古典を音読しょうNO,64

                                                              

 
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(一)アメリカの終焉                                2014.7.10
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オバマ大統領が「アメリカは世界の警察官ではない」と宣言してから

世界は荒れ始めてきました。

ロシヤのクリミア侵略、中国のフイリッピン、ベトナムへの無法侵略

を繰り返しています。
 
ヨーロッパから見るとアメリカへの恐れを抱いていなく、政治に素人

でも大統領になれる近視眼的国家であり、かつてはイギリスの植民地

国家という考えを持っているようです。

従って一貫した考えはなく保護した個人、団体、国家を事情が変化

すれば裏切り、見捨てるという言動を繰り返しています。

特にアメリカ民主党は戦前から其の政策を繰り返しています、中国

の?介石を援助していたが急遽毛沢東に切り替えて満州の権利を与

えてしまったり、イランがアメリカと敵対関係になったのもイラン

国王を見捨てたことか亡命中のホメイニが帰国して主権が変わって

しまったことから始まっている。

イラクのフセインにしても始めはフセインを援助していたが見捨てて

敵対関係になっています。

アメリカと云う国家の考えは一貫していなくコロコロ変わることで

次世代の政権を苦しめているのです。
 
従って尖閣諸島が日米安保条約の範囲内であるというオバマの宣言は

唯中国に向けて発しているだけで実際に中国が攻めてくれば米軍が動く

ことは絶対に有り得ない、人の住んでいない岩礁にアメリカ軍が中国と

敵対することは絶対にないと云われています。

従い日米安保条約は守らず、日本は裏切られ、見捨てられるのです。

自分の国土は自主防衛することが基本であり、アメリカに頼る時代

は既に終わっているのです。

その前に北朝鮮が韓国に攻撃することが必ず1年以内に勃発する事件が

起こりうる、其の時駐留アメリカ軍が手助けして軍を発動するであろうか、

避難するだけで北朝鮮を攻撃するようなことはしないでしょう。

オバマ大統領の言では議会に是非を図ることが結論です。自らの決断

することはないでありましょう。

あらゆる事態に対してアメリカは中国を敵とする戦いは避けて大きな

行動は全くしないことが今後オバマ大統領の仕事となるでありましょう。

これはアメリカの終焉を意味しています。

日本厚木基地、横須賀基地、沖縄基地、佐世保基地、岩国基地などの基地は

余り使用されていません、アジア地区を守るという名目だけで肝心な時は

逃避する政策であります。
 
これからの世界の覇者はどこか、日本では関が原で勝った徳川勢が300年間

指揮を執り、明治維新以後は関が原で敗者の薩摩、長州が中心となりました。
 
世界においても第二次大戦の敗者、日本、ドイツが現在経済戦争で覇者と

なっています。

これからの時代は経済に勝利した国家が世界を指揮する状況になりつつ

あります。

アメリカ、中国は国内だけを安定させるだけの国家になるでありましょう。

参考資料;アメリカの大変化を知らない日本人 日高義樹著 PHP研究所
 
 
(二)集義和書を音読しよう。
 
著者 熊沢蕃山 
 
書簡の一
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世間には博学で他の人々に孝、弟、忠、信などと云う人間の守らな

ければならない道を教える人の中に、不孝であり、不忠な者もすく

なくはありませんが、これは一体どうしたのでしょうか。
 
返書の大略

武芸に達した武士は人に勝つ方法を知っても、実際戦場で武功のないものが

あり、その反対に何れの一流の伝授をも受けていなくて武功のある人も多く

又兵法学者がそれを少しも知らない人に斬られることもある。

学問の道もこれと同様だと考える。大体智仁勇は、文武の徳で、礼樂、弓馬、

書数は文武の芸だと云える。生来その身に仁の備わっている人は別に聖人の

書に接しなくとも孝行、忠節な人もあり、生来勇強な人は武芸を知らなくても

一般に勝負の場合には自分の方に利が多い。然しそれだからと云って、文武の

道を不用だとする理由はなく、古人は其の身に完全に道を行うことが出来ない

と知った人にも、文才に巧みな者には学問をさせ、広く文の道を教えて人民の

迷いを解き、風俗を淳美にさせ、又党人にゆうきが少なくとも、武芸に器用な

者には弓馬を始め一切の兵法を教えて、それを一般の人民に伝えさせ、国中の

凡てを強健に化せしめて万一の場合の御役に事欠かないようにさせた。

結局共に国を盛大にさせる要素なので、一国を支配する人が適材を適所に置き、

人を捨てないで広く益を取り給う道である。

学力がなくて親に孝、君に忠であるのは生来の徳で、謂わば気質の美と云えるで

あろう。道を知らない勇者をば我々は血気の勇と呼んでいる。

人間が人間としての徳を達し、才を長ぜしめるのは文武二道を平常から学ぶより

良い方法はない。然るに、只今質問されたその人物は、文の末だけを知ってその

根本に達しないと云えよう。

何もこれは文の道に限られただけのものでなく、武の方面でも本末に対する十分な

認識があった後、始めて完全と云われるのは同一である。

我々がこの天地間に生ずる一切の事物を観察すると、必ず或る方面に長所があると

同時に、他方面には短所が発見できるので、凡て理想的であると云うものは一物も

ない。四足の物には翼が無く、角があるものには牙ない。

こうして何らかの意味で形を持ったものには必ず欠けるところがあるのだった。

こうしたことは人間の性質について見ても云えると思う。

大体文才に器用なものは徳行に薄く、徳行に篤いものは文の方面に幾分か非難される

余地がある。聡明な者は行動が往々常軌を失し、行動の篤実なるものは智の方面に

不足点がある。君子はそれらの人々の善を採用し、不備を問題としない。

小人はこれと反対に人の欠所のみを云々して美を隠そうとする傾向がある。

世間には才も無く、徳も無い人が頗る多い。其の中で才があるとすればそれだけで

賞賛してもよいであろう。徳があるとすればその他の方面は看過してもよいではないか。

参考文献 熊沢蕃山集  大日本思想全集  昭和9年発行
 
 
 (三)源氏物語を音読しよう。

  著者 紫式部
 
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夕顔

六条わたりの御忍び歩きの頃、内よりまかで給う中宿りに、大弐の乳母の、

いたく患いて、尼になりにける、とぶらはんとて、五条なる家、訪ねて

おはしたり。御車いるべき門は、さしたりければ、人して、惟光召させて

またせ給いける程、むつかしげなる大路のさまを、みわたし給えるに、この

家のかたはらに、桧垣というもの、新しうして、上は半蔀四五間ばかり上げ

渡して、簾垂なども、いと白う涼しげなるに、をかしき額つきの透影、
 
あまた見えてのぞく。たちさまよふらむ下つかた、思いやるに、あながちに、
 
たけたかき心地ぞする。

「いかなるものの、集えるならん」と、やうかはりて思さる。御車も、いたく

やつし給えり。さきもおはせ給はず。

「誰とか知らむ」と、打ち解け給いて、少し、さしのぞき給えれば、門は蔀の

ようなるを、押しがあげたる、見入れの、程なく、」ものはかなきすまいを、

あはれに、「いづこかさして」と思ほしなせば、玉の台もおなじことなり。

切り懸けだつものに、いと青やかなるかづらの、心地よげにはひかかれるに、

白き花ぞ、おのれひとり、笑みの眉開けたる。「をちかた人に物申す」と、

ひとりごち給うを、御随身つい居て、「かの、白く咲けるをなん、夕顔と、申し

侍る。花の名は人めきて、かう、あやしき垣根になん、咲き侍りける」と申す。

げに、いと小家がちに、むつかしげなるわたりの、このもかのも、怪しくうち

よろぼひて、むねむねしからぬ、軒のつまごとに、這いまつわれたるを、「口惜しの

花の契りや。一房折りて参れ」とのりたまえばこの押上げたる門に入りて折る。

さすがにされたる遣り戸口に、黄なる生絹の単袴、長く着なしたる童の、をかしげなる、

出で来て、うちまねく。白き扇の、いたうこがしたるを、「これに置きて、参らせよ。

枝も情けなげなめる花を」とて、とらせたれば、門あけて、惟光の朝臣出で来るして、

たてまつらす。 
           
                    
参考資料 源氏物語 山岸徳平校注 岩波文庫
 
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