古典を音読しょうNO,90

                                                              

 
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(一)チャイナと韓国の精神           2015.3.30
 
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両国共に反日を掲げて日本に対処していますがその違いには大分差異があります。

チャイナの人が日本に遊びに来ると反日が親日になって帰っていき、韓国人は日本に来て

も何等変化がない面があります。

この違いはどこから生まれるのでしょうか。この違いはチャイナ人は読みが深く、韓国人

は考えが浅いことから生じています。

チャイナは漢字だけの言語を使用して、韓国人はハングル語を使用していることに起因

しています。ハングル語は文字自体が発音記号が基になっています。

日本語でいえばカタカナ語だけを使っていると思えば分かりやすいと思います。

チャイナ人が日本の新聞を眺めれば詳細は分からなくとも何が書いてあるかは漢字の羅列

だけを見て大まかな意味を読み取れると思います。
 
新聞、テレビでは日本でもチャイナ、韓国の真実を報道しないことが常識になっていて特

に悪いことは一切報道しません。これは広告、宣伝する関係会社への配慮で報道すれば仕

事が減ることを覚悟しなければならないのです。

ところがインターネットでの報道は悪いことも良いこともズバリと本音で報道している事

で最近は過激になっています。従って新聞、テレビのNEWSは意味が無くなっています。
 
チャイナ、韓国でも公の報道は反日一色であり、日本の良いことを報道をすれば関係者は

非難轟々で犯罪者と扱われる始末であります。

ところがチャイナでは最近特に日本に旅行した人たちが日本人、日本の印象を褒めちぎる

内容が多く見られるようになってきて、それを見た感想も是非自らその体験をしてみたい

、日本に行きたいと意見が多くなってきました。1年前では考えられない様相がウエブ上

で見られるのです。

チャイナの政治における反日体制との人民との精神的乖離が目立つようになってきました。

 買い物にきている人からも政治と我々は別物と割り切った考えを堂々と意見を述べ

るチャイナ人がいることは喜ばしいことであります。 日本全国のおもてなしの精神の

浸透が旅行客に伝わり親日な人が多くなり日中親善に繋がっていくと思います。
 
それに比べて韓国人からは自由な意見は聞かれることは一切ありません。親日を罰する法

を制定して世論がそれを支持して検察者もそれに沿って判定を下す流れを作っているのです。

今後チャイナと韓国の精神態度はチャイナ人は親日に変化して、韓国は益々反日に変貌し

ていくでありましょう。

その基は最初に記したとおりの読みが深い、浅いの違いにあると思います、其の違いは

言語の漢字から読みが深くなり、ハングル語だけで言語が簡易に、より安易に向かう傾向

から表面だけ良く見せる慣習が国民を堕落させて国家も崩壊へと向かわせてしまいます。
 
 
 
 
(二)洗心録を音読しよう。
 
幸田露伴 1867年 - 1947年 代表作 五重塔、 努力論、 修省論
 
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英気

の余りの事なれば、罪として咎むべきほどにはあらねど、その人に取りては甚だ

宜しからず。功の無きのみならで過ちのの多かるべきことなり。

子路は孔夫子もんかにても氣の強く勇の満ちたる正直一図の上々の人なるが、初めて

孔夫子に見え参らせたる時、子路が無骨にはあれども麗しき性分をば夫子の見て取り

たまいて、誘い導きて学問させむと勧めたまいしに、子路は憚り氣も無く、学、益

有らんや、南山に竹有り、揉めずしておのづから直し、斬って之を用いるに、犀革

に達する、何の学か之れ有らん、と思う存分申したり。

子路の意には、学問などということを為たりとて、拙き人はおのづから拙く、賢き

人はおのづから賢かるべければ、何の益もあるまじ、南山の竹のおのづからにして

直く強きは揉めもせできったるまま箭として用いるに、厚く靭き革にさえ立つなれば

学問などは致さいでも、となり。

その時夫子御弾呵も無く、其方は然様にも思うならんが、其の素性の佳き南山の竹に

箭筈というものを取り付けて、箭羽というものを矧ぎ着け、刃味宜しき鏃というもの

を添えて之を砥ぎ澄まし、さて射って放たんには、箭の入ることも亦深かるまいこと

か、如何じや、とお教えになりたれば、子路恐れ入って、成る程学問を為せば、学問

を為るるに及ばぬほどの善き者も愈々善くなるべく、悪しくて役立たぬほどの者も少

しは世の用にもなるに至るべしと悟り、それより夫子に従って学を励みしとなり、

子路と同じようなる考えを抱けるもの、世に少なからず。氣を負い才を恃む者、頭よ

り学問と言うことを馬鹿にす。

参考文献

洗心録 幸田露伴 趣味の教育普及会

 
 
(三)至誠と努力を音読しよう。

渋沢栄一 1840年 - 1931年 江戸時代末期(幕末)から大正初期にかけての日本の

武士、官僚、実業家。第一国立銀行や東京証券取引所など多種多様な企業の設立・経

営に関わり、日本資本主義の父といわれる。
 
  音読音声 
 
得意と失意(続)
 
この世に処して行くに当たって、得意の時と失意の時とあることは、何人も免れ得ぬ

処であって、之に処するには各自の注意が大切であると思う、況や未だ心胆も練れず

感情に走り易い青年時代には、失意の境に望めば、兎角意気阻喪して、事を放棄する

ようになる、失意の結果怠慢に陥り、或いは自暴自棄して、益々失意の境に沈みて

、甚だしきは犯罪とまでに堕落して、あたら一生を誤るのは、実に是れ失意の人の踏

むべき径路である、蓋し得意とか失意とかいうは、その人の行為より出るものが多い

けれども、自然の運命に因ることも、亦ないとは言われぬ、私は運不運と云う事は、

各人に幾らかずつはある思う、たとへば同じく汽車汽船などに乗るとしても、時に

予期せざる災禍を受けることのあるが如き、或いは地震とか落雷とかいうものよって

意外の禍を被るが如き、人為を以ってしては、とても之を避ける事は出来ない、即ち

賢者だからこの災禍を免れ、小人だから之を受けるという事はない、これ等は実に

各人の運不運にあると云わねばならぬ、之に関する古人の例は、詳しくここに云う

事は出来ないけれども、彼の水戸藩の偉人藤田東湖の如きは好例であると思う、東湖

は実に当時水戸藩のみならず、尊王攘夷の首昌者として、天保、嘉永の頃より、天下

の気風を鼓舞作興した偉人であって、ただに政治家として一世に卓絶したのみなら

ず、文学者としても非凡な人であって、一方家庭のとしても、親に事えて至孝。子に

対しては信にして、実にあらゆる方面に於いて立派な人物であった、其の詩文の如き

も極めて気韻が高く、当時に於ける造意者であって、英雄豪傑というばかりでなく、

慈愛の情の厚い人であったが、この偉人も安政の大地震のときに、母を庇い助けんと

して危うきに投じ、母は助かったけれども、不幸にも其の身は惨死したのである。
 
 参考文献
 
 至誠と努力  渋沢栄一  榮文館書房
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