孟子 2
我不敏なりと雖(いえど)も、 請(こ)う之を嘗試(こころ)みん。 曰く、恒産(こうさん)無くして恒心有るは、 惟(ただ)士のみ能くすと為す。 民の若きは則ち恒産無ければ、 因(よ)りて恒心無し。 苟(いやし)くも恒心無ければ、 放辟(ほうへき)邪侈(じゃし)なさざるなし。 釈語: 放辟邪侈ーわがままかってな悪い行い。 孟子 明以教我。我雖不敏、請嘗試之。 曰、無恒産而有恒心者、 惟士為能。若民則無恒産、 因無恒心。苟無恒心、 放辟邪侈、無不為已。 爾(なんじ)は爾(なんじ)為(た)り、 我(われ)は我(われ)為(た)り。 簡釈:
お前はお前、私は私だ。 他の流言に惑わされることなく自らの信じる 行動をとる。 爾為爾、我為我。 孟子 清(す)まばここに纓(ひも)を 濯(あら)い濁らばここに足を濯う。 自らこれを取るなり それ人必ず自ら侮(あなど)りて 然(しか)る後に人これを侮(あなど)る。 家必ず自ら毀(やぶ)りて、 而(しか)る後に人これを毀(やぶ)る。 国必ず自ら伐(う)ちて、 而る後に人これを伐(う)つ。 簡訳:
水が澄めば人は冠の紐を洗い、 濁らば泥足を洗う。 人が何を洗うかは水の清濁しだいである。 同じように自分で自分を侮るから他人に 侮られようになるのだ。 家庭が没落するのも、国が滅びるのも 家内、国内に問題があるから外から 攻められるのである。 漢文 清斯濯纓、濁斯濯足矣自取之也
夫人必自侮、然後人侮之。 家必自毀、而後人毀之。 国必自伐、而後人伐之。 孟子(公孫丑「こうそんちゅう」篇) 夫(それ)志(こころざし)は気の帥(すい)なり。 気は体の充(じゅう)なり。 それ志 至(いた)れば、気はこれに次(つ)ぐ。 故(ゆえ)に曰く、 その志を持してその気を暴(あば)くなかれ。 既(すで)に志(こころざし)至れば気これに次ぐ。 その志を持して、その気を暴くなかれと言うは何ぞや。 曰く志
壱(いち)なれば気を動かし、 気
壱なれば志を動かせばなり。 今それ蹶(つまず)く者が趨(はし)るはこれ気なり。 而(しこう)うして反(かえ)ってその心を動かす。 古典簡約 確固たる目的、意志は、気を従えている。 志は気を動かし、気は身体を動かす。 精神がしっかりしていれば体は元気も出てくる。 志を持てば気はこれに従う。 「その志を持してその気を暴くなかれ」とは何ですか。 志を集中して気を動かし気が集中すれば、 反対に志を動かすこともある。 例えばつまずいてよろけて前のめりになって 前に歩くは気が志(意志)を動かしているのだ。 古典漢文 夫志、気之帥也。 気、体之充也。夫志至焉、気次焉。 故曰、持其志、無暴其気。 既曰、志至焉、気次焉、 又曰、持其志、無暴其気者、何也。 曰、志壱則動気、気壱則動志也。 今夫蹶者趨者、是気也。 而反動其心。 孟子(もうし)曰(いわ)く、 人は恒(つね)の言(げん) 有(あ)り。
皆(みな)天下国家という。 天下の本(もと)は国に在(あ)り。 国の本(もと)は家に在(あ)り。 家の本(もと)は身(み)に在(あ)り。 簡約:
古典大学を短く解いた言葉である。 皆国のため、国家のためというが、国の元は家庭にあり、 家庭の元はわが身にある。国を思うならばわが身を修める ことが肝心である。
天下之本在国。国之本在家。家之本在身。
自(みずか)ら暴(ぼう)する者は、 与{とも}に言{い}う有るべからざる也。 自ら棄(す)つる者は、 与(とも)に為す有るべからざる也。 言(げん)、礼儀{れいぎ}を非(そし)る、 之(これ)を自暴(じぼう)と謂(い)う。 吾が身、仁に居(お)り義によること能(あた)わざる、 之(これ)を自棄(じき)と謂{い}う。 仁は人の安宅{あんたく}なり。 義は人の正路{せいろ}
なり。 安宅{あんたく}は曠{むな}しくして居{お}らず。 正路(せいろ)を舎(す)てて由{よ}らず。 哀(かな)しい哉(かな) 簡約:
自分を害する人とは共に話し合うことはできない。 わが身を捨てる人とは共に行動することはできない。 仁は人の安らかになる家である、義は人の正しい道である。 その道を通らないことは哀しむべきことである。
自棄者不可与有為也。
言非礼義、謂之自暴也。
吾身不能居仁由義、謂之自棄也。
仁人之安宅也。義人之正路也。
曠安宅而弗居。舎正路而不由。哀哉
孟子曰く、道は爾(ちか)くに在り。 而(しか)るに諸(こ)れを遠きに求む。 事は易{やす}きに在り。 而(しか)るに諸(こ)れを難(かた)きに求む。 人は人をその親を親として、 その長
を長 とすれば、 天下
平らかなり。 簡約: 人の道は日々の生活のなかにある、 が人は難しいことを求めている。 この世は親を敬い、長を尊敬することが 世の中を安定させる道である。
事在易。而求諸難。 人人親其親。長其長、而天下平。 |