漢文を音読しょうNO,39

                                                              

 
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(一)古典から経済、政治の理解
 
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なぜ毎回初めに経済、政治を記しているのかを釈明すると
 
人間の言動考えは2000年ぐらいでは余り変化がないことが解るの
 
であります。
 
例をあげると
 
チャイナ の現在の共産党首が人民のデモ鎮圧に、経済停滞に、環境汚染に
 
対処に行き詰まっています。
 
この国家としての運営法は東洋、西洋の古典、近現代史の中に類例が多く
 
記されています。
 
どのような対処をしてどのように失敗したかが歴史に記されています。
 
古典だけでなく近現代史に結果として残っています。
 
学校で学ぶ 歴史、古典、近現代史においては互いの歴史に難癖をつけ、
 
改竄して作成されているために真実は隠蔽されています。
 
勝利者の意見だけが反映されて真実は消却しています。
 
そして20世紀の近現代史は教科書には歪曲されて真実は完全に消滅して
 
います。
 
チャイナは繁体語から簡体語を使用するようになりました。
 
韓国は漢字が消えてハングル語だけになりました。
 
従って50年前の新聞、歴史は 両国共に大部分の国民は読めないのです。
 
これは故意に解らなくしたのであってその手法によって国内の人々に歴史を不明
 
にしたのです。
 
この手法が歴史改竄を容易にして人民を無知にして、技術、文化、すべての学習を
 
困難にしたのです。
 
50年前の学習、技術、文化は切り捨てられて継続されていた技術の進歩が阻害
 
されて向上できなくなったのであります。
 
従って歴史認識が全く不明な両国が日本に対して歴史認識を正視すべきと言う
 
政治家が吠えているのです。
 
歴史、文化、技術の継続ができないことは国家としての独自の文化が無くなる
 
だけでなく国民を無知、愚民になってしまったことになります。
 
限定な焚書でなくあらゆる知識、技術の焚書に等しい断行であります。
 
例えば日本が漢字を無くしてーーひらがな言語だけにされた場合は
 
20年後は技術の進歩、向上は阻止されて難解な技術は文書から
 
学ぶことはできないために過去の優秀な技術は自分で考え出さなければ
 
ならなくなります。
 
又難解な文書は読めても解釈できない人間は多くなります。
 
常に簡易な、言語を使用するようになり頭脳が衰えてきます。
 
 
 
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読む本は現代の易しい本だけを読むことになり、難しい技術、心理的な
 
ことが文章、言葉でも表現できなくなって精神的な、抽象的表現が出来なく
 
なって技術、文化が完全に衰退していきます。
 
チャイナ、韓国が自然科学のノーベル賞がゼロなのはこの言語の簡略化
 
がすべての原因であろうと想像されるのであります。
 
精神的、抽象的表現が出来ないことは言動でも顕現されてきて両国の首席
 
、大統領であっても考えが浅く、言動、施策が可笑しな行動をとっています。
 
生活関連の言動にしても両国の国民は政治の奴隷となった言動をとっています。
 
対馬の仏像を盗み、大統領の告げ口外交、その後の処置−−韓国
 
反日暴動、略奪、焼き討ち、ー尖閣諸島への船、飛行機の航行違反など−−チャイナ
 
頭脳が過去に囚われて100年前の歴史だけを見て国家を運営しております。
 
現代に生きて、現存する首席、大統領でなく100年前に身を置きながら考えて
 
います。
 
100年前のチャイナ、韓国を唱えていながら両国の主席、大統領は当時の自国を知
 
らないのです。
 
清朝のチャイナは国家ではなく西洋7国、日本に守護されて人民が生活できていた時代
 
であり、李氏朝鮮は2500名の日本軍人が国を守り、物々交換の暮らしをして
 
国独自の金銭はなかった時代です。
 
それだけ両国は軍事的に弱く、基本的生活が出鱈目な国であったのです。
 
その1900年前後の国家を理想としていること自体が両首脳の目指す国造りが
 
世界最貧国を基礎造りを創造しているのです。
 
3年〜4年でその結果が顕現されてきます、瓦解する目前であります。
 
 
(二)修身書を素読しよう。
 
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 産業を興せーー(上杉鷹山について)
 
    尋常小学修身書 巻5 文部省  昭和3年発行
 
鷹山は人民の難儀を救うために、倹約を勧めた上になほ産業を
 
興して領内を富まそうとはかりました。
 
荒地を開いて農業をいとなもうとする者には農具料
 
・種籾などを与え、三年の間、租税を免じました。
 
又命令を出して村々に馬を飼わせたり、馬の市場を開かせたり
 
などして農業を盛んにするたすけとしました。
 
鷹山は又養蚕を勧めました。領内には、貧しくて桑を植えることの
 
出来ない者が多かったので、自分の衣食の費用の中から年々五十両
 
づつを出して桑の苗木を買い上げて分けてやり、又は桑を植える者に
 
貸し付けてやって其の業を励ましました。
 
なほ鷹山は奥向きで蚕を飼わせ、その糸で絹や紬を織らせました。
 
又領内の女子に職業を授けるために、越後から機織の上手な者を
 
やとい入れて、其の方法を教えさせました。
 
これが世に名高い米沢織のはじめであります。
 
なせばなる なさねばならぬ何事も
 
      ならぬは ひとのなさぬなりけり    上杉鷹山
 
 
(三)陰隲録(いんしつろく)を素読しよう。
 
 著者 袁了凡(えんりょうはん)
 
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志ある者は富貴を得る
 
吉に趨き凶を避くるは、断然我による。
 
 我をして心を存し行いを制し、
 
 毫も罪を天地鬼神に得ずして心を虚にし
 
己を屈し、天地鬼神をして時時我を憐まし
 
 めしむるを須(ま)って、まさに纔かに福を
 
受くるの基あり。
 
 古語にいふ、「功名に志ある者は、必ず功名を得、
 
 富貴に志ある者は、必ず富貴を得」と。
 
人の志ある、樹の根あるがごとし。
 
すなわち三軍も奪うべからざる者なり。
 
この志を立て定め、すべからく念念謙虚に
 
塵塵方便し、自然に天地を感動して、命を
 
造すこと我によるべし。
 
いまの科第に登るを求むる者は、初より
 
 いまだかつて真志あらず、一時の意興に
 
過ぎざるのみ。
 
 興到ればすなわち求め、興たけなわなれば
 
 すなわち止む。
 

      
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