一灯照隅
 
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天網恢恢疎にして失わず

善行五十ヶ条

陰的な考え

悪行五十ヶ条

現代の風潮

功過格(1)

一億円の豪邸に住む人

功過格(2)

陰  徳

ダイアナとマザー・テレ

 
天網恢恢疎にして失わず
 多くの人からも人気があり、地位も有り、家庭にも恵まれて幸せに暮らし
 ていた人が急に病にかかり亡くなる人があるが、どんなことにも因があり
 果が生じる世界で有り、その人が一人になった時又隠れた部分を検証すれ
 ば、早死にする、病気になる因を必ず作っている。天は善良因を積めば
、必ず 良き果を生じ、悪因を積めば悪果を与える。				 
 天は、疎にして漏らさず見ている。	行動だけでなく心の内も、漏れ
  なく見ている。		
 老子七十三章に、天網恢恢、疎而不失		
	 		(てんもうかいかい、疎にして失わず)	
	  		天の裁きは判決の是非を争わなくても、常に正しい	
	 		天の裁きは催促しなくとも、必ず判決される。	
	  		天の裁きは訴えなくとも必ず行なわれる。

		  天の裁きは大まかなようでも、巧妙に計画されている。
	
		  誠に、天の法網は広大である。天網の目は粗く見
 
              えるけれども善人は必ず賞され、悪人は必ず罰せられる。

		  人間の世界は、常に正義の世界である。
 
 
      因を重ねて、果が生じるのに時間がかかり天から与えられる
       期間は、即結果がくる時、十年後に来る時、数十年後、又次後世
       と我々人間の推しはかれないものである。
                                             
 陰的な考え                      
 

 密教に準後業、準現業、準次業という言葉があり、天は全てのことを、
長い期間でみている.現在起こる結果は、何が起ころうとも、自らの因により
生じたものであり他を恨むことなく自ら反省せよ。過去世における業が現在
おこる時も有り今の因が現世の数十年後に起こる場合もあり、天の法網は、
時間的に、空間的にも広大で天の裁きは必ず因に応じた果を与える。

従い事件に巻き込まれたという人がいるがその人にとって何も悪い行ないは
していないと本人は思うが、天の法網には間違いが無い、前世においての
 因が現世に現れているのである。	
 何が起ころうとも全て自らの因により生じた結果として受けとめ反省、努力、
 精進しなくてはならない。
自らの悪因を氷解させ、和らげるためにも 積善、陰徳が重要であると思われる。	
 
現代の風潮 
 
 全ての出来事は、自分の責任である。	ー  陰的考え方	
 全ての出来事は、他人、周囲、環境の責任であるー陽的考え方	  
 神戸の幼児殺人事件があり、その犯人が十四才の中学生で
あった事で日本中が愕然となり、学校に責任があるのではないか、
先生の体罰が原因があったのではないのか 生徒に間違った教育
をしているのではないのか、マスコミも含めて学校に非難が集中
しているように思われる。
		 
 世の中の風潮として今陽的考え方が充満し過ぎ 陰的考えを
無くしているのではないのか、家庭での教えが基であり、土台である
べき事が、全ての教えを学校に押しつけ 全ての責任を学校のシステム、
先生に押し付け、きつい対処の仕方をすれば体罰があった、言い方が悪いと
PTAが意見をはさむのである。	
親が注意できないことを、先生がするようになり、責任はすべて学校にある
と言う風潮になっている。
  学校の教え	陽 ーー 家庭の躾、教え 陰 
 
 全ての教えの基は、家庭の躾である。その教えがしっかり
していれば、その躾が土台になり、方向性を示しているので、
学校に責任は無くすべて家庭にある。
 親が体罰をしてでも、躾をしないで全てを学校に押しつけて
おいて、少しの体罰で体罰はいけないと先生がつるし上げにあう。
 
		
 現代の風潮として、全てのことを他人に任せて、責任も他人
に押し付けるのである。 神戸の幼児殺人の犯人が通っていた
中学においても、事件の内容説明会に来た親達が7割も出席し
意見は、学校の責任であるかのような言が多かったように思う。 
  躾の基、土台は学校でなく家庭の教えがすべてであり、
学校には全く責任がないように思う。	
土台は家庭で築くもので、0才から5才までに完成するものである。
 その後学校で、教えてもその土台の上に、乗せる知識であり
、土台ではない。		   
 家庭で築く土台がしっかりしていないため、知識の多さ、
重さに耐え切れず、倒れ、崩れて今回の幼児殺人の様な間
違った行動が出てくるのである。		
 この事件の状況を、新聞、テレビ等によると、環境が悪い、
学校が悪い、先生の言葉が悪いと陽の責任にしている。	
				
 生徒の親達も、学校に責任があるのではないのかと問いつ
める意見が多く、学校の 校長の事件後の学校の方針、説明に
は納得が行かないと言う不満が多く出ていた。全ての責任は
親の責任、親の躾が悪いと考える陰の責任 と考える転換  
 時期に来ているような感じがする。
 
  現代の風潮として全ての出来事は他人、環境の責任である
と言う陽的考えが過ぎる。 レストランで良く見かける光景で
、自分の子供が騒ぎ、暴れているのに、注意もできずに、
他人が叱ると、怒る親がいるが、現在の学校問題を象徴して
いる。	これは、第一勧銀、野村證券の件も、他人が
悪い、世間が悪いから、その世間から自分を守るため、
総会屋に桁外れの金銭を与えるような不祥事が起こるので
ある。	 すべて自分が悪い、自分の責任であると言う考え
が必要になってくる。	   
 
アメリカでは、おもしろい事件があった。	
	 
ー マグドナルドのホットコーヒーを飲んでいて、
自分がこぼして火傷をした。   裁判をして一億円
以上の慰謝料をもらった人がいた。		   
全ての出来事は、他人の責任にする陽的考えの極みである。	
	日本も、陽の考えが過ぎる事が、アメリカに並びつ
つあるように思う。	 世の中、上司が悪い、会社が悪い、
先生が悪い、学校が悪い、他人が悪い、環境が悪い等陽的
考え方が充満している。	すべて自分が悪い、自分の責任
であると言う 陰的考え方を入れていくべきである。					
陰的考え、陽的考え過多にならないように、中庸を心がけるべきである。
		                      
 
一億円の豪邸に住む人	        
 

  友人の近隣に豪華な建物があり、その家の奥さんが
 隣の桜の木から落ちてくる花弁他の掃除が毎日世話が
  かかると旦那にこぼすと即座に、隣の桜の枝を切ってしまい
、 切った枝すべてを庭に放り投げてあった。
 
  桜の木の持ち主が友人の家に来て、桜の枝が出ているので
、邪魔でしょうから切りましょうと訪ねて来たので 
『毎年、我が家では花見が自宅でできるのを楽しみにして
 いるので桜の木はそのままで結構です。』と答えた。

  ●一億の豪邸に住む人は、木の持ち主に断らずに枝を
   切ってしまう行動 
   
  精神的ー他人に怒りをぶつけている。

  ○友人の家 庭に花びらも葉も落ちて庭掃除もする、桜の
  風情を楽しみ花見という行動

  精神的ー周囲、環境の変化に、順応し楽しむ余裕を持っている。 
   
   
  何が違うのだろうか、

  物質的に豊かになり相手を思う、相手の気持ちになる考えが無く
   なってしまうのか!
			  
 ●金銭、物質的に豊かになり、それに注意、気を注がれて物質的な
  量が大きくなり、精神的量が小さくなっていく。 
  従いバランスが悪くなり、精神性が乏しくなる。	  

 ○物質的、精神のバランス、中庸が自然環境を楽しむ余裕			  
  が生まれる素因となると確信する。	
 
では●から○にする方法は
  、陰隲録に教えられていることを、次に記そうと思う。。 

                                       
 

 

 
陰	徳 (陰隲録より)
 

現代の世相をみると、多くの人が礼を失っているように、
感じる。

 山、海に、花見、遊びその後はゴミの山である。 街を歩い
ている人は、煙草の吸殻は道路に捨て、空缶もそのまま
捨て、自分が楽であれば良い、自分の思うまま、行動し 
 他人のこと、全体のことを無視した行動が多過ぎるよう
に思う。
   
 陽の考え				           陰の考え
自分の言動の後始末は、他人がやってくれる。      自分の言動は自ら責任を持つ	  
ゴミは清掃する人間がいるので、煙草、
 ポイ捨てもいいじゃないかと考える。	           空缶は 煙草の吸殻、ゴミは所定の場所	
 
企業において				             企業において
空缶回収は消費者、市町村がやるべきである。    企業自ら責任を持ち、リサイクル、
全ては、他人、環境の責任である。	      そのほかを実践する		
自己の利益、享楽、安楽を貪る事を求めて	   全ての責任は自分にある。 
他を無視していく心理が生じてくる。	       利他の精神を持つ 
  
  陽の考えが過ぎれば、争いが生じ乱れた世の中になるのは、現在の世相を見ても
  明らかである。

  
  この日本の環境を良くして行くには、陰の考えを持つ人が多くなる
  必要がある。 
  陰隲録

  『世の中を良くするには、一灯照隅より他にはない。一人一人が一灯に
  なって、それぞれの一隅を照らして行く、自分の周囲を十分に活かすと
  同時に、現今の自分の使命、責任を果たして行く、これより外に道はない
  と思う。自分一人ぐらいが何をやろうが、いいじゃないか、というふうに
  考えて何もしない、この考えが一番いけない。 どんな小さなことでも
、どんな役に立たないと思うようなことでも自分が善と信ずることに全力を
  注ぐということが大切と思う」
 
  現代は『誰もが自己の利益と享楽、安楽を貪ることを求めて、
  そのためには何物も無視していくと言うような考えが生まれてきた。 
  これが一番大きな禍の基になっている。《陽ー自分勝手の考え) 
  そうではなく、自分のやるべき最小限のことをやっていく、
  それらの善行を積み重ねて行く、 そういう心掛けを周囲に普及していく
  いつの間にか世の中が大きく変わっていく。』
 
 易経の文言に、『善を積んだ家は必ずその余慶が後々まで及んで、子孫が
 栄える』とある。

  善というものは、これを為して人に知られようとしては何にもならぬ、
  人知れずに行なって初めて陰徳といえる。ただ大切なことはその時その
  時自分の心を点検して、善を為す事が真実の心から発することだと確認
  する。					 		
	又陰隲録の立命の学の章には、			  		  
 善事三千条を実行して、天地の徳に報いんことを誓ったのである。
善悪の基準を書いた功過格というものを出して行なうことを毎日
記載するように命じられた。			
これは善いことをすればその数だけプラスし、悪いことを
すれば反対にマイナスにつけるのである。 
 

 善事をすれば、プラス、悪事をすればマイナス、という風に毎日の行を
 プラス・マイナスで記載するわけです。 例えば道端に人が躓きそうな石
 が転んでいる。	これを脇へよけてやるとプラス一点生き物を殺すと
 マイナス一点というわけです。だから善事三千条というと大変なことの
 ようだけれども、功過格で考えるとそう難しいことではない。反対に悪事
 三千条もその通りで、通勤の途中など五十人や百人の女の人を見るでしょう
から、それにちらちら浮気な一瞥を与えなどすれば、忽ちマイナス百点く
らいになってしまいます。 次に功過格表を示しましたので実行してみ
てください。	実際にやってみると面白い、いろいろな発見が得られると
思います。	どんな体験かは、善事千条を超えたところで、何かが生ま
れて来るように思います。 しかし努力して善を為しながら、一向に
そういう顔もせず無心にこれを行う者が貴いのであって、これが本当
の善というものである。	みんなで善事三千条をめざし、実行し、
一偶照灯してみようではありませんか。  世の中を大きく変えよう
と思わず、自らの周囲を変えていくことも思わず自分自身を変身させ
ていく事に専念することにより善が伝わり循環し、大きな輪の循環が
生じて来るように思います。
                                               

 

  
功 過 格
    自らの功績と過ち(あやまち)との格差を調べる。
 
善行五十ヶ条	                  
 

  一	百善に値すること。 
	  1.一人の死を救うこと。	
	  他人を救助すること。
     2.婦人の貞操を完うせしむること。 
     3.捨子または、堕胎を思い止まらしむること。
  
    二   五十善に値すること。

	  4.世嗣の断絶を免れしむること。
	
	  5.寄るべなき者を引き取りて養育すること。
 
	  6.無縁者の死骸を埋葬すること。

	  7.流浪人に職業を与えること。 
  
     三	三十善に値すること。

	  8.出家を得度せしむること。
  
	  9.無法者を教化すること。

    10.冤罪を救うこと。
 
      11.無縁者の埋葬に地所を提供すること。
  
     四   十善に値すること。
 
	 12..知徳に富む人を就職せしむること。
  
	 13..公衆の一害を除くこと。
      14.救民の方法をたてること。
   15.治療術を用いて重病者を癒すこと。
 
  五、5善に値すること。
   16.訴訟を思い止まらしむること。	
   17..天寿保全の方法を伝授すること。
     18.天寿保全の方法を立てること。   
     19.治療術を用いて軽病者を癒すこと。
     20.家畜の生命を救うこと。		
			    
 六 三善に値すること。
				   
	21.不法の仕向けに対して立腹せぬこと。
   22.誹られて弁解せぬこと。				
     23.好まぬことを忍びて受けること。		
    24.打ち懲らすべき者を寛恕すること。				
     25.家畜外の畜類を助けること。					  
 七 一善に値すること。	
			  
     26.人の善を賞賛すること。
    27.人の悪の顕れぬ様にすること。	
     28.非行を諭して止めさせること。	
    29.争いを諭して止めさせること。	
     30.一回行きて人の病を治療すること。
   31.忘れた文字一千を写しとること。
	32.下心ある接待を受けないこと。
   33.一人の飢えを救うこと。
     34.人を留めて一泊せしむること。	
   35.教え諭して悔い改める一人に及ぶこと。
	36.事業を興してその利一人に与えること。
   37.一時、人畜の疲労を癒すこと。	
	38.死した鳥獣を埋めること。 
   39.虫魚の命を助けること。		
 八	金壱万円の値を一善に準ず。	   	
		  
	40.道路、橋梁を修繕すること。				
   41.公衆の為、井戸または溝を掘ること。
	42.聖像、殿堂、供養物を修理すること。
   (費用を出して他人に為さしむる者は、その値を半減する)
	43.人の遺物を返すこと(物品の価格を問わず一善に処す)
     44.債務を免除すること。
      45.教化のため、文書を施行すること。
		   
	46.功徳を以て非業の死者を回向すること。
		   
	47.困窮者を賑わすこと。		
		   
	48.茶、薬、衣服、棺桶等を施すこと
		   
	49.穀倉を設け安価の時高く買い、高価の時安く売ること。
   50.公共の場のゴミをを拾うこと。
 

 

 
 
悪行五十ヶ条
 

  一	百悪に値すること。
 
	   1.人を死せしむること。

	   2.婦人の貞操を犯すこと。

	   3.捨て子及び堕胎を賛助すること。
 
  二	五十悪に値すること。

	   4.世嗣ぎを耐えしむること。

	   5.婚姻を破談させること。

	   6.死骸を放棄すること。

	   7.人を流浪せしむること。

  三	三十悪に値すること。

	   8.人に戒行を破らしむること。

	   9.誹謗を作り設けて人を傷つけること

     10.陰事を発きて迷惑をかけること。
    
  四	十悪に値すること。

	  11.知徳の優れたる人を排斥すること。

	  12.邪曲の人を推挙すること。
    
	  13.貞操を失いたる婦人に触れること。

	  14.人畜殺戮の道具を所有すること。
  五	五悪に値すること。

	  15.世の中の良俗を破壊すること。	

	  16.風俗壊乱の書物を作ること。

	  17.救い得る冤罪(えんざい)を救わぬこと。

	  18.病人の救いを拒むこと。
	  
	 19.人に訴訟を唆すこと
    訴訟を無理に推し進め、そそのかす。 

	 20.人の綽名(あだな)、噂を構作すること。

	 21.悪口して人を害すること。              

	 22.道路橋梁を毀損(きそん)すること。

	 23.人の家畜を殺すこと。	

  六 三悪に値すること。

	
    24.他人の法を犯す行いを見て、心の内にて,腹を立てること。
 
	 25.尊卑の秩序を破ること。 
    公共の場にゴミを捨てること
 
	 26.酔うて人を害すること。

	 27.正しき人に口論、喧嘩を仕掛けること。       

	 28.両舌を用い人を離間すること。

	 29.その職にあらずして制服を着ること。

	 30.畜類を殺すこと。

   七	一悪に値すること。

	 31.人の善行を無効ならしむること。

	 32.人に争いを唆(そそのか)すこと。

	 33.人の悪を言い広むること。            

	 34.人の非行を賛成すること。

	35.盗みを見て意見をせざること。

	36.承諾を得ずして人の物を使用すること。

	37.無知の者を欺くこと。	

	38.約束に背くこと。

	39..不作法なる所行をなすこと。

	40.人の憂慮を慰めぬこと。

	41.人畜の疲労を憐れまぬこと。 

	42.害虫の類を殺すこと。

  八	金壱万円の値を一悪に準ず

	43.天物を無益に浪費すること。               

	44.人の功を破壊すること。

	45.時勢に反して利益を得ること。	

	46.人に代わりて金銭を使用するとき、節約せざること。  
   47.債務を果たさぬこと。
	48.人の遺物を私する事、値の少なき物も一悪とす

	49.権勢を借りて物を求むること。

	50.巧みに方法を設けて、人に金銭物品を出さしめ又仕 

	 事を助力せしむる事。
				 
 毎夜就寝前に、一日中の善事悪事を顧みて、善悪の点数に計算して、
  
 これを差し引き合計して、善行の数を定める。
 この善を積み重ねるとなぜ運が良くなるのかを、陰陽思考法において説いてみよう・
 善を行うことは、自分と他人を一体感に近ずく方法であろうと思います。
 自然体で他人に物、思いを施すことは他人の困っていることを自らの痛みの如く考えるから
 施せるのである。
   
               
 
          表面の意識

今考えている意識《顕在意識)

この意識が他人に施す事によりこの下の

壁皮が薄くなる。

     潜在意識

隠れた意識である潜在意識は、

表面意識の思いを感知して周囲

に働きかけていき、目的を達成

して行く。

 

 
 
表面意識《顕在意識)と潜在意識とを分ける壁が薄くなることにより表面の意識の
行おうと言う考えが、潜在意識に通じ易くなり運が開けてくるのである。
運が悪いと思う人は、この善行をお勧めする
 
詳細については、今までの章で何回も記していますので1−30章までを必要に
応じて参照下さい。
 
善悪功過統計は自ら作り毎日善業に行う為には、日々記載
することが励みになる。その統計表は掲載しています。
 
                                           
功過格について(1)          
 
	
 功過格に従い善悪の条数を眺めてみると、非常に良くできていると思う。

 善行を行なうようになると、一善から三善そして十善そして
  五十善行をやろうとエスカレートしていき、悪行を行なうと
  徐々により悪行へとエスカレートする傾向がある。 マザー・
  テレサの例で、詳しく検証してみると、
   一善の	・一人の飢えを救うこと	
		     ・一回行きて人の病を治療すること。から始まっている。

   三善の	・不法の仕向けに対して立腹せぬこと
   十善の	・治療術を用いて軽病者を癒すこと 
		     ・天寿保全の方法を立てること
		     ・天寿保全の方法を伝授すること
		     ・治療術を用いて重病者を癒すこと 
		     ・救民の方法を立てること
   徐々にエスカレートして貧しいものを助けていく段階
      で少なからずの嫌がらせがあり、邪魔な行為が有ったと思われるが
   三善の	・好まぬことを忍びて受けること。
   シスターたちの真摯な態度に、批判者達も認めるようになっていった。

   五十善の    ・寄るべなき者を引き取りて養育すること。		
		     ・無縁者の死骸を埋葬すること。
		     ・流浪人に職業を与えること。 
	   
							   
   百善の  ・一人の死を救うこと。				 
       マザー,テレサは功過格の一善より始めて百善に至って、
      世界を変えたのである。	『私はある人の世話をしできれば

	 もう一人世話をするだけです。』と言っている。

   偉大なマザー・テレサも、一灯照隅である。
   一善、一善そして一善と行動していくことにより、
エスカレートし、一行動が五十善、百善に近づき、
     周囲を、環境を、変えるようになるのである。 
   今の世の中、親が子供に教える言葉は、 
	知らない人、大人に話しかけられたら、逃げなさい
     絶対に他人を信用してはいけない。学校の先生も
     同じように教える。
   果たして、このような世の中でいいのであろうか

   純粋な子供達にも、人間は、悪であると、性悪説を教え
    、幼稚園、小学校から 
   韓非子の授業をするようになる世の中であれば、この先
      大変な世界になってしまう。それをストップさせるためには
      ひとり、又ひとりが善行に励む以外ないと思う。一人行な
      えば池に石を投げると波紋が広がるように、何かが変わっていく
      のである。                      

 

功過格について(2)               

 悪行についても、一悪、一悪と重ねていくと、百悪の方にエス
カレートしていくのである。 最近の例で、神戸幼児殺人事件
の14才の少年の行動から、悪のエスカレート段階を調べて
みよう。
 少年の精神分析の結果が重度の行為障害という診断がなされた。 
  行為障害(アメリカの精神医学会の統計マニュアル) 
  ◎	しばしば他人をいじめ、脅迫し、威嚇する。
  ◎	しばしば取っ組み合いの喧嘩をはじめる。
  ◎	重大な身体的障害を与えるような武器を使用したことがある。
  ◎	人に対して身体的に残酷であったことがある。
  ◎	動物に対して身体的に残酷であったことがある。	 
  ◎	被害者に面と向かって行なう盗みをしたことがある。
  ◎	性行為を強いたことがある。
  ◎	重大な損害を与えるために故意に、放火したことがある。
  ◎	故意に他人の所有物を破壊したことがある。
  ◎	他人の住居、建造物または車に、侵入したことがある。 
  ◎	義務をのがれるために、しばしば嘘をつく。
  ◎	価値のある物品を盗んだことがある。
  
						 
  ◎	親の禁止にもかかわらずしばしば夜遅く外出する。
  ◎	一晩中、家を空けたことが少なくとも2回あった
  ◎	しばしば学校を怠ける。
	 一年間に3つ以上あると行為障害となる。
 この少年は十件以上該当するので重度となっている。 
 功過格でみると一悪の										
      ・約束に背くこと。
	 ・不作法なる所行をなすこと。

	 ・人畜の疲労を憐れまぬこと。 
	 ・害虫の類を殺すこと。	 》から始まっている。
  三悪の
	 ・人の不法に対して立腹すること。 
	 ・尊卑の秩序を破ること。 
	 ・打ち懲らすべからざる人を打つこと。
	 ・畜類を殺すこと。
  
  五悪の  
	 ・悪口して人を害すること。 
	 ・人の家畜を殺すこと。	》エスカレートしていき

  十悪の  
	  ・人畜殺戮の道具を所有すること。
  三十悪の					
	 ・誹謗を作り設けて人を傷つけること。
  五十悪の	
	 ・死骸を放棄すること。
  百悪の			   
	 ・人を死せしむること。
	この一気にエスカレートしていく期間が一年ぐらいで         
 
     殺人を犯す精神状態にして	いる。	
	この起因は、可愛がってもらったおばあちゃんが神戸
     大地震で亡くなったことで	あると、記しているが真実は
     0〜5才までの母親の抱擁的愛撫の不足が基因である。
 陰の陰である0〜5才の育成(陰)が、しっかりして
  いれば、環境が悪くとも、枝葉がすくすくと伸びるごとく
、正常に成長するのである。
 
	神戸大地震で、6000人余が亡くなっているもし
  おばあちゃんの死が起因であれば同じような事件が
  6000件以上起きているはずである。 
	                                  
ダイアナと マザー・テレサ
 最近相次いでダイアナとマザーテレサが亡くなった。 陰陽           
  でみると陽のダイアナ 陰のテレサとなる。
	
 ダイアナは 名誉欲、物質欲、金銭欲、性欲に生きて、皇室
という表面的には、陽にあたる世界におり、心の内は陰の拘束
された環境のなか、不自由に忍耐できず、チャールズ皇太子
との離婚で自由を得て、子供からも開放され、すべての条件で
陽の世界になり、 陽過ぎたことにより交通事故にあい、死と
いう最悪の陰を呼びよせたのである。     名誉欲−−
ダイアナが動けば、マスコミが動き、福祉の活動をしても、
すべてダイアナ自身の名誉につながり、陰の行動である
人のため、世のための行動をしても、すべて陽の行動に
なってしまっていた。			  従い陰がなく
、陽だけになってしまい、木で言えば枝と葉と実が生い茂っ
て、根は大きく張って伸びているのだが、土の上に出ている
(みんなに見える根、陰徳でなく陽徳ー 名誉ー自己宣伝             
 
となる。)ので役に立たず養分が葉には来ないため、倒れた
のである。 みんなに親しまれた人、みんなに愛された人、
ダイアナ自身は、陰でない根から養分が来ないが無理に
枝、葉、実を多くつけみんなに華やかに、美しく見せて、
自ら散っていった哀れな、寂しい人生だったのである。	
  名誉欲、物質欲、金銭欲、性欲、もうひとつ愛情欲
に飢えた極みが極陰・事故死に変化したのである。  
 

 ……… 陽極まりて陰となる ……


マザーテレサの言葉に
 私たちは貧しい人に与えるよりも                          

 多くのものを貧しい人から与えられているのです。

 私たちは貧しい人と共に生きることに喜びを感じます。

 それが神様からのすばらしい贈り物なのです。

 なぜ我々が洗濯機を使わないのか?

 冷暖房に頼らず映画やパーテイにも無縁

 それを求めるのは自然であたりまえのことです

 でも我々は求めません

 貧しさを知らずに

 貧しい人は助けられないからです
 物質欲、金銭欲、名誉欲も全てを捨て表面は陰の極みである
 
そして心のうちは、陽であり、死を迎えてやり遂げたという
 
満足感に満たされていると思う。

アメリカでマザー・テレサはスピーチで

 この国のどこに飢えた人間が?
 この国のどこに裸の人間が? 

 この国のどこに家のない人間が?と尋られます。

 この国にも飢えはあります

 一切れのパンを求める飢えではなく

 愛を求める激しい飢えです

 もっとも恐ろしいのはそれは孤独という病である。

 パンへの飢えがあるように

 豊かな国にも思いやりや愛情を

 求める激しい飢えがあります

 誰からも愛されず

 必要とされない心の痛みです

 与えてください

 あなたの心が痛むほどに……	
 
	生命あるすべてのものに

	   マザー・テレサ著	講談社

このスピーチでもわかるように、貧乏人のため、病人のためと
すべて他人の為に行動し	愛を与えることを、基にしている。
 
 ダイアナ ーー 自分の利益のために行動 ーー	陽 
自分の欲を満たすために生きる。 
 
テレサ	 ーー他人の利益のために行動	ーー 陰 
世界の平和のために生きる。 世間では、ダイアナの行動
が美化されているが、はたして世論の評判は、善であるか
もし事故にあわずに、同乗していた婚約者と結婚して
子供ができてからの死であったならこんなには世界は、 
騒がなかったように思う。	
  
マザー・テレサとは相対的な人であったのである。

 人間の義務はお互いを愛することであると

 愛しあいましょうそして忘れないでください

 平和とは愛があってこそ、なしえるという事を

 神の祝福があればどこに行っても

 お互いを愛しあい	
		   
 平和の喜びを広めることができるのです。
ハンセン病の患者に、シスターへ

 患者達に触れなさい愛をもって触れるのです

 あなたが触れているのは病の中にいる

 神様そのものなのです。

	   マザー・テレサ
 

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