古典を音読しょうNO,73

                                                              

 
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(一)資冶通鑑と中国                           2014.10.10   
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中国を知るには、現代の共産党独裁の中国を知っても真実を見ることはできない。

又日本の政治家が中国を礼の国と言った人間がおりましたが、どこを見てそんな言葉

が出てくるのか全く理解できない。

真実を知るには資冶通鑑(じじつがん)という古典を読めば本当の中国の本質を知る

事ができると言った人がいました。

中国といえば、論語、老子、三国志が直ぐに思い出しますが真実の中国を知るために

は資冶通鑑を学習しなければ本当の中国を語ることはできないと云われています。
 
その資冶通鑑には何が書かれているのでありましょうか、毛沢東がこの本を十数回読

破して政治戦術を考えたと言われています。それだけでもこの本の実際が少し見えて

くるのではないでしょうか。

この本が史記の数倍以上の600万字を数える大著であったことから余り日本にも知られ

ていない本であります。

一部を記すと

「高祖は勘が鋭く人の性格をよく見抜き、数知れず人を陥れた。尊大に振る舞い、

中国本土の天子などは洛陽の知事に過ぎないと見下ろした。中国南部の珍しい品々を

収集し豪華な調度を揃え、壮麗な宮殿は全て金銀や宝石で飾られていた。

刑罰は極めて残酷で、鼻に酢を注いだり、舌を切ったり、手足をバラバラにしたり、

腸を取り出したり、炙ったり、釜茹でにしたりする法律を作った。又、池に多くの毒

蛇を放ち罪人を其の中に投げ込んだ。これを水獄という。」
 
高祖為人弁察,多権数,好自矜大,常謂中國天子為「洛州刺史」。嶺南珍異所聚,

毎窮奢極麗,宮殿悉以金玉珠翠為飾。用刑慘酷,有灌鼻、割舌、支解、刳剔、砲炙、

烹蒸之法;或聚毒蛇水中,以罪人投之,謂之水獄。

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「呂太后はついに戚夫人の手足を切断し、眼をくりぬき、毒草を燻べて耳をつぶし、

薬を無理に飲ませて声をつぶした。そして丸裸にして厠に放り込み、人ブタと名付け

た。数日後、恵帝を呼んでこの人ブタをみせた。

帝は初め何だか分からなかったが、戚夫人だと知るや大声をあげて泣いた。この衝撃

で帝は病気になって1年ばかり病床から起き上がることが出来なかった。母の呂太后に

使い出して「これは人間のすることではありません。私は太后の子として天下を治め

る義務がありますが、とてもできません」
 
太后遂断戚夫人手足,去眼,W耳,飲暗藥,使居廁中,命日「人豚」。居數日,乃召帝

觀人豚。帝見,問知其戚夫人,乃大哭,因病,歳餘不能起。使人請太后曰:「此非人所

為。臣為太后子,終不能治天下。」

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これらの内容から中国の残酷な歴史は毛沢東と現共産党の本流が資冶通鑑であったこ

とが推測されます、現在、これからの中国との交流ではこの本を読まなければ政治交

流も、経済交流もうまく太刀打ちできないのではないでしょうか。
 
 
(ニ)五輪の書を音読しよう。

五輪の書 宮本武蔵
 
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多敵のくらいのこと

多敵のくらゐといふは、一身にして大勢とたゝかふ時の事也。

我が刀わきざしをぬきて左右へひろく太刀を横にすててかまゆる也。

敵は四方よりかゝるとも一方へおひまはす心也。

敵かゝるくらゐ、前後を見わけて先へすすむものに、はやくゆきあひ、大きに目を

つけて敵打出すくらゐを得て、右の太刀も左の太刀も一度にふりちがへて、待つ事

悪し。はやく両脇のくらゐにかまへ、敵の出でたる所をつよくきりこみ、

おつくづして、其儘又敵の出でたる方へかかり、ふりくづす心也。

いかにもして敵をひとへにうをつなぎにおひなす心にしかけて、敵のかさなると

見えば、其儘間をすかさず、強くはらひこむべし。

敵あひこむ所、ひたとおひまはしぬれば、はかのゆきがたし。

又敵の出するかたかたと思へば、待つ心ありて、はかゆきがたし。

敵の敵の拍子をうけて、くづるゝ所をしり、勝つ事也。折々あひ手を余多よせ、

おひこみつけて其心を得れば、一人の敵も十二十の敵も心安き事也。

能く稽古して吟味有るべき也。
 
参考文献

五輪書 兵頭二十八 新紀元社
 
 
 (三)国民道徳要領講義を音読しよう。
 
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将来の武士道

然らば、従来の武士道を如何に改むればよいか。武士道の改造には、先ず従来の武士

道の欠点を明らかにする事が肝要である。下に従来の武士の欠点の主要なる物を挙

げ、将来の武士道はこれを如何に改むべきかを論ずる。

(1)人格観念を明らかにすること  従来の武士道は人格の観念が明らかでない。

どうもすれば、人格に対する尊重の念を欠いて居た。臣下を責めることが余り酷に

失し、主君を恕することが余り寛大に流れたのは其の一例である。

人格は人の人たる所以のものである。最も尊い価値を有して居る。されば、今後の

武士道は、人格の観念を明らかにしてこれに対する尊重の念を深めなければならぬ。
 
(2)権利の観念を補うこと  従来の武士道は個利の権利を無視した所があった。

人格尊重の念を欠ける結果である。武士道は身命を犠牲にして主長の為に尽すことを

特色とした。此の特色はたしかに一種の美風であるが、反面には、個人の権利を少し

も認めず、絶対に服従を強いるという欠点を有して居た。今日の時勢とは、全く入れ

難いものである。将来の武士道は、権利の観念を補うことが最も必要である。
 
(3)人道の観念を加味すること  武士道はもと国家を中心として発達したもので

ある。従って、何事も国家本意と考え世界的思想の上に立たないという短所がある。

故に、武士道には人道の観念を加味しなければならぬ。今日の我が国は、封建時代の

如く、国内のことにのみ没頭して居た小日本でない。世界の舞台に立ち、列強に伍し

て活動しなければならぬ。
 
若し、人道を尊重するの観念を欠いて居たらば、我が国は必ず世界列国の好意を失い、
 
やがては自国の存立を危うくするに至るであろう。されば、武士道が国家を中心とするは

よいが、其れが為に、人道を無視してはならぬ。武士道は元来人道と相反する道徳で

ないから、武士道に人道を加味すると云っても、全く新しい要素を加えるのでなく、

ただ従来の武士道を時勢に適合せしめるまでのことである。
 
(4)経済思想を加えること  従来の武士道は経済思想を欠いて居た。武士は貨財

のことを口にするを恥とし、金銭に無頓着なことを以って美徳となした。

「武士は喰わねど高楊枝」など云う諺がある位である。不義の富貴を斥け、清廉潔白

を尊ぶのはよいが、絶対に金銭を卑しむことは、今日の時勢に反して居る。

古の武士は多く一定の俸禄を受けて、主君の家に仕えて居たから、全く経済思想を欠

いても生計に苦しむようなことはなかった。併し(しかし)今日の如き生存競争の激

しい世の中に、金銭のことに無頓着では、生存を保つことが全然不可能である。

これを国家の政策から見ても国富を増進するは、今後世界の国際競争場裡に立って、

優勝の地位を占めるに最も大切な要件である。

我が国の如き貧しい国の国民が、経済思想を欠けば、仮令、武士道の精神

がよく国民の間に徹底して、武勇に於いては天下に適する者がなくなっても、一朝事

ある時に、意外の蹉跌(さてつ)を来たすことがある。

経済を重んじ、家を富まし、国家を富ますことは、今後の我が国民の忘れてならぬ任

務である。将来の武士道は、この点に於いて一大修正を加えなければならぬ。
 
語訳

意外の蹉跌(さてつ)−−つまずく、失敗す

参考文献

国民道徳要領講義   三浦藤作著  大同館書店 大正15年発行
 
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