古典を音読しょうNO,96

                                                              

 
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(一)弾丸列車(新幹線の前身)         2015.5.30
 
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新幹線は今から80年前の昭和10年頃より計画されて昭和15年には着工して建設

が始まりました。 その時の名称は弾丸列車といわれ時速200キロを予定しており

ました。全体の計画では東京〜北京そしてドイツベルリンまで走らせようという

壮大な予定案がありました。その後大東亜戦争が始まり一番難工しそうなトンネル工

事は半ば完成した状態で昭和19年に中止されました。その時の計画は東京〜下関間

を計画されておりました。

その時の中心人物が島安二郎氏であり、その後其の子息島秀雄氏が昭和39年の東海

道新幹線の完成を成し遂げました。

その際の一貫した計画性は新しい技術は一切採用しないという考えで進行しておりま

した。 今まで明治5年から蒸気機関車、ジーゼル、電車の実践で活用してきた技術

を組み合わせれば絶対にできるという確信があったのです。

200キロというスピードで少しの誤りが大きな事故の原因を引き起こす恐れがあっ

たからであります。

実践で安心が確認されたものだけを採用した技術の組み合わせこそ安全、安心の基と

なっていることで新発明技術を採用しなかったのであります。

弾丸列車の計画から25年後の新幹線着手の段階では技術者は鉄道技術と戦後雇用

されたゼロ戦飛行機技術者の200人が参加して技術者同士の議論、葛藤、協力が

あり飛行機時代の世界から嘲笑されながら昭和39年に完成されたのであります。

其のスピードと安全性が世界の話題となり今では日本が高速鉄道の時代の先頭を走っ

ているのであります。

新幹線は島安二郎、秀雄親子二代に渡る尽力によって安心、安全、スピードを兼ね備

えた鉄道があります、今現在はホームを囲む柵を乗客の安全を考えて設置されること

を急がれていますがこの柵も島秀雄氏が生前に声高に唱えていた設置案でありまし

た。 その計画が十数年後にやっと全体に行き渡るようになりました。
 
参考文献

弾丸列車 前間孝則 実業之日本社

技術者たちの敗戦 前間孝則 草思社文庫
 
 
(二)留魂録を音読しよう。

作者:吉田松陰 ーー素読と武士道 NO25,26 参照
 
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同志の再起を期待する。

余徒に書するに非ず。 天下の事を為すは、天下有志の士と志と

通ずるに非れば得ず。而して右数人、余此の回新に得る所の人なるを

以って、是を同志に告示すなり。

又勝野保三郎、早、已に出牢す。就いて其の詳を問知すべし。

勝野の父豊作、今潜伏すと雖も、有志の士と聞けり。他日事平らを待て。

物色すべし。今日の事、同志の諸士、戦敗の余、傷残の同士を問訊する如くすべし。

一敗乃挫折する、豈勇士の事ならんや。切に嘱す。切に嘱す。
 
参考文献 吉田松陰留魂録  古川薫訳  徳間書店

     留魂録吉田松陰死生観 松浦光修訳 PHP
 
 
(三)葉隠れを音読しよう。
 
葉隠:佐賀藩士 山本神右衛門常朝(1678〜1748) 出家隠棲していたが

彼を慕う侍の田代又左衛門陣基が7年間足繁く通い常朝の武士道口述を筆記した著作
 
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○諫言の仕方

諫言の仕様が第一なり。何もかもお揃いなされ候様にと存じ候て申し上げ候へば、

お用いなされず、かへって害になるなり。お慰みの事などは如何様に遊ばされ候ても

苦しからず候。

下々安穏に御座候様に、ご家中のものご奉公に進み申し候様にと思し召され候へば、

下より御用に立ちたくと存じ候に付いて、御国家治まる儀に候。

これは御苦労になり申す事にてもこれなく候と申し上げ候はば、御得心遊ばさるべく

候。 諫言意見は和の道、熟談にてなければ用に立たず、屹としたる申し分などにて

は当たり合いになりて、安き事も直らぬものなり。
 
参照文献

葉隠  神子 侃 徳間書店
  
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