  712年成立 天武天皇の命により
 
   稗田阿礼口述ーー太安万侶が編纂
 
 
 
         素読AITALKかほ<<クリック
 
淤能碁呂島
 
ここに天つ神 諸の命もちて、伊邪那岐命・伊邪那美命二柱の神に、
 
「このただよえる国を修め理り固め成せ」と詔りて、天の沼矛を賜いて、
 
言依さしたまいき。
 
かれ、二柱の神天の浮橋に立たして、その沼矛を指し下ろして画きたまえば、
 
塩こをろこをろに画き鳴して引き上げたまふ時、その矛の末より垂り落つる塩、
 
累なり積もりて島と成りき。これ淤能碁呂島なり。
 
その島に天降りまして、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき。
 
ここにその妹伊邪那美命に問ひて、「汝が身は如何にか成れる」
 
と曰りたまえば、「吾が身は成り成りて、成り合はざる処一処あり」と答えたまひき。

ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は成り成りて、成り余れる処一処あり。
 
かれ、この吾がみの成り余れる処をもちて、汝が身の成り合わざる処にさし塞ぎて、
 
国土を生み成さむとおもふ。 生むこといかに」とのりたまへば、伊邪那美命、
 
「然善けむ」と答えたまひき。
ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「然らば吾と汝とこの天の御柱を行き廻り逢いて
 
みとのまぐはひせむ」とのりたまひき。
 
かく期りてすなはち、「汝は右より廻り逢へ。我は左より廻り逢はむ」と詔りたまひ、
 
約り竟えて廻る時、伊邪那美命先に「あなにやし、えをとこを」と言い、
 
後に伊邪那岐命、「あなにやし、え をとめを」と言い、各言い竟えし後、その妹に
 
告げて、「女人先に言えるは良からず」と曰りたまいき。
 
然れどもくみどに興して、子水蛭子を生みき。
 
この子は葦船に入れて流し去てき。次に淡島を生みき。こも子の例には入らず。
 
語訳
 
成り合はざる処一処あり:女性の聖器
 
成り余れる処一処あり:男性の聖器
 
まぐはひー夫婦の契りを結ぶ
 
      参考文献 古事記 次田真幸全訳 講談社
 
 
(三)日本外史を素読しよう。
 
日本外史新釈  頼山陽著 頼一成訳
 
       素読AITALKのぞみ<<クリック
 
秀吉既に南海・北陸を定め、以為へらく、我れ已に徳川氏左右の臂(ひじ)を奪うと。
 
景勝を唆して之を脅さしむ。
 
其の国又内訌あり。是の時に於いて、家康と和せば、和必ず成り、家康必ず来たらん。
 
天下復図るに足る者なしと。
 
乃ち信雄と議し、羽柴勝雅・土方雄久をして来たって、和を議せしむ。
 
使者を戒めて曰く「徳川は数正の故を以て、意必ず不平ならん。
 
汝が輩善く之に処せよ」と
 
二使、岡崎に来たり、辞卑うし礼を厚うし、秀吉・信雄の意を陳べ、参議の京師に
 
入覲するを請う。
 
 参議、面諭して曰く「長湫の獲は皆秀吉の愛重する所。
 
其の我に甘心せんと欲する久し。

 
 吾れ敢えて往かず。旗相見るに至っては、敢えて努力せざらんや」と。
 
ニ使乃ち去る。
 
 或ひと諫めて曰く「主公往かずは則ち次郎将に免れざらんす」と。
 
 参議曰く「羽柴秀康、其の父の殺す所と為る。我れ何ぞ與からんや」と。

 
 遠近傳言す。秀吉・大挙して東下すと。
 
 参議乃ち守備を修め、群臣に問うて曰く
 
「岡崎は我が墳墓の地なり。而して敵の衝に當る。
 
 誰か守らしむべき者ぞ」と本多正信曰く
 
「緩急能く妻児を手刄し、城を枕にして死する者にして而る後可なり」と。
 
 参議曰く「作左衛門は其の人なり」と。
 
 乃ち精兵数百を以て本多重次に属し、
 
 往いて之を守らしむ。
 
 重次、辞して去る。意色甚だ決す。
 
 参議乃ち其の子成重をして封を襲がしめんと約し、給するに手書を以てす。

         参考文献 日本外史 弘道館

 

inserted by FC2 system