漢文を音読しょうNO,41

                                                              

 
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(一)日本現代の問題点
     
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2014年の新年を25日後に迎える時期となりました。
 
又その31年後は
 
大東亜戦争を経て早や2045年には100年となります。
 
この69年間平和を満喫した時代であった。
 
他国と小さな諍いはあったものの平安な日々を過ごした歓楽な時代といって
 
いいだろう。
 
永く平安な日々が続けば必ず苦楽の日々が周囲から忍び寄ってくるのが世の
 
常であります。
 
それは平和ボケから内部から崩壊の足音が響いてくるのであります。
 
 日本の平和ボケから精神が乱れて心身ともに崩れてくるのであります。
 
 現在日本において国会で特定秘密保護法案を可決するかを議論されています、
 
これは陽的に考えるとあちらこちらで又国会前にて絶叫音声を繰り出した争動
 
に発展しています。
 
これは陰的見方から異見を記すと日本の平和を愛する平和ボケの人たちが反対
 
している言動であります。
 
 世界から見ると日本は諜報活動をしても罪にならない諜報天国で秘密を漏洩
 
しても聞き出しても罪を問えない国家になっています。
 
このような国家は敵国からは与し易く沖縄地区は中国の工作員が犇めいています。
 
 又東京近辺は北朝鮮の工作員、在日韓国 国会議員が髑髏を巻いて日々闊歩しています。
 
日本の将来は国民自身が平和ボケから脱却して周囲に気を配り、未来を創造する時期
 
にきています。
 
◎陰陽について
 
陽的見方とはー現在だけを見る、主観的、短期的、表面的見方
 
陰的見方とはー将来を見据えた考え方、客観的、長期的、多面的見方
 
 
(二)武士道初心集を音読しよう。
 
 武士道初心集  大道寺友山
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武士たらん者は行住坐臥二六時中勝負の氣を忘れず心におくを以肝要とは仕る
 
にて候。 本朝の義は異国にかわりいか程軽き町人百姓職人体の者なりとも似合相
 
応にさび脇指の一腰づつも相嗜み罷り在る候義は是日本武国の民の風俗にして
 
万代不易の神道也。
 
然りといへども三民の輩の義は武を家業と不仕候。
 
武門においてはたとひ末々の小者中間夫あらし子の類ひ至る迄常に脇指をはなしては
 
ならぬ作法に定まる也。
 
況や侍以上の輩としては即事が間も腰に刃物を絶しては罷り成ざるごとく在之。
 
去に依て心懸深き武士は常々湯をあび申所に迄も刃びき刀或いは木刀などを用意
 
致して差し置き候とあるも勝負の氣を心掛け置きが故也。
 
我が家内にてさへも其の心掛け有之上はましてや私宅をはなれて他所へ罷り越しには
 
往還の道すがら其の行たる先に於いても氣違い酒狂人又はいか様の馬鹿者に出合いて
 
不慮の仕合に及ぶ如くの義も有り間敷きにあらずとの心懸はなくて不叶候。
 
古人の詞にも門を出るより敵を見るがごとくなど在之候。其の身武士として腰に
 
刀剣を帯びるからは即事の間も勝負の氣を忘べき様は無之。
 
勝負の氣を忘れざる時はおのづから死を心にあつるの實にも相叶う也。
 
腰に刀剣をさしはさむといへ共勝負の氣を常に心に置かざる侍は武士の皮をかぶり
 
たる町人は百姓に少も相替る義無之様子也。
 
初心の武士心得の為仍って如件
 
参考文献  武士道初心集  大道寺友山ー古川 薫訳 PHP研究所
 

      
  
(三)五輪の書を音読しよう。
 
  宮本武蔵著  五輪の書
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○一方に置かねば十方にあるぞ
 
心を一所に置けば偏に落つるというなり。
 
偏とは一方に片付けたる事を云うなり。
 
正とは何処へも行き渡つたる事なり。
 
正心とは総身へ心を伸びて一方へ付かぬを云うなり。
 
心の一処に片付きて一方欠けるを偏心と申すなり。
 
偏を嫌い申し候。 万事に堅まりたるは偏に落つるとて
 
道の嫌い申す事なり。
 
何処に置こうとて思いなければ心は全体にのびひろごりて
 
行き渡りて有るものなり。
 
心をば何処にも置かずして、敵の働きによりて当座々々
 
心を其の処にて用心す可き歟。
 
総身に渡ってあれば、手の入る手にある心を遣うべし。
 
足の入る時には足にある心を遣うべし。
 
一所に定めて置きたらば、其の置きたる所より引き出し遣らん
 
とする程に、其の処に止まりて用が抜け申し候。
 
心を繋ぎ猫のようにして余処にやるまいとて、我が身に引き止めて
 
置けば、我が身に心を取らるるなり。
 
身の内に捨て置けば余処へは行かぬものなり。
 
唯だ一所に止めぬ工夫是皆修行なり。
 
心を何処にも止めぬが眼なり肝要なり。
 
いずこにも置かねばいづこにもあるぞ。心を外へやりたる時も
 
心を一方に置けば九方は欠けるなり。
 
心を一方に置かざれば十方にあるぞ。
 
 
 
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