長嶋監督と野村監督の指揮の違い
 

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テレビ、新聞を見ていて二人の考え方の違いがあり、非常に面白い。
その違いをねらい毎日二人を、記者、カメラが追いかけている。
この二人の違いを戦略と戦術の面から見てみようとおもう。

 長嶋監督    スピーディな、攻めで、豪快に勝つ  選手個人
            の個性を生かし、本人に任せて戦わせる
 
  野村監督    
     緻密なデーターを活用して、相手の選手の行動、守りまで        
   弱点を突いて、相手を負かす。 細かい技術にも 監督が指示する。
 
 長嶋監督は、細かい事は、すべて選手任せ、あまり指示したり、叱ったり
  はしない 、野村監督は、戦術についても、一つ、一つチェックして、
  指示を出し、自分が考えている通りの行動を起こさせていくことに
  なる。この結果、勝率は、野村監督の方が良い成績を残している。
  この野村指揮の方法は日本的野球の特徴であり従い試合時間がアメリカ野
  球に比べて非常に長い、試合を見守るフアンにとっては、面白くない野球の
  見本となる。ここで、選手及びコーチは、どちらが育つだろうかを考えて
  見ると、戦略を決め戦術、技術は、コーチに任せてしまうのは長嶋監督で
  あり、戦術にまで、指示するのは、野村監督である。 一長一短はあるが、
  戦術まで 口を出す上司には、部下は育成しないように感じるのだが、
  どうであろうか、 監督が退いた後も強いチームであれば、選手は育成された証拠
  である。 しかし、野村監督はヤクルトに九年在籍して、最後まで、戦術に、技術に、
  選手に指示していた。
  
   果たしてその方法で、部下は育つかが疑問である。  自分が監督していたとき
   だけ強いチーム作りは、本当のチーム作りではない、 野球はそれで良いと言
  う人がいるかもしれない。  しかし他の分野では通用しない。

  ヤクルトはキャチャ―の古田は育ったがチーム全体は、真の実力は備わっていない
  野村監督にハイ、ハイと従っていただけの選手に育っただけである。 
  昨年野村監督の指揮する阪神は、巨人には、勝ち越す好成績を上げたが次ぎの
  チームの対戦を考えずに指揮する態勢、次ぎの他のチームには負け越すことを、
  覚悟する采配である。 阪神に起こる事は、使ってもらえなくなるのは怖いため、
  無理して投手が活躍するようになる。 ヤクルトの投手が肩を壊した一流投手が
  多かったことを考えると、ハイ、ハイとイエスマン選手が多くなるはずである。
 
  長嶋監督は、巨人を勇退すると、監督経験のある人が次期監督に就任すれば、
  必ず日本一になる と判断する。 長嶋監督は、戦略は与えているが 戦術はすべて
  選手に一任している、従い考えながら攻撃、守備をしている。

  現今の長嶋監督には、真の統率力がない、選手時代のスーパースターによるカリスマ
  的統率である。今もうその力が消えつつある。
  2000年の巨人は実力は一番であるが、今年の優勝は長島監督の過去の4番バッター
  、過去の20勝投手に対し、非情に徹しきることができるかが、日本一か、解任
  かの分れ目となる。
 

 

TOPと参謀の違いは 
        
                           

  TOPは大局を誤らず、意思強固で、細部にこだわらず、寛容で、部下を萎縮させず、
 どこか抜けた所があって部下の母性本能をくすぐるような 魅力をもっていなくては
ならない。

 参謀は あらゆる状況の変化に鋭敏に反応し自在に発想を転換し 細部もゆるやかにせず、
 いささかの隙もあってはならない。

 言い換えれば、参謀として優秀であればあるほど TOPとしての不敵格者である
 ということになる。             (兵法経営塾ー大橋武雄)

 スタッフとして優秀な 業績をあげなければ、TOPにはなれない。
 
 私は、流通業、飲食業を渡り歩いてきた。 今の時代と違い三十年前の
 飲食業界は、人材不足であった 大学出が即入社することがない時代 

 である。 半年で百人の従業員の店長に抜擢されることが多かった時代である。
  店内のフロアー長としては良い成績だが、店長となると 駄目なもの、店長と
 しては良いが、店長を管理する営業部長としては向かないいろいろなタイプがいる。
 
  マクロで見て決断するタイプか、 ミクロを見て決断するタイプ に別けられる。
  下部では、実力を発揮出来ないが、TOPになると能力を発揮するタイプが
  おることにある。

  プロ野球などで名選手はかならずしも、名監督なり得ない事もこれに当てはま
   るように思う。
  戦後の日本では英雄になった、マッカーサーは大学の秀才であった.その大学の
  どんじりが大統領アイゼンハウア-であったと聞いている。
    
  統師綱領の中にT0Pはスキのあるノホホンとした性格でなければならない

  参媒は.スキがあってはならない、理路整然とした言動をとる必要がある. この
 ように考えて行くと T0Pにのぼりつめる条件とT0Pになった時の条件が違うよう
 
 である.エリート官僚と呼ばれる人達は大学時には秀才と呼ばれ.30年後その部署
 のT0Pに登りつめる、しかし.きめ細かい.スキのない人柄、努力家がT0Pになった時
 大きなミスを犯すようになる.

 其のミスも、全く仕事に関係ないところから所から生じている。

 この原因は広い視野に立った俯瞰した見方、閑な時間を有効に過すことができなか
 ったことにより.自らを遠視的.俯瞰視できなかったことに起因している.

 悪く言えばアバウトに見る力.いいかげんにながめる..フアジイに見る能力が不足
 していたのである.

  企業の部長クラスの眼から社長を見た時に、社長は眼がふし穴だらけにみえるので
  あれば、その会社の陰陽は良きバランスなのである.

日本の昭和時代の大企業にSONYとHONDAがある。その創業時の

TOPと二番手の対象がこれに当てはまる.SONYは井深大社長ー盛田専務、
HONDAは本田社長と藤沢常務 この二社の共通しているところは、TOPが技術を担当
していることである、しかし戦略は、共にTOPが担当するが、経営は二番手が行っていた。
TOPと 二番手 (参謀)の陰陽のバランスが、良かったのである。
精密技術の日本の時代を象徴するように、社長 が技術を担当をして、
ハイテク技術を重視していた。                   
                    
 
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