漢文を音読しょうNO,40

                                                              

 
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(一)古典、近現代史と現実生活の連携
 
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勉学、学習に優秀な人たちが実社会に出て必ずしもその学習が生か
 
されない場合が多い。
 
この原因こそ勉学のみで社会の動きに関心を示さずに学道一筋の
 
真面目人間であったことです。
 
勉学と社会との繋がりが頭脳内で連携されていないのです。
 
 学生は勉学だけで社会学習は卒業してから学べば良いという考えが
 
勤めるようになってから無能力な人材になっているのであります。
 
読書しない、新聞を読まない、選挙には関心を示さない人間が会社
 
勤め又は独立して学校においての学習が活かされない仕事をするように
 
なるのであります。
 
学生時代から周囲を見渡し、学外の読書、新聞を読み、選挙の時は候補者
 
をよく観察して研究することで勉学と社会との繋がった学生生活を過ごす
 
ことが人間関係良好な世渡りができるようになるのです。
 
勉学一筋で東大であれ、京大であっても、一流大学卒業の人間が社会に出て
 
有能な人材が見受けないのは唯学歴優秀のみで社会に出ては唯の人に終わって
 
 います。
 
 東大卒業でこの100年一流の会社創業社長は一人も出ていないそうであります。
 
 小学校、中学校まで、高校までの学歴で大会社創業社長は多く生まれています。
 
しかしながら学歴優秀、一流大学出身の大会社社長、首相は多く輩出しています
 
が順番がきて出世しただけで業績は何も目立つことはしていません。
 
学歴は小学卒、中学卒だけでのし上がった松下幸之助、田中角栄首相のように
 
学歴のない人間のほうが多く社会に貢献している人が多いのです。
 
これは学歴あるものは左脳人間であり、学歴のない人間は右脳人間であり発想力、
 
考察力が優秀なのであります。
 
 一流大学出身で公務員となり、有名会社、政治家を勤めた人間が泡沫経済を過ぎた
 
1990年代から現在に至る時上層部となり唯その役に留まっただけの無能力ぶり
 
が日本の失われた20年を生んだのであります。
 
 年齢序列、順番で公務員の最高役職になり、順番に大会社、社長になり順番で首相
 
を1年づつ職に留まった結果が現在の20年間GDP停滞を続けたのであります。
 
 左脳人間優秀者は現状、表面をみることは出来ても時間を過去、未来に動かし創造
 
することができないことが欠点であります。
 
これは左脳の現状にこだわり、理性、面子にこだわり馬鹿になり切れないところに
 
問題があります。
 
従って映像力、発想力が乏しいために思い切った行動力が持てないのであります。
 
学生にしろ、社会人であっても大切なことは現代の世相を良く知るための知識、情報
 
を常に入れて置く努力をしながら勉学又は仕事をすることであります。
 
 過去思考だけ、未来思考だけで現在を世渡りするので無く、現代に身を置き現在
 
の知識、情報を入れながら未来の目標映像を描きながら邁進し努力するべきです。
 
 
(二)五輪の書を音読しよう。
 
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○心をいずこにおこうぞ
 
  五輪の書   宮本武蔵
 
心を何処に置こうぞ、敵の身の働きに心を置けば、敵の身の働きに心を取らるるなり。
 
敵の太刀に心を置けば敵の太刀に心を取らるるなり。
 
敵を切らんと思う所に心を置けば、敵を切らんと思う所に心を取らるるなり。
 
我太刀に心を置けば、我が太刀に心を取らるるなり。
 
我切られじと思う所に心を置けば、切られじと思う所に心を取らるるなり。
 
人の構えに心を置けば、人の構えに心を取らるるなり。兎角心の置き所はないと言う。
 
 
 
或る人問う。我心を兎角余所へやれば心の行く処に志 取り止めて敵に負けるほどに
 
我が心を臍の下に押し込めて余所にやらずして、敵の働きにより転化せよと云う。
 
尤も左もあるべき事なり。
 
然れども仏法の向上の段より見れば、臍の下に押し込めて余所へやらぬと云うは
 
段が卑し、向上にあらず。
 
修行稽古の時の位なり、敬の字の心持なり。
 
又は孟子の放心を求めよと云いたる位なり。上りたる向上の段にてはなし、
 
敬の字の心持なり。
 
放心の事は別書に記し進じ御覧有る可く候。
 
臍の下に押し込んで余所へやるまじきとすれば、やるまじと思う心に
 
心をとられて、先の用かけ殊の外不自由になるなり。
 
我答えて曰く、何処にも置かねば我が身に一ぱい行きわたりて全体に
 
延びひろごりてある程に、手の入る時は手の用を叶え、足の入る時は
 
足の用を叶え、目の入る時は眼の用を叶え、其の入る所々に行き渡りて
 
ある程に、其の入る所々の用を叶うるなり。
 
万一、もし一所に定めて心を置くならば、一所に取られて用は欠く可きなり。
 
 
思案すれば思案に取らるる程に、思案をも分別をも残さず、心をば総身に
 
捨て置き所々に止めずして其の所々に在りて用をば外さず叶うべし。

       参考文献 武道秘伝書 吉田豊編 徳間書店

      
  
(三)修身書を素読しよう
 
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自信
 
吉田松陰は長門のひとであります。
 
十一歳の時、始めて藩主に召出されて兵書の講釈をいひつけられました。
 
家のひとたちはいろいろと氣づかったが、松陰は藩主の前に進み出て
 
大ぜいの家来の列んでいる中で、少しも臆せず、自分の知っている通り
 
はっきりと講釈したので、藩主をはじめ皆大そう関心しました。
 
松陰は外国の事情がわかるにつれて、我が国を外国に劣らないように
 
するには、全国の人に尊王愛国の精神を強く吹込こまなければならないと、
 
かたく信じて一身をささげて此の事に尽くそうと決心しました。
 
二十七歳の時、郷里の松本村に松下村塾を開いて、弟子たちに内外の事情を
 
説き一生けんめいに尊王愛国の精神を養うことにつとめました。
 
松陰は至誠を以って人を教えればどんな人でも動かされない者はないと、深く
 
信じて松本村は片田舎ではあるが、此の塾からきっと御国の柱となるような人が
 
出ると言って弟子たちを励ましました。
 
松陰が松下村塾を開いていたのは、僅かに二年半であったが、はたして其の
 
弟子の中からりっぱな人物が出て、御国の為に大功をたてました。
 
   身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも

          留め置かまし大和魂   吉田松陰
 
 参考文献   尋常小学校修身書 巻五  文部省  昭和3年版
 
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