漢文を音読しょうNO,57

                                                              

 
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(一)韓国船沈没から見えてきたこと
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この沈没船事件から一事万事に通じていることを証明する事件であります。

事件のあらましを列記してみる。

a)船長が先に逃げ出したこと。

b)船舶従事者は全員救助されたこと。

c)乗客には船室に留まるように連絡していること。

d)事故前に救助訓練は一度もしていなかった。

e)積荷過重は通常化していた。

f)乗客家族への船内報告を怠り、偽った内容を発表したこと。

g)船員関係者が他者への責任転嫁していること。

h)船会社は利己主義による経営していた。

i)政治家は事件を政治利用のための乗客家族を訪問していた。

j)面子に拘り他国からの救助要請を怠ったこと。
 
この事件が国家そのままの状況を反映していることを如実に表現されています。

最初の事故連絡では全員が救助されたような報告をしてから全員行方不明に近い

現実を報告しています。

船内、船外に嘘と偽りの連絡をして家族は報告を信じることができずに捜索者に

直接カメラをつけてもらい独自で情報を得ようとしていた。
 
事故後十日以上経たが未だ100人以上が行方不明者がいる状態であります。

一事が万事とはこのことであります、この事件を通じて国家の有り方がそのまま

事件概要に表現されています。

嘘偽りで塗り固められた国家そのままであります。

この事件をきっかけに真実な国家に改善しなければ韓国から逃亡する国民が溢れる

でありましょう。ケウオル号から逃亡する船員たちを見ていると韓国を逃げ出す

国民を見ているような光景であります。

政治が悪いから、国民が愚かだからと責任転嫁してみじめな争いを繰り返し

言い争った後は、やはり日本が悪いから三流国家に成り果てたと結論を出している

のが現在にいたったのであります。
 
 
韓国、朝鮮の人たちに目覚めよと問い掛けています。

○青山繁晴の神発言- https://www.youtube.com/watch?v=0A5sTVx_Szo&feature=player_detailpage
 
(二)甲陽軍鑑を音読しよう。

甲陽軍鑑:武田信玄流軍事、政治哲学
 
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○話を聞く態度で性質がわかる

信玄公 宣ふ。侍を童の時、召し使うに見知様子、大方四つ有り。

一人武士道に、覚えの者、二人かいかいしき者、三人はしりめぐり、

一かど」仕るべき、利口者、三人寄り合い、武者雑談致す所にて、童べ四人、

其の座敷にあり。一人は口をあき、語るものの顔ばかり見て聞く。

二人目は耳をすまし、ちとうつむきて、是を聞く。

三人目は、語る人の顔を見て、少しづつ笑い、笑みがほして、是を聞く、

四人目は座を立ち退く。斯様に色々有り。

先ず始めの、うかうかと聞く童、後迄も、其の心劣り、いかに武篇場数ありても、

跡さきの、わきまへもなく、形義とりひろげ、つづかぬ作法なれば、似合わしき、

内の者の、然るべきをも、もたず、よき友傍輩の,異見うくる、近づきもの也。

二番に耳をすまして、武士雑談きくわらんべは跡に別はなきぞ。

信虎より、我等まで、二代へかけ、はしり回る、横田備中、原美濃守、小幡山城、

多田淡路、我代に尋得たる、山本勘介、北条氏康のため、大藤、金谷、かよう武篇

おぼへの者になるなり。

三番に此の雑談を聞き候て、にこにこと笑いて、おもしろがる童は、後に武辺ほまれ

者に、必ず、なるといへども、あまりすぎて、権だかうして、人ににくみをうる者なり。

四番に、武者雑談の時、其の座をたつわらんべは、後に十人の中、八人九人は、

臆病者なり。縦へ、一二人未練になくとも人の跡につき、合戦せりあいの時、追頸の

人なみに逃げる敵をうちても、鑓下の本の高名と存知威言を、言い回り、よき武士、

本の手柄を仕る、儀あればをのれが心にて、あてがうて、是も我ごとくに、うちよき

人を、うちてこそ、人のとりなしをもって、大剛にいわれぞ、するらんと思うて、

人間に、あまりちがうたる人は、世の中に、あるまじきと、能武士をそねみ、口に

まかせて申し事、右の幼き時、武篇雑談の座敷を立つ童、おとなに成りての仕形、

此の如くと信玄公宣うなり。
 
参考文献:甲陽軍鑑 吉田豊編 徳間書店
 
 
 
(三)伊藤一刀斎剣法書を音読しよう。
 
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○ 間にとらわれれば間を失う

勝負の要は間なり。 我利せんとほっすれば、彼も利せんと欲す。

我往かんとすれば彼亦来る。勝負肝要この間にあり。

故に我が伝の間積もりと云うは、位拍子に乗ずるを以って間と云う也。

敵に向かって、其の間に一毛を容れず、其の危亡を顧みず、速やかに

乗じて殺活の当的能奪の本位至る可きもの也。

若し一心間に止まるときんば変を失す。我が心間に拘わらざるときんば、

間は明白にして其の位に在り。故に心に間を止めず。間に心を止めず。

能く水月の位に至るべきもの也。無理無事の位を水月の本心と云う也。

故に求むれば是水月にあらず。

一心清浄にして曇りなきときんば万方皆水月也。至らずと云う所なし。

古語に云わく、遠きを慮からざれば則近きに必ず憂い在り、故に間に

遠近の差別無く、其の間を守らず、其の変を待たず、人に致されずして

疾く其の位を取るは当伝の的なり。

若し夫れ血気に乗じて無に落差するものは我が刃を以って独り身を

害するが如し。

参考文献 武道秘伝書 吉田豊編 徳間書店

 
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