古典を音読しょうNO,68

                                                              

 
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(一)韓国の国家、国民の体質                                                                 2014.8.20
 
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先日地方議員が号泣会見を行ってテレビ、YouTubeなどで盛り上がっていたがあの

姿が火病という見本となる状景であります。

真の日本人は言葉を左脳で聴き、左脳で考えますから理性が働いてあのような貧相

な会見はしないのであります。

在日韓国人の仕業であることが証明されたので有ります。

この火病の根っこはどこにあるのか、これはハングル語だけの言語がこの病気の根因

になっているので有ります。現代の韓国言語では日本の明治維新後に作られた20万熟

語の漢字群を韓国読みしてハングル語として使用しています。

従って同音異義語が多く出てきます。難しい内容などはハングル語で話せなく、特に

抽象的なこと、精神的葛藤、心の奥底に潜む感情表現をハングル語で表現、発散する

事が出来ないのです。その蓄積が爆発して火病となってしまうのです。
 
難しい表現は漢字を混ぜてハングル語を日本語のひらがなのように使用すれば、感情

表現ができるようになるのであります。

ハングル語の70%以上が漢字用語ですから同音異義語であればそれらの言語は使用し

ないようになってきて、益々 易しく、簡易な言語になってきて感情表現は疎かに

なって日常表現で積もり積もった鬱憤を火病となって爆発するのです。

ハングル言語は右脳で話す言語ですから即感情的になって口論喧嘩が始まるのです、

韓国語のドラマを見ていると口を尖らせて話している姿が多いのが画面に出てきて自

らを感情制御できない人間同士のいがみ合いが特長です。
 
韓国言語から何が生まれたのでしょうか、

「自分の心の鬱憤を自ら発散できないで火病で表現、発散して他人を怒鳴り散らす」

「自らの国家の案件を国内で処理できない問題は他国の責任にして解決を図る」

これが韓国のすべてであります。

そこから「ケンチヤナ精神」が生まれて、多くの事故、問題を起しているのです。
 
売春婦(慰安婦)の件などは典型的な国内問題であります、女衒と言われる仲介人が

女性を拉致して男尊女卑の言動を行ない多くの事件を起こしたのです。

それを日本人、日本国の責任に押し付けているだけであります。

女衒と売春婦は韓国の外貨獲得の経済商品であり、重要な文化であります、李氏朝鮮

時代から朝鮮戦争時代、現在の米軍慰安婦問題もすべて国内問題であり、売春婦文化

であります。

問題が国内で処理できないとなれば他国の責任にすることが国家の問題処理の手法

をとっているのです。
 
現在セウオル号沈没事件であっても産経新聞ソウル支局長を呼び出して名誉毀損罪

で逮捕するかという問題も自国問題を他国人の罪にして韓国民の眼を他にそらし本事

件の幕引きを図る一貫であり、誤魔化す手法を執っているだけで有ります。
 
注記)真の日本的とは生まれた時に、最初に聞かせる言葉が日本語であれば、左脳で

言語を聞き、左脳で話すようになります。

他言語はすべて右脳言語であり、日本語だけが左脳言語であります、従い左脳、理性

で考え、理性で行動するのは日本語による特徴であります。

 参考文献 日本人の脳  角田忠信著 大修館
 
(二)啓発録を音読しよう。
 
安政の大獄によって二十六歳の生涯、幕末の開明派志士

橋本左内(1834〜1859)十五歳の著。
 
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稚心を去る
 
稚心とは、をさな心と云事にて、俗にいふわらべしきこと也、茶菜の類のいまだ熟

せざるをも稚といふ、稚とはすべて水くさき処ありて物の熟して旨き味のなきを申

也、何によらず稚といふことを離れぬ間は、物の成り揚る事なきなり。

  人に在ては竹馬 紙鳶 打毬の遊びを好み、或は石を投げ虫を捕ふを楽み、或は

糖菓 蔬菜 甘旨の食物を貪り、怠惰安佚に耽り、父母の目を窃み、芸業職務を懈

り、或は父母によりかゝる心を起し、或は父兄の厳を憚りて、兎角母の膝下に近づき

隠るゝ事を欲する類ひ、皆幼童の水くさき心より起ることにして、幼童の間は強て責

るに足らねども、十三、四にも成り、学問に志し候上にて、この心毛ほどにても残り

これ有る時は、何事も上達致さず、迚も天下の大豪傑と成る事は叶はぬ物にて候。
 
  源平のころ、並に元亀天正の間までは、随分十二三歳にて母に訣れ父に暇乞して、

初陣など致し、手柄功名を顕し候人物も之れ有候、此等はみな稚心なき故なり、もし

稚心あらば親の臂の下より一寸も離れ候事は相成申間敷、まして手柄功名の立つべき

よしはこれなき義なり、且又稚心の害ある訳は、稚心を除かぬ時は、士気振はぬもの

にて、いつまでも腰抜士になり候ものにて候、故に余稚心を去るを以て士の道に入る

始と存候なり。
 
参考文献 啓発録 橋本左内 講談社
 
 
(三)東海道膝栗毛を音読しよう。
 
  十返舎一九
 
  (1765〜1831)江戸時代後期の戯作者、浮世絵師。日本で最初に、文筆のみで

  自活した。『東海道中膝栗毛』は21年間長年月にわたって連載 
 
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浮世道中膝栗毛篇

発語

富貴自在冥加あれとや、営みたてし門の松風、琴に通う春の日の麗らかさ、げにや
 
大道は髪のごとしと、毛筋ほどもゆるがぬ御世のためしには、鳥が鳴く吾妻錦絵に
 
鎧武者の美名を残し、弓も木太刀も額にして、千早振神の広前に、おさまれる豊津国
 
のいさほしは、尭舜のいにしへ、延喜の昔も目撃見る心地になん。いざや此のとき、
 
国々の名山勝地をも巡見して、月代にぬる、聖代の御徳を、薬はん頭の茶飲みはなし
 
に、貯えものをと、玉くしげ二人の友どち いざなひつれて、山鳥の尾を長旅なれば
 
、臍のあたりにうちがえの金をあたため、花のお江戸を立ち出るは、神田の八丁堀辺
 
に、独り住みの弥次郎兵へというのふらくもの、食客の北八もろとも、朽木草鞋の足
 
もと軽く、千里膏のたくわえは何貝となく、はまぐりのむきみしぼりに対のゆかたを
 
吹きおくる、神風や伊勢参宮より、足引きのやまとめぐりして、花の都にむめの浪花
 
へと、心ざして出行ほどに、はやくも高なわの町に来かかり、川柳点前句集を思い出
 
せば高輪へ来て忘れたる事ばかり とよみたれ共、我々は何一つ、心がかりの事もなく
 
独り身のきさんじは、ねずみの店賃いだすも費えと、身上のこらず、ふろしき包みと
 
なしたるも心安し。
 
 参考文献 東海道膝栗毛 十返舎一九著  岩波文庫

 

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