漢文を音読しょうNO,61

                                                              

 
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(一)メジャーの闘い、田中将大                                     2014.6.10
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18歳の決断と現在の位置

8年前に甲子園を沸かせた田中将大と斉藤佑樹の二人の舞台があった。

其の勝負はハンカチ王子斉藤の早稲田実業が優勝して幕を閉じた。

その後プロ野球と大学進学をそれぞれ選択してその後上昇し続ける田中

下降線を辿る斉藤、という姿がありました。
 
現在田中将大はヤンキースで9勝(2014年6月9日現在)斉藤佑樹は日本ハム2軍

生活を甘んじています。

この環境の格差はどこからきたのでしょうか。
 
斉藤佑樹の選択、大学進学が出発点にあると思われます。楽な環境を求めて

チヤホヤされる場を選び、他に学ぶものはないという考えで4年間を過ごしました。

その後プロ野球を選択して4年間で11勝16敗の成績でプロ選手としてリストラされる

1歩手前に来ております。その最大の原因は自分に甘い態度、自分は何かを持って

いるという驕りであり、練習嫌いが原因であります。−推定年俸2700万円
 
それに対して田中将大はプロ野球楽天時代6年間99勝、今年ヤンキース入団し

9勝を上げ、オールスターにも出場する勢いであります。ー推定年俸23億円
 
この二人の差は日々厳しさを求めて精進する態度と日々安楽を求めて練習を

怠る態度が如実に顕現した環境になっております。
 
プロゴルフ界においても同年代のライバル関係があります。

ゴルフ界では石川遼と松山英樹。共に21歳。高校時代、16歳でプロに転向した

石川はプロ2年目に賞金王になりました。その後テレビ等に持て囃されて大した

成績を上げられずおりました。
 
しかし松山英樹は先日石川より早くメジャーで優勝してしまいました。

この二例での勝負の分かれ目はある頂点の後に驕りを持った者は上昇がストップして

敗北が待ち伏せていることを教えてくれています。 
 
 
(二)中江藤樹翁問答を音読しよう。

中江藤樹

人を愛し敬う心を大切にし、母に孝養をつくして 「近江聖人」 とその徳望が慕われた

江戸時代の儒学者・中江藤樹(なかえ とうじゅ)。

日本陽明学派の祖。初め朱子学を修め後、陽明学を首唱して近江聖人とよばれた。

熊沢蕃山・淵岡山(ふちこうざん)はその高弟。著に「鑑草」「翁問答」など。

        
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翁問答巻一

問いー各種の性質を持った人々が、現在、様々の行動を致して居ります。

私共には余りにそれが多種なので是非を区別し難く、何れに従えば最も

正しいか不明となってしまいました。人間一生涯を通じて従わなければ

ならないものは何でしょうか。
 
師翁の答ー如何なる人間も所有している、天下に二個とない大切な至徳

要道と称する霊宝がある、これは「孝経」にある言葉で至徳とは至れる

徳、要道とは最も大切な道との意だ。我々はこの宝で常に心を守り、行道

の基準とすれば間違いはない。

この宝を中心として五倫の道を行えば、それらが全部相互のに助け合って

より大なる効果を納め、この宝を中心として神明に使え奉れば、如何なる

神明も直ちに願いを納受され、天下を治めれば太平に、国を治めれば申し

分なく治まり、家をも身をも、心をも、斎え、行い、守れば、我々の希望

するようになる。

それを拡大すれば天地の全部に生き互り、巻き縮めれば自己の心隅々までも

充実する。実に何と形容して宜しいか不明な程不可思議な霊宝である。

故にこの宝を忠実に守れば、天子は永久に天下全部の富を保ち、諸侯は無限

に一国の栄華を楽しむことが出来、老中、家老は家を興し、士は名を挙げ、位

が登り庶民はあらゆる種類の財物を積み貯えて、身分に相応した享楽を致す

ことが可能である。又若し、この宝を捨てて顧みないならば人間の道が立たず、

単に人として道が立たないのみではなく、天地の道を立たず、従って神に依る

宇宙の凡ての変化も行われない。限りなく広い太虚のの部分、天地人の三才、

宇宙、鬼神、一切の諸物の造化及び生死に至るまで、この宝が包括していない

ものは一物もないと言える。
 
参考文献
   中江藤樹集 大日本思想全集刊行会
 
 
(三)正法眼蔵随聞記を音読しよう。
 
孤雲懐弉禅師(1198〜1280)

正法眼蔵随聞記は道元禅師に受けた教え懐弉(えじょう)禅師が記したもの
 
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○学人第一の用心は先ず我見を離るべし。

また示に曰く、学人第一の用心は、先ず我見を離るべし。我見を離ると者、

この身を執すべからず。縦ひ古人の語り話を窮め、常坐鉄石のごとくなりと

雖も、この身に著して離れざらん者、万劫千生仏祖の道を得べからず。
 
如何に況や権実の教法、顕密の聖教を悟得すと雖も、この身を執する之心

を離れず者、徒らに他の宝を数えて自ら半銭之分け無し。

ただ請うらくは学人静座して道理を以てこの身之始終を尋ぬべし。

身体髪膚父母之二滴、一息駐りぬれば山野に離散して終に泥土と作る。

何を以ての故にか身を執せんや。

況や法を以て之を見れば十八界之聚散、何れの法をか定めて我が身と為さん。

教内教外別れりと雖も、我が身の始終不可得なる事、之を以て行道之用(心)と為る

事、是れ同じ。先ずこの道理を達する、実に仏道顕然なる者なり。
 
参考文献 

 正法眼蔵随聞記 筑摩書房 古典日本文学全集
 
 
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