漢文を音読しょうNO,63

                                                              

 
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                                                2014.6.30
   (一)日本人の勝負性の検証
 
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ワールドサッカーで日本は一勝もできずに敗退してしまった。

日本人は大試合には弱いという通説があります。

なぜだろうか。

サッカーに限らず、他のスポーツでも大試合には弱い傾向があります。

例えば大相撲ではモンゴルの3人が横綱になっているが日本人は大関で

止まっている。

ここにも日本人の勝負弱さが出ています。

原因はいろいろあると思われますが、先ず第一に平和ボケで苦しいこと

への逃避癖が上げられます。

次に上げられる原因は日本言語の特徴にあると思われます。

日本語は外国人と違って左脳を過度に使用して右脳を余り使用しない言語

のために、外国人とは大きく変わった組織、練習が求められます。
 
勝負弱さに焦点をあげると日本人のスポーツによる勝負強さを増すためには

技術練習だけでは強くならないのです。

日本人にとっては精神修養を別に設けて瞑想又は座禅を取り入れることが

勝負強さをつける方法であります。
 
武士全盛時から剣を窮めた達人は皆座禅を行い、胆力を鍛えて強くなっています。

日本人は日本語により日々左脳を使用し、技術関係には優れた才能を発揮します

が右脳を軽視する傾向があることで右脳の入口ー潜在意識を有効に使用せずに

勝負が逃げていくのであります。

潜在意識には時間の概念がないのです、従って訓練によって時間を延引する必要

があります。すなわち一瞬の動作を心の内で引き伸ばしたり、止めたり、短くする

ことを可能にするのです。
 
一瞬のサッカーの球を心の内で時間を止めて、球を止めて見えさせゴールに蹴る

ようにしたりすることは潜在意識を鍛える、瞑想、座禅の訓練により獲得できる

のです、また精神的強靭さも身につけることができるのは瞑想、座禅の賜物で

あります。

外国人の場合は言語が右脳言語であるために技術練習で、心身両方を同時に鍛え

上げることができるのですが日本人の場合は瞑想、座禅にて日々の訓練してこそ

真の勝負強い選手を育成できることができるのです。
 
サッカー、大相撲等もっと精神的修養、瞑想、座禅を取り入れて勝負強い選手を

育成する仕組み作りを根本的に改善する必要があるでしょう。

又日本人独自の技術、精神性を表現するためにはもう一つ古武術の技を取り入れる

ことが望ましいことであります。

参考文献: 右脳と左脳  角田忠信著 小学館
 
(二)源氏物語を音読しよう。

作者 紫式部(通説)
 
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空蝉(うつせみ)
 
寝られ給はぬままに、「我は、かく、人に憎まれてもならはぬを、

今宵なむ、はじめて、憂しと、世をおもひ知りぬれば、はづかしくて

ながらふまじくこそ思ひなりぬれ」など、のたまへば、涙をさへ

こぼして臥したり。「いとらうたし」と、おぼす。手さぐりの細く

小さき程、髪のいと長からざりしけはひの、似通いたるも、思い

なしにや、あはれなり。あながちに、かかづらひ、たどりよらむも、

人悪かるべく、まめやかにめざまし」と、おぼし明かしつつ、例の

ようにも、のたまひまつはさず。

夜深く出で給えば、この子は「いといとほしく、さうざうし」と思う。

女も「なみなみならず、かたはらいたし」とおもうに、ご消息も絶えて

なし。「思し懲りにける」と思うにも、「やがて、つれなくて止み給い

なましかば、憂からまし。しひて、いとほしきお振る舞いの絶えざらむも、

うたてあるべし。よき程にて、かくて閉じめてむ」と思う物から、ただならず

ながめがちなり。君は、「心づきなし」とおぼしながら、かくては、えやむまじう、

御心にかかり、人悪く思ほしわびて、小君に、「いと、つらうも、うれたくも

思ゆるに、強いて、思い返せど、心にも従わず苦しきを、さりぬべき折をもみて

対面すべくたばかれ」と、のたまい渡れば、わづらはしけれど、かかる方にても、

のたまひまつはすは、うれしう思えけり。幼き心地に、「いかならむ折」と、

待ち渡るに、紀の守、国に下りなどして、女どち、のどやかなる夕闇の、道たど

たどしげなる紛れに、わが車にて、いてたてまつる。

この子も幼きを、いかならむ」おぼせど、さのみも、え思しのどむまじかりければ、

さりげなき姿にて、門など鎖さぬ先に」といそぎおはす。

人見ぬ方より、ひき入れて、おろしたてまつる。童なれば、宿直人なども、殊に南の

隅の間より、格子叩きののしりて入りぬ。御達「あらはなり」というなり。

参考文献 源氏物語 山岸徳兵 岩波文庫
 
 (三)忍ぶ面影を音読しよう。  

この書は趣味通俗読み物として我が国における英雄偉人の本領を摘録

したものにて家庭教育並びに武士道修養の一端たるべきを目的とせり。

大正八年六月一日 編者石井典江
 
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藤吉郎の幼時ー平気の猿公(続き)      大倉桃郎

「して見ると旦那の知行五百石は鳥渡聞くと大した様だが、大工一年

食い扶持にも足りません、散々修行して字が上手になってもたった五

百石じゃ、手習いも考えんもんだ、こいつは馬鹿馬鹿しい、はははは」

と猿公は手を打って笑い出した。

役人は嚇 怒った「おのれ、武士に対して雑言するか」と刀に手をかけて

起き上がったが、「猿公」は一目散、雲を霞と逃げ去ってしまった。

併し役人は其の儘には棄ておけぬ、始めは笑談のように話していたのだが、

笑談を通り越して思い切った悪口を云われたのである少年とは云え以ての

外の無礼である、役人は残念ながら「猿公」に逃げられたが「猿公」を世話

しているのは大工梁興右衛門であるから、すぐ興右衛門を呼び出して烈しく

談判する。

「猿が逃げたから貴様が相手だ、是非とも貴様の首が惜しいなら、猿を連れて

来い」話が六つかしくなって興右衛門はぶるぶる震えている、自分の首も惜し

いが「猿公」を殺すのも可哀そうである。「御免御免」と冷や汗流して一生

懸命、外の大工棟梁も集まって一諸に詫びたので、流石立腹した役人も漸く

機嫌直して兎も角も其の場は無事で済んだので興右衛門が早々家に帰ると、

「猿公」は先へ帰って平気な面をしている。

「これ、猿」と睨んだが。一向驚きもしない、「これ猿、飛んでも無い奴だ、

役人を怒らして俺まで酷い目に合わせて貴様はまあ何と云う馬鹿者だ」

「私が馬鹿ですって、そりゃ棟梁間違いですよ、私よりかあの役人の方が、

よつ程馬鹿者ですよ」 「何だと」と興右衛門は聞いた口が塞がらぬ。
 
「まあ棟梁慌てずにお茶でもおあがりなさい、私はね、あの役人が可哀そう

なのです第一五百石ばかりの知行に満足して自慢してるんです、それでは今後

出世も出来まい、余りケチな抱負だから、私が一つ励ましてやろうと思って」

「生意気云うな、他の事とところか貴様は何だ、貴様は碌々自身の飯の種さえ

稼げぬ奴だ、五百石のお武士に意見が云える柄か」

「否え、私は私で、いまはつまらなくても、後には出世して見せる位の希望が

あります、それから見るとあの役人は良い年をして考えが足りません、だから

私が親切と思って鳥渡悪口を云ったので、其れを怒るなんて見込みがありません

、あんな者の云う事はうつちゃって置いたら良いでしょう、相手になってちゃ

腹が立つばかりですよ」「ええ、それどころか、俺は貴様の相手になってちゃ

腹が立つ」

「済みませんな、私は棟梁に腹立たせる積もりぢゃ無いんだが」ああ云えばこう

云う、こう云えばああ抜ける、「猿公」は口が達者でペラペラ喋る、人の教訓など

蚊の鳴くほどにも思っていない、少年とは思えぬほどにも思っていない、少年とは

思えぬほど弁才があるから、興右衛門も口では敵わない。

のみか、こんな我儘者を世話していたら、今後どんな迷惑がかかるかも知れないから

、興右衛門も持て余して雇いを解く事になった。

元来「猿公」の日吉丸は尾張愛知郡中村の弥助昌吉の子である。昌吉が死んで母お仲

は筑阿弥と云う入り婿を迎えているから日吉の今の父は継父である、日吉は継父の来

ぬ前に親戚に当たる清洲町の源右衛門の世話で光明時と云う寺へ預けられたが、例の

我儘の上に、僧侶が嫌いで散々乱暴して寺を追い出された。それが八歳の時で、それ

以来源右衛門の世話で三十何回奉公に出たが、何処でも十日と続かずに追い出された

、源右衛門も持て余していた処へ今度清洲城の大普請が始まったので知己の大工青木

甚兵衛に頼み、甚兵衛が興右衛門に頼んで日吉を雇って貰ったのである。

こんな手数のかかった少年だから興右衛門もとうとう呆れ返って「猿公」の日吉丸を

甚兵衛に返し、甚兵衛は源右衛門に返し源右衛門は中村の親元筑阿弥、お仲夫婦へ返

してきた。
 
参考文献

   史実文筆 忍ぶ面影 三星社書店  大正八年六月一日発行
 
 
 
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