中庸の考え
   
中庸の考え1 六中観 自然災害と人間 自然と周囲の陰陽決定法 現代の風潮
現代最大の護美 陰陽と生きがい 現代の陰陽的社会観 全即個, 個即全 陰陽のまとめ
中庸の考え2 中   庸 善   悪    

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 中庸の考え1

 山本七平氏の著書『常識の非常識』の中で、

「根拠なき前提がいつしか常識(陽)となって通用し、人々の思考がそれに
 
 拘束されると社会の通念に従って常識的に考えかつ行動しているつもりが、
 
 結果において意外な非常識(陰)となってくる。

 この一文に、世の中の移り変わりは、陰陽、陽陰と循環していることを、
 
 うまく表現されていると思う。

 泡沫経済の時、友人が「借金も財産の中」と言いつつ、多くの借金をし、
 
 今は会社を窮地に追い込み、倒産一歩手前であえいでいる。

 借金して土地を買い、株を買うことが常識であったのである。
 
 その常識に従い行動した者が、今大部分の人達が、苦しみを味わって
 
  いるのである。

 多くの儲け(陽)の裏には、多くの損(陰)が隠されているのである。
 

 生活、仕事、社会、家庭いろいろな分野において、陰陽思想で考えてみる
 
 ことも、これからの時代必要のように感じます。

 この考えが、少しの清涼剤の役目となればと思い記した次第です。




 六 中 観

 サラリーマン時代の友達が定年で会社をやめて訪ねてきてしみじみ
  語って言うには定年になったらいろいろやりたいと思っていたのだが
、いざ定年になってしまうと、暇を有効に使うことができず、何もやる
   気が失せて何もやらずに、一日を過ごしてしまう。 
   やりたいと思った時、やるべきだったと悔いていた。 
    
  この嘆きは当然であり、六中観のなかには 『忙中・閑有り』の言葉通り
  暇の中には閑はないのである。 陰のなかには陰はないのである。
  忙しい(陽)中に、閑(陰をみつけてこそ、有効に活用できるのである
  忙中の旺盛な気を活用してこそ閑を有意義になるのである。
        
  ビジネスに忙しい(陽)時こそ、陰の時間すなわち読書、瞑想
   、散歩、趣味、道楽、スポーツを行なうようにすべきである。
    陽のなかでやってこそ陰の時間が生き、又 陽、ビジネスに役立ち
   、相乗効果が出てくるのである。
 
  六中観では、他に『死中・活 有り』『苦中・楽有り』『壺中・天有り』 
   意中・人有り』『腹中・書有り』がある。              
 この中で 陽            陰                           
      活有り   と   死                      
      楽有り   と   苦     陰陽の差が大きい程教えの印象度 
      天有り   と   壺     が高いように思う。   
       人有り   と   意中

       腹中       と     書有り  

       忙中    と   閑有り            
 
 自然災害と人間

 北朝鮮の人たちが、飢餓で苦しんでいる姿を新聞、テレビ等で見る機会が 
  多くなってきた。
  
  この国の飢餓は偶然に起こったのか、この飢餓はお米の不作は国民の精神 
   的曇りが最大の原因であるように思うのは、私だけであろうか! 
 
   国の指導者の悪さは勿論である。
                  
   伝わってくる情報だけで考えてみるとこの国の考えは、韓国が悪い
   、日本が悪い、アメリカが悪い、自然災害(あるときは雨が降らない
    日々、ある時は洪水になり)が悪い                      
    他人、他国、環境、自然災害がすべてが悪いと考える。ー陽的考え 
  
    自分、自国、我々が悪いと考える          ー陰的考え
 
 国内の情報は、韓国、アメリカ、日本が悪いと流し、         
国民全体が陽の考えが過ぎて、自らを滅ぼしているのである。精神的に、
陰陽のバランスがないため、物質的な成長、進歩、発展ができなく、
大自然の恩恵も遠のき、雨が降らず、日照りが続き、次に台風、洪水になり
、農作物に被害が及び、お米の不作になり、他国の援助を受けているのである。
陰的考えを入れずに、努力精進が怠った結果が自然にも見放されたのであろう。

北朝鮮に限らず、ラズベガス、神戸の大地震にしても、その土地に住む人達
の意識の曇りが原因があると確信する,曇りとは陽の考えが過ぎることである。
                                            
      
   自然と周囲の陰陽を決める法

 陰陽の決定は直感によってわかるもので、考えて、教えられて分かるもの
 ではない。

 瞬間的に決めるもので間を開ければ、左脳が働き、考えて答え事に、
 つながる。陰陽の原理は古代の聖人が無学の一般人民にもわかる簡単
 明瞭な自然現象、生命現象社会現象の説明であり、生活の指導原理である。
 
すべての人が陰陽を直感する力を持っているのである。いろいろな陰陽
対象の語を列挙し、一つ一つ陰陽を瞬間に判断していくのである。
 間違いとかを気にせず、瞬間に判断していく、間を開ければ、
 左脳が働き直観の判断でなくなる。
 
 例えば

   天 と 地    動 と 静    柔 と 剛   空間 と 時間 
     上 と 下    前 と 後    右 と 左   外  と 内 
   
   始 と 終    冬 と 夏    春 と 秋   昼  と 夜  
 
   父 と 母    上司と部下    妻 と 夫   男  と 女 
 
   政府 と 国民  遠心性と求心性  拡散力と圧縮力 寒さ と 暑さ 
 
   高 と 低    明 と 暗    重 と 軽   健康 と 病気 
 
   
      赤 と 紫    子供 と 大人  欲望と内省   愛 と 憎 
 
    以上の如く陰陽相対性の語句を 並べてみたが、瞬間、瞬間に判断して、自分の

   陰陽を決めていくのである。 始めは、自信がなく正解は得られなくとも、
    瞬間的に判断し決断するのである。

 何回か集中してやってみて、確信が得られなくその都度違っているようでもやってみる
 のである。
 
しばらく時期をおいてから又やってみるのである。 ある時すべて、すらすらと確信

 を持って判断できるのである。 その陰陽の正解は誰に教わることではなく、
自分自身で、曇りがなくなり青空が広がる如く、はっと正解だと自信が持てる
のである。 なぜ そうなるのか、学問的には不明だが経験的にいうと、瞬間、
瞬間判断すると左脳(知識)を無視することに慣れて右脳で判断できるように
なってくるのである。 左脳が働かないとは、今まで言葉で得た知識を活用
しないことである。
 
私の体験から判断すると、今考えているのは前頭葉といわれる脳のおでこの
部分であり 次に左脳につながり右脳に行く。 右脳には陰陽を判断する能力
がそなわっている。だが時間をあければ、左脳で考えて判断してしまうの
である。瞬間に判断すれば左脳につながらず、右脳の感性で答えられるのである。
                                               
 

 

現代の風潮
  全ての出来事は、自分の責任である。 ー ー ー ー  陰的考え方  
  全ての出来事は、他人、周囲、環境の責任である。ー ー 陽的考え方
    
神戸の幼児殺人事件があり、その犯人が十四才の中学生であった事で日本中
が愕然となり、学校に責任があるのではないか、先生の体罰が原因があった
のではないのか  生徒に間違った教育をしているのではないのか、マスコミも
含めて学校に非難が集中しているように思われる。       
世の中の風潮として今陽的考え方が充満し過ぎ 陰的考えを無くしているの
ではないのか、家庭での教えが基であり、土台であるべき事が、全ての教え
を学校に押しつけ全ての責任を学校のシステム、先生に押し付け、きつい
対処の仕方をすれば体罰があった、言い方が悪いとPTAが学校
を批難するのである。   親が注意できないことを、先生が
するようになり、責任はすべて学校にあると言う風潮になっている。

  
  学校の教え 陽ーー家庭の躾、教え 陰 

  全ての教えの基は、家庭の躾である。その教えがしっかりしていれば、
その躾が土台になり、学校の教えはうまく積み重なるのである。 
親が体罰をしてでも、躾をしないで全てを学校に押しつけておいて、先生の
少しの体罰で「体罰はいけない」と先生をつるし上げるのである。
     
現代の風潮として、全てのことを、他人に任せて、責任も他人に押し付ける
神戸の幼児殺人の犯人が通っていた中学においても、事件の
内容説明会に来た親達が7割も出席し 意見は、学校の責任であるかのような
言が多かったように思う。 躾の基、土台は学校でなく家庭の教えがすべてであり、
学校には全く責任がないように思う。
 
  土台は家庭で築くもので、0才から5才までに完成するものである。
その後学校で、教えるものは、その土台の上に、乗せる知識であり土台ではない。
家庭で築く土台がしっかりしていないため、知識の多さ、重さに耐え切れず、
倒れ,崩れて今回の幼児殺人の様な間違った行動が出てくるのである。 
    
この事件の状況を、新聞、テレビ等によると、環境が悪い、学校が悪い、先生の言葉
が悪いと陽の責任にしている。  
                  
生徒の親達も、学校に責任があるのではないのか、と問いつめる意見が多く、学校の校長の
事件後の学校の方針、説明には納得が行かないと言う不満が多く出ていた。
 
全ての責任は親の責任、親の躾が悪いと考える陰の責任と考える転換時期に来ているような
感じがする。   

現代の風潮として全ての出来事は他人、環境の責任であると言う陽的考えが過ぎる。 
 ここで陰的考えを入れることにより、改善策が探り出せると確信する。

レストランで良く見かける光景で、自分の子供が騒ぎ、暴れているのに、
注意もできずに、他人が叱ると、怒る親がいるが、現在の学校問題を
象徴している。 これは、第一勧銀、野村證券の件も、他人が悪い、世間
が悪いから、その世間から自社を守るため、総会屋に桁外れの金銭
を与えるような不祥事が起こるのである。すべて自分が悪い、自分の
責任であると言う考えもが必要になってくる。アメリカでは、おもしろい
事件があった。 
       
 マグドナルドのホットコーヒーを飲んでいて、自分がこぼして火傷をした。
 裁判をして一億円以上の慰謝料をもらった人がいた。
    
     
全ての出来事は、他人の責任にする陽的考えの極みである。
     
日本も、陽の考えが過ぎる事が、アメリカに並びつつあるように思う。
  
世の中、上司が悪い、会社が悪い、先生が悪い、学校が悪い、他人が悪い
、環境が悪い等、陽的考え方が充満している。  すべて自分が悪い、
  自分の責任であると言う陰的考え方を入れていくべきである
 陰的考え、陽的考え過多にならないように、中庸を心がけるべきである。     
                                           
 
 現代の最大の 護 美 
 
  肉体のゴミ ー 病気 
                              地球的に今最大問題で有る三大ゴミである。 
                         
  精神のゴミ ー 雑念 ストレス         
                     
                     
  物質のゴミ ー 一般的ゴミ,大気汚染、宇宙ゴミ 
  
これからの時代は、この三大ゴミをいかに無くしていくかが、地球の平和
そして大和の基である。 ストレスの処理、精神の活用をいかにしていくか
、精神はエネルギーである。 現在のように、ストレスをそのままで有れば
、肉体は病気になり又社会の病巣が増大し、あらゆる問題、事件が多くなっていく。
 
二十一世紀の時代は、この三大ゴミが無くなっていくだろうと言われている。

物質のゴミ問題の解決は、地方行政だけでは、解決できない。

ヒントは、燃やすことは一切しないドイツの処理方法が参考になると思う。 



  陰陽と生きがい 
   
            幸福ー陰
     
            不幸ー陽
     
 生活の保障だけが人間の幸福であるならば、社会保障の進んんでいる       
 国民は、幸福を満喫すると思うのだが、そういう国程、自殺者が多いのである。
    
 スエーデン国も、社会保障が行き届いていて、例に漏れず自殺者が多いのである。    
             
 人間が幸福と感じるのは、自分の体験した不幸、苦労と現今の状況とを比べて               
 その差が大であれば有る程幸福を感じるのである。
 
 スエーデンのような社会保障されている国民の心理は、陰陽差が小さいのである。

何も励むものが無く、人生の幸福(陽)が退屈に感じられ、生きがいが無く自殺の原因
になってくるのである。毎日生活の糧を得るために労働しているものは食べて生活できる
だけで幸福なのである。
陰陽の差が小さいと幸福が長く続くと退屈に感じて、陽が転じて陰となり不幸と感じ
自殺する行動が生じるのである。
 
従い生きがいとは、楽しみと苦しみ(陽と陰)幸福と不幸(陽と陰)
、陰陽差が大きいほど生きがいを感じ、幸福となる。  
 
                                        
 
現代の陰陽的社会観   

 いじめについて             
  目標を強制する上司  と  部下 
  テレビにおいて有名人が離婚したり密会している    PTAから体罰はするなと言われる先生         
          
  写真を撮られて学校では、いじめが、大きな問題になっている。
  しかし母親はテレビを真剣に、見たりする番組は有名人の噂を追いかけている
  レポーターの動向である。         
 
世の中の風潮として、いじめ世界なのである。レポーターが有名人をいじめている
のをおもしろいと見ている主婦    
 
主婦は自分の子供に、勉強しろ、もっと勉強しろといじめる主婦 
       
自分の子供のしつけを十分にできずに、放棄し、学校に任せきり子供が先生の指示に
従わず、叱られ少したたかれたりすれば、親やPTAから先生は責められるのである
他人がいじめられているのを、喜んでみている親が自分の子供が同じ立場になれば、
耐えられず 先生の体罰を批判するのである。 
 
 
根源的には、何があるのか 

マスコミによるイジメ風潮が社会全般に深く老若男女の心の中に浸透し
世の中に、いじめが心のなかにおいて、土台のようなものとなりその上
に社会が成立しているようだ。 雑誌のフライデイ、フォーカス、テレビ
のうわさの番組等をおもしろく感じ見る事が全ての頑凶で有り他人が失敗したり
 
他人の悪い噂、失敗を聞いたり見たりして発散する風習となり、自分に及ぶと
腹が立ち、ストレスを感じるのである。


                                          

 

 全即個、個即全

最近の科学の進歩はめざましく特にDNAの進展は目をみはる程である。
動物ではクローン動物が誕生したニュースが流れクローン人間が隠れて
誕生してしまう事を危惧するような時代になってきた。

人間には、60兆の細胞があり、その細胞の中の核内に遺伝子DNAは、
40億の情報を持っている。異常がなければ遺伝子DNAは60兆すべて
同じ情報を持っている
。
現代において4人に1人はがんで亡くなるそうである。  そのがんだ
とわかるのは1個のDNAの異常な変化から10年近く経てやっと発見
されるのである。

身体の中の60兆分の1の、その又40億分の1の異変から臨床的な原発性
がん(約1グラム、直径0.5センチ)になるのに9年かかるそうである。

その大きさにならないと発見できにくくその後はあっという間に大きくなる
のである.
 実際西洋医学では、60兆分1の初期異常の発見は不可能である。

だが東洋医学的では、異常はつかめるのである。
  
がん細胞が人体を死なせるのに13〜15年であると言われる。すなわち
DNAの異変から13年ぐらいで身体を破壊してしまう。初期〜5年ぐらいで
発見できれば節制と呼吸法で簡単に治す事ができるのである。

どうして発見するのか、ヒントは気である。
60兆分1個のDNAは人間の身体のすべての情報が含まれている又他の
60兆個のDNAはすべて同じ情報を持っている

一人の頭脳の中には、全宇宙の情報を持っている。70億人すべて同じ
全宇宙の情報を持っている。

一つの気は身体のすべての情報を持つ。

小さいスケールで起こっていることは大きなスケールでも起こっている。

世の中 個が全てを表現されていて、全ては個で表現されている。

易経の卦においても陰陽は64卦の易経すべてを表現している。

陰陽だけで多くの事柄を推測し、予測することができる。

この全即個、個即全この証明を東洋哲学的の理論で説明して科学万能の
現代に一石を投じる事になると思う。
   
現代の西洋医学に、東洋医学の理論を活用すれば、日本の国家予算30兆円が
10兆円に節約できるはずである。
  
                                                 
  
 
 陰陽のまとめ

 老子のなかで、万物は陰陽よりなる、例えば 有と無、表と裏、難と易
、長と短、上と下、前と後、陰と陽は同時に生まれ、同時に成長し、
  対立し、求め合い、調和し補いあっている。

 陰と陽とは相対的関係で有り、一体である。

 従い陰がなくなれば、陽もなくなるのである。

 陰陽で表記すると
       
(陽)−−−−− (陰) (陽)−−−−−(陰) (陽)−−−−(陰)
                             
 時間     空間    愛      憎    南     北
         
                                       
  生      死    楽      苦    昼     夜    
                         
                            
  夏      冬    戦争     平和   右     左
                                   
  悪      善      男     女   下     上     
 科学     宗教    積極     消極   子供    大人    


中庸の考え2

 あいまい、フアジー、いいかげん、真中、あまり良い印象を与えない、
 はっきりしない考えが先行して、真の中庸を掴めないように思う。

 このはっきり結論の出ないことこそ東洋の哲学の特長である。

 感性、精神性を言語に置き換えているため、各人が違った解釈をする
 ようになる。

 どの解釈も、一理あり一語句の解釈は、大きな巾があり、奥行きがある
又時代により状況により解釈が、全く真反対になることも出てくるの
である。

 中庸の二文字の解釈にも、一冊の本になっているように、拡い意味、
奥深い解釈が含まれている。

陽極まりて陰となり、陰極まりて陽となる。

すべてにおいて陰陽、陽陰と循環しており昨日まで正しかったことが今日は
、間違いと判断されることは多いのである。 今と泡沫経済時との金銭感覚
 が逆であるように常に反対の考え方に対して真剣な注目をする、
 そして何かそこから新しい一つの事実が発見されれば、これを取り入れて
 いく考え方が、仕事において政治、経済、科学、すべての文化に共通して
 いる時代になっていると思う。

 これからの時代は、自らの考え方に、幅のある、ゆとりのある他人の意見を
 受け入れる 寛容な度量のある考え方が必要になってきました。

 陽と考える者が、陰の考えを相待ち、良き意見は受け入れ熟考し行動していく。
 
  
 違った意見は、絶対反対と、自らの考えに固執する考え方は、即行きづまる
 時代になってきました。

 世界的に考えると西洋の『理性』と東洋の『感性』を相待ち統一し向上して
 いくことが 必要な世情に現今なっています。

 時代の変化が激しい現今、特にこの中庸の考えが重要な時代になってきた
 ように思います。                                 

 

 
   中庸 

 世の中の移り変わりは、千年単位で考えると、思考方法、人間観察、文化、
 学問、音楽 政治、などを考えると、大きな変遷がみられる。

 ある時代には、善になり次世代においては悪とみられる。

 天文学において、コペルニクスやガリレオはその時代は天動説が善と思われ
 ていた時代に地動説を唱え、反発を受け国より犯罪者にされている。

 モーツアルトにしても200年前には一介の音楽家に過ぎなかったが、
 
いまは大作曲家今、聖人といわれる、現在歴史上に 名を残している人々
は今までの時代の大きな波、変遷に耐えぬき、今その聖人の思想が残って
いるのである

千年、二千年間耐えぬいた思想は普遍的真理でなければ、残ることはないのである。

又近くの虹は見えないが遠くの虹ははっきり見えるように、100年以上
経ると物事の本質がはっきり観えてくるのであろう。

 同時代に生きているものには、良否が分からなかったことが、遠い時代を
みると良きものは、はっきり判別でき、良きものは、周囲が暗い中を、
光り輝く存在となり現在の人を照らしているのである。
 
その光輝の存在が現今は、東洋哲学の古典であり、モーツアルトの音楽
であろう。
 
東洋哲学の言葉には、無、妙、空、中庸 のように漠然として、一言では
 
説明することができない字句が多く存在する。
 
精神的である、感性を説明することは、型がないものを言葉にしてしまうと、
一部分は、正解だが、全く違う面もあり言葉として理屈づけして真反対のことも、
それにも一理あり、それも一部正解となり、理性的解釈からすると、
あいまい、デタラメでは ないか言われる面も出てくる。
 
感性を言葉で解釈することは、難しく従い一語の説明に一冊の本に
なってしまうのである。 一語句を説明するのに、時代背景により、
感じた本人の環境により、本人の性格により、解釈する仕方が全く
違い、立場が違うこと、遠くからみているのか、近くからみている
のか、正面から見ているのか、横から見ているのか、
 
一語句に、広い巾があり、深い奥行きがあり、高貴、気品であり各様の
性格、置かれた状況により、精神状態により、全く解釈が違ってくるの
である。

理性的に判断であれば、間違いであるが、感性を言葉にしているので
どこか必ず一理あるのである。

この中庸の考えこそ現代に活かすべき知恵ではないだろうか。
  善 悪

  老子二章に

  天下、皆、美の美たるを知る、これ悪のみ。

  皆、善の善たるを知る、これ不善のみ。

  故に有無相生、難易相成し、

  長短相刑し、高下相傾け、

  音声相和し、前後相随うは恒なり。
  
  ○天下の人は、皆自分の言行を、美しく正しいと思っている。
    これは皆悪人である。

  天下の人は、皆自分の言行を、善行だと思っている。 
  これは皆不善者である。

  万物は、陰陽からなっている。例えば有と無、難と易、長と短、
  高と下、音と声、前と後である。

  陰と陽は、同時に生まれ、同時に成長し、対立しあい、求めあい
  、調和しあい、補いあっている。いいかえれば陰陽は一体である。

  老子は、自分の善行を善行としない(無為)

  自分の考え(陽)に固執せず、周囲の考え(陰)相待ち、統一し
  成長し発展することが望ましいと言っているのではないだろうか。

  現時代は、度量のある寛容な考え方、柔軟な精神が必要な時代である

  今までは、大が小を吸収したが、これから小が大を呑み込み、柔軟が
 
  剛強を支配する時代になっている。善悪逆転である。 頭脳の逆転を
 
  しなければ二十一世紀の社会を闊歩することはできない。そのためにも、
 
  中庸の考えを重要視するしだいである。            
      

 

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