古典を音読しょうNO,91

                                                              

 
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(一)鉄道マニアと巨大組織                    2015.4.10
    
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撮り鉄、空鉄、レールマニア、時刻表マニアといろいろ新幹線、私鉄の鉄道フアンが

日本には大勢います。彼等は表面上の形状に魅力を感じているように思われるがフア

ンの奥底にはその形から時空を超えた歴史を味わっているのであります。

新幹線の魅力から例にとって推察しますと70年前に零戦闘機の研究者たちは敗戦に

よって研究対象がなくなったが鉄道において弾丸列車という夢の超特急に研究対象を

変遷して東海道新幹線を創り上げていきました。

鉄道マニアは表面上の形状から奥深い研究巨大組織の魅力を感じながら酔いしれて

フアンとして時には泣くほど感激して、夢中になっているのであります。

他国の高速鉄道を持つ国にはこれほどの鉄フアンはいないのは歴史、奥深い研究組織

が全くないからであります、日本を真似ただけの短い、表面だけの技術には魅力を感

じないのであります。
 
日本の鉄道の歴史は150年前に新橋から横浜間をイギリスから輸入した電車を走ら

せてからの研究をコツコツと積重ねた結果であります。

日本人の頭脳の特徴として江戸時代の初めに塵劫記や改算記など算数遊びの本が出版

されて算数あそびが講じてあちこちに大人の寺子屋が生まれて、教える先生が1年、

2年と教え回り行脚する職業がうまれるほど和算を道楽とする人々が多いほど知的な

士農工商の区別無く学習意欲のあるひとびとが多かったと記録されています。
 
それほど江戸時代は平和であった証であろうとおもいます。

その流れの最終的な証が日本地図を作成した伊能忠敬の出現でありました。

それほど数学頭脳が国民には浸透していたことで明治維新後にアジア一番最初に西洋

化に30年で完成したのであります。

技術立国としての日本は江戸時代からの積み重ねが現代の世界の技術を摂関する地位

にある歴史であります。
今後日本での活躍を終えた電車はアジア諸国に続々と渡って走っています、ヨーロッパ

にも其の国に合った車両が研究されて走る時代に入っています、鉄道マニアは日本

だけでなく海外に日本の鉄道車両を見学に見回る時代に入っています。多くの鉄マニア

が日本の鉄道技術を育み技術を盛り上げて繁栄していくでありましょう。
 
 
(二)方丈記を音読しよう。

著者 鴨 長明  1155〜1216  

平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人、随筆家。
 
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遷 都

また、治承四年水無月のころ、にはかに都遷り侍りき。いと思ひの外なりし事なり。

おほかたこの京のはじめを聞ける事は嵯峨の天皇の御時、都とさだまりにけるより

後、既に數百歳を経たり。

異なるゆゑなくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを世の人、

たやすからずうれへあへるさま、ことわりにも過ぎたり。

されどとかくいふかひなくて、みかどよりはじめ奉りて、大臣公卿ことごとく攝津國

難波の京にうつり給ひぬ。世に仕ふるほどの人、誰かひとりふるさとに殘り居らむ。

官位に思ひをかけ、主君のかげを頼むほどの人は、一日なりとも、とくうつらむとは

げみあへり。時を失ひ世にあまされて、ごする所なきものは、愁へながらとまり居れ

り。軒を爭ひし人のすまひ、日を經つゝあれ行く。家はこぼたれて淀川に浮び、地は

目の前に畠となる。人の心皆あらたまりて、たゞ馬鞍をのみ重くす。

牛車を用とする人なし。西南海の所領をのみ願ひ、東北國の庄園をば好まず。

その時、おのづから事のたよりありて、津の國今の京に到れり。

所のありさまを見るに、その地ほどせまくて、條里をわるにたらず。

北は山にそひて高く、南は海に近くてくだれり。なみの音つねにかまびすしくて、

潮風殊にはげしく、内裏は山の中なれば、かの木の丸殿もかくやと、なかなかやうか

はりて、いうなるかたも侍りき。日々にこぼちて川もせきあへずはこびくだす家はい

づくにつくれるにかあらむ。なほむなしき地は多く、作れる屋はすくなし。ふるさと

は既にあれて、新都はいまだならず。ありとしある人、みな浮雲のおもひをなせり。

参考文献

方丈記  講談社学術文庫
 
 
(三)洗心録を音読しよう。
 
幸田露伴 1867年 - 1947年 代表作 五重塔、 努力論、 修省論
 
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秋夜四録

秋の夜をうら悲しきものには古より云いならわしたり。実に春の夜の月おぼろに

風和ぎて、鐘の音なんども思いなしにや長閑に緩く渡るよう聞こゆる頃の様子には

似るべくもあらず。また月無く空暗くて小雨しめやかに降る夜も、春はのきの玉水

の音さへ憎からで、灯火の光、取り散らしたる机のまわり、茶碗灰皿なんどもやさ

しく浮きて、身を寄する柱の吾が背にあたる加減にすら云い難きなつかしさあり。

秋は甚だしくこれに異なり、昼の暑さの夕風にやや去りて、露降る星の夜のいさぎ

よきに小庭の闇を賞じつつ、縁先の端居を楽しむ夏の風情にも同じからず。

まして窓打つ時雨の音、或いは雪の声などに外面の景色をおもいやりながら、座布団

の温みに泥みて埋み火の仮の情けも振り棄て難う、雄心も無く果敢なき草子などに

読み入る冬の夜のおもむきとは、似通うところ有るが如くにして実は大いに異なり、

秋は昼よりも夜こそをかしけれ。されど其の夜のおもむき、春の夜のやわらかみ有り

というにも無く、夏の夜のいさぎよさありというにも無く、また冬の夜のさびあるに

もあらず。ただ秋の夜はおのづから是れ秋の夜にして、必ずしも心悲しとのみにあら

ざれど、強いて言わむには猶然言わむよりほかに辞も無かるべきにや。
 
参考文献

洗心録 幸田露伴 趣味の教育普及会
 
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