古典を音読しょうNO,81

                                                              

 
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 (一)STAP細胞、小保方晴子女史の検証実験に思うこと。                 2014.12.30
 
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小保方氏の検証実験は新たに専用の実験室を用意し2台の監視カメラで室内に
 
24時間録画し、常に第三者の"監視役"が立ち会いの上に行われました。
 
過去にそんな状態で果たして新発明、新発見が生まれた実例があったでしょう
 
か、科学の発明、発見とは実験者全員の思念の結晶であってその中に疑問視
 
する念があればその発明の一端を毀損して結晶の形は壊れてしまいます。
 
人類の過去の常識を覆す大発見がこんな条件で生まれることは絶対にあり得ない
 
ことです。 
 
この実験は始めからこのSTAP細胞新発見を偽りの実験だったと発表することを
 
前提にして故意に仕組んだ儀式と疑られることは当然です。
 
後輩の若輩者に新発明をされては自分の権利が奪われることを怖れて、この実験
 
を快く思わない人間が数多くなり邪魔する派閥が生まれてこのような謀略計画が
 
仕組まれたのではないでしょうか。
 
この儀式によって小保方晴子女史は退職することが決まりました、そして希望
 
退職でなく、会社に損害を与えた事にして退職金は無い強制退職にしようとして
 
企んでいます。
 
来る年から小保方女史はアメリカの研究所に移籍してこのSTAP細胞研究を続行
 
して10年以内に真実のSTAP細胞発見を発表する復習劇がはじまる一歩を歩み
 
出すのでありましょう。又最終的にはノーベル賞を授賞するような事態になる
 
ことも有り得るでしょう。
 
 
 
(ニ)夜 船 閑 話を音読しよう。
       
夜 船 閑 話       白 隠 禅 師
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 山野初め参学の日、誓つて、勇猛の信々を憤発し、不退の道情を激起し、汚B刻苦

する者既に両三霜、乍ち一夜忽然として落節す、従前多少の疑惑、根に和して氷融

し、曠劫生死の業根、底に徹して鴎滅す。自ら謂へらく、道人を去る事寔に遠から

ず、古人二三十年、是れ何の捏怪ぞと、怡悦蹈舞を忘るゝ者数月。向後日用を廻顧す

るに、動靜の二境全く調和せず、去就の両邊総に脱洒ならず。自ら謂へらく、猛く

彩を著け、重ねて一回捨命し去らむと、越て牙関を咬定し、雙眼睛を瞠開し、寢食と

もに廃せんとす。既にして、未だ期月に亘らざるに、心火逆上し、肺金焦枯して、

雙脚氷雪の底に浸すが如く、両耳溪聲の間を行くが如し。肝胆常に怯弱にして、擧措

恐怖多く、心身困倦し、寐寤種々の境界を見る。両腋常に汗を生じ、両眼常に涙を

帶ぶ。此に於て、遍く明師に投じ、廣く名医を探ると云へども、百藥寸功なし。

或人曰く、城の白河の山裏に厳居せる者あり、世人是れを名づけて白幽先生と云ふ、

霊壽三四甲子を閲し、人居三四里程を隔つ、人其の賢愚を辨ずる事なし、里人專ら

稱して仙人とす、聞く、故の丈山氏の師範にして、奄オく天文に通じ、深く医道に

達す、人あり礼を盡して咨叩する則は稀に微言を吐く、退きて是れを考ふるに、大に

人に利ありと。

此に於て寶永第七庚寅孟正中浣、竊かに行纏を著け、濃東を發し、黒谷を越え、

直に白河の邑に到り、包を茶店におろして幽が厳栖の処を尋ぬ、里人遙に一枝の溪水

を指す、即ち彼の水聲に隨つて、遙に山溪に入る。正に行く事里ばかりに、乍ち流水

を踏断す。樵徑もまたなし。時に一老夫あり、遙に雲煙の間を指す。
 
参考文献 白隠禅師 健康法と逸話 直木公彦著 日本教文社
 
 
(三)国民道徳要領講義を音読しよう。
 
国民道徳要領講義 三浦藤作著 大同館書店 大正14年発行
 
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祖先崇敬の意義

祖先崇敬はまたこれを祖先崇拝とも云い、祖先敬慕とも云う。

何れも文字を異にするのみで、同様の意味に用いられて居る。

祖先崇敬とはその字義の如く、祖先を敬うことである。祖先崇敬は、子孫が祖先の

霊に対して生ずる報恩の念に基づいて起こるものである。

祖先の恩義を感謝し遺訓遺志を奉じてこれを紹述することが祖先崇敬の本義である。

人は何故に祖先に対して敬慕の念を有するか。今この祖先敬慕の依って来る所以を

考えると、二様の理由の存する事が認められる。

其の第一は祖先の意志を重んずることである。即ち、吾等は何人も祖先を有して

居る。祖先は吾等に対して偉業を垂れ給えるものである。子孫たる者が祖先の意思を

重んじて、其の遺業を全うせんとする事は、人情の然らしめる所といわなければなら

ぬ。第ニは祖先の血統を重んずることである。

吾等は皆祖先から出た後裔である。祖先の血統を受け継いだものである。

祖先の血統を永く継続しようとするのは当然のことであると思われる。かくの如く、

祖先の意志を重んずることとが相合して、ここに祖先に対する敬慕の念は生ずるもの

である。 祖先崇敬の念は、やがて遠い祖先に対しても、現に生存せる人の如く、

儀式を営み、供え物を供えて其の冥福を祈るに至る。祖先の祭祀を怠らないことは、

祖先敬慕に伴える一の特色である。祖先の祭祀の絶えない様にするためには、祖先

の血統を受けついだ者の中、最も其の血統に近い者が家長となり、一家を主宰

する。これ即ち家族制度の起これる所以である
 
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