漢文を音読しょうNO,58

                                                              

 
 目次ページ  前ページ 次ページ 
(一)中国、韓国はなぜ反日を行うのか、                 2014.5.10
   読み上げ音声<<クリック
 
過去の歴史捏造を国民に不明にするための手段は言語を変更です。

中国は繁体文字から簡体文字に変えました。

韓国は漢字の使用を止めてハングル文字だけにしたのです。

両国は歴史捏造して愚民に指導して自由に統御できるようにして反日

運動を行い、其の言動が愛国のシンボルとしたのです。

両国とも反日言動は無罪という考えが浸透していったのであります。
 
なぜ反日を行うのでしょうか、この二国は日本と真の戦いをしていないこと

に起因しています。中国は先の大東亜戦争で戦ったのは国府軍であり共産党は

実際に戦っていないのです。日本軍が戦っていた時には毛沢東共産軍は山奥に

隠遁して出て来なかったのです。国府軍と日本軍とを戦わせて漁夫の利を得る

戦略をとっていました。
 
反日の基は日本の潜在的戦闘能力を伝説的に怖さを知っているために20万人

しかいない南京市民を30万人大虐殺と称して捏造して喧伝しているのです。

その南京での戦いは将介石の率いる国府軍は逃避して戦闘にはならなかったのです。

韓国は1910年〜1945年まで日本が併合していましたので日本軍として

戦っていたのですから相対峙して戦ったことはないのです。

視点を変えて探っていきます。

第二次大戦後、蒋介石、国府軍、は8年間の日本軍との戦いに疲弊していた。

共産軍は山奥で雲隠れして軍を温存していて、ソ連の援護があり勢いを増して

いたことで両軍の勢いの差が生じていた。
 
根本博元中将は蒋介石に対して4万人の邦人と35万人将兵を守り故国日本に

無事に帰してくれたことへの恩を感じていた。

蒋介石との別れの言葉で東亜の平和のためにお役に立つことがあれば何時でも

馳せ参じますと約束していた。

その将介石総統に恩義を返したいという思いが通じたのか、台湾から船を用意

して迎えが来て密航に成功した。
 
台湾には180キロ離れた金門島がある、中国大陸から5キロぐらいしか離れて

いないその島に陣取り共産軍から守りぬくことが根本博元中将の役割であった。

この島を守ることは台湾を共産軍から防衛したことに繋がるからである。
 
金門島を共産軍からの防御のための戦術として根本元中将は1、共産軍が上陸

した後に殲滅する作戦 2、共産軍が乗ってきた船を素早く焼き払うこと。

共産軍が上陸した後、船を大陸に戻してしまえば援軍が再度其の船に乗り上陸

するため、焼き払ってしまえば帰ることができないと動揺し、又逃げ場を無くし

全滅させることができると作戦を立てた。

共産軍が金門島を上陸開始したのは1949年十月二十四日である、毛沢東が

中華人民共和国を宣言して勢いに乗っている状況であった、将介石国府軍を

台湾に追い詰めていた状況であった。

共産軍2万人が金門島に攻めてきましたが金門の熊という軽戦車の獅子奮迅の

働きで上陸共産軍を全滅させました。

其の内使者1万4千人、捕虜6千人であった、国府軍の死者1200人余で

あったことで国府軍の大勝利であった。金門島は60年経た今日でも台湾領であり

台湾海峡もまた中華人民共和国の内海になっていない。

戦後70年経た日本にとって根本博の行動が日本ー台湾の絆が東北大震災の

200億円という世界一の寄付金に繋がる隠れた根底にになっているのであります。

それは真に戦い合い互いに認め合った敵同士であったが互いを認め合った仲間で

ある、日米も互いに戦った敵であったが同盟を結んで国家の絆がある。
 
中国、韓国は真の戦いをしていないことで互いに認め合うことなく反日言動が

これからも続けるのであろうと思われます。
 
参考文献:この命、義にささぐ 門田隆将著 集英社
 
(二)葉隠を音読しよう。
  音読音声<<クリック
 
介錯の時皮すこし懸かり候事

何某切腹の時、介錯の人首討ち落とし候へば、皮すこし懸かり申し候。

お目付け衆「かかり候」と申され候。介錯人立腹いたし、首を掴み切り落とし、

目より高く差し上げ、「御覧なされ候や」と申し候間、無興に相見え候由。

助右衛門殿咄。

古来の詮議には、首飛び申す事もこれあるものに候。

検使の方へなど飛び申さざる様にと候て、皮をすこし

切り残し申したるがよく候と申し候由。

然れども當時は打ち落としたるがよきなり。

又首五十切りたる者の咄に、「首によりて一つの胴ほどに手ごたえ致すも

これあり候。

初め首三つばかり切り候迄は、手に覚え申さず、よく切れ申し候。

四つ五つになり候ては、余程てごたえ致すものに候。

とかく大事のものに候間、いつ迄も平地迄と思召し候はば仕損じあるまじく。

と申し候なり。                聞書第八

参考文献:葉隠 下 岩波文庫
 
 
(三)甲陽軍鑑を音読しよう。
 
  音読音声<<クリック
 
○大身小身共に人をみそこのう邪道七つの事
 
一、油断の人を能しづかなる人に見そこのう也。

二、ひょんな者を、能はやき人にみそこのう也。

三、手おそ成る人を、能おもき人にもそこのう也。

四、粗忽なる者の、はや合点にあわてる気の有人を、能かろき人に

  見損なうなり。粗忽に早合点の者は大事あれはかならすあわてる者也。

五、埒のあかぬ人は、理にくらくして、しかと物いわす候は万不案内にてかくの

  ことくなるを、能ねはき者に見損なう也。

六、十方なく物言う人は、口たたきとて、一日物をいえども友は朋輩、あるいは

  寄り親の功になる、能事一言も申さす、憎ければ能武士をもそしり、我に

  物をくれきげんを取る人をうれしがり、中よければあしき者をもほめ候。

  十方なしを、よくさくきものに見損なうなり。

七、踏まえ所なき人は、我しらぬ事をば作り事申、殊の外ぜうこわき者なり。

  是をよき武士の雅のつよくして、人にまくるをいやがる剛強武勇の人に、

  かならず見そこのう者也。件の如し。

 
参考文献:甲陽軍鑑 吉田豊編 徳間書店
 
inserted by FC2 system