精神的発散
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最近サウナにて不思議なことを、見てしまった。  
一人の若い男性が着替えながら、独り言を言っているのであるが、
その内容がこのサウナに入場する情景から実況中継する話から、
一人喋って いる。  その人はこの独り言がいつもサウナの他の
お客様に迷惑をかけているらしく、始めは入場を断られたらしく、
絶対に迷惑をかけない約束で入れてもらえたことを、独り言で、
繰り返しているのである。 しかしこの独り言が、だんだんと、
大きな声になって来て、次に仕事の内容に なってきた時から、
一人で喧嘩しているのである。  相手が気に食わない事を言い、
そのことで俺は、俺は殴りたい気持ちである。チクショウ、
あの野郎、怒鳴り始めていた。
その横を他のお客様が、通っていくが、自分の心の中に、
没頭して全く他のことには関係なしの状態である。 
 
この状態をみて果たして自分は同じ事をしていないだろうか、 
皆同じことをしているのではないだろうか、
みんながやっていることである。
 ただこの人のように 声は出さないだけである。
 心の中で腹が立つこと、気にしていることを何回も反芻していることである。
 
 この心の中の、葛藤を、一人になって 、冷静に、第三者的
立場になって思い出し、立ち向かい、心の整理、浄化をして
いる時間を、最近多くの人が避けているような環境になっている。  
歩いているとき、電車に乗っているとき、待ち合わせをしているとき、
静かに黙っているときには、必ず最近は携帯電話、又は ウオークマンで、
音楽を聞き、何かを耳から情報を与えることで、誤魔化し、逃げている。
沈黙する空間がない 、従い一人で 静かに黙って居る時間がないように
思う。    
この何も考えない間がないことで、必ずこれから弊害が出てくるように
思うのだが皆さんはどのように感じるだろうか、自分一人で考えて耐えられない
ような精神的葛藤が、前記の独り言につながるのではないだろうか、
そして、この精神的葛藤をそのままにしておけば忘却してしまうのであろうと
思われるが、決して人間は、腹立たしい事、虐げられた事、辱めを受けたこと
嫌った事、憎らしく感じたこと、怒った事は決して潜在意識は忘れない。
 
心の奥底 に、忘れてしまいたい記憶として 刻印されて、同種のことがあると、
その記憶を掘り出してくる。 そして又表面上は忘却する。
 
その積み重ねが何年かすると、不眠症や自律神経失調症、うつと言う病名で
再発してくる。
従い、現在文明の利器として居る、携帯電話やウオークマンの利用し過ぎが将来
の精神的、肉体的病の基を蓄積していることになる。
この精神的葛藤を蓄積しないためには、どうしたら良いのだろうか
それは、宗教家は、座禅を行え、八正道を行え、瞑想を行え、と言うだろう。
 
しかし、決して素人がやれば、益々精神が撹乱する。 
いつもやっている者がやるにはすばらしい方法である。
素人が行う精神的、肉体的安定のための健康法は、散歩である。
この散歩には、不思議な 力がある、散歩も自然林、山林のある場所が一番
適している。  精神的に、疲れて居るのであれば、肉体をその精神的疲れと
同じ程度まで疲れさせる必要がある。
もし自らどうしようもないほど精神的葛藤があるならば、運動靴を履いて、
山道を歩くことである、歩いて、山を、景色を見ながら一週間、朝から晩まで
 歩き通すのである。

 

仕事で、朝から晩まではできないのであれば、2時間でも良い
1日、理屈は考えずに歩くことである、 その間、いろいろ脳裏に
 浮かぶことがあるだろう。 何しろ歩くことに専念する。

2日、疲れて居ても、歩く事である。 考えが浮かんで来るが、
      考えてもよい、歩く、歩く急ぎ足で歩く必要はない、ゆったりと歩く。
      
3日、歩いて、疲れたら休憩をとりながら悠々と歩く。

4日、この日ぐらいから、精神的葛藤、苦しみの蓄積が頭から 
      ほころび始める、

      現今の精神的苦痛の大本、基が浮かび上がってくるのである。
      
      この時、考えたかったら大いに、考えてもよいが目的は散歩である。
     
      歩くことである。

5日、幼少の時また、父、母の事が思い出されて、来る人もいるだろう
      
      歩きながら、涙が出て止まらない人もいるであろう、
      楽しい事も思い出すこともあるであろう

6、7日、 歩いて、歩いて、疲れが度を越すぐらいに成ったとき 、
     頭がスッキリと晴れてくるであろう。
     
     其のとき、精神的疲れと肉体的疲れが平衡状態になったとき
   である。
       
     真剣に、悩んで居た事をじっくり考えて見てみると、
      なぜ小さなことに悩んで居たのであろうかと反省するのである。
      
      それは、過去の蓄積した思い出したくないものが、現今の問題と
   一緒に山積みされ、解決の糸口をふさいでいたのである。
      
      一週間歩き通した事により頭の血の巡り、回転も良くなっている。
     
     歩くことにより其の過去の蓄積が氷解して、現在の問題のみ
      になったため小さい問題となってしまったのである。
   
  この散歩は、四国八十八ヶ所、寺社巡りに似ている。 
  一応精神的葛藤が解決したならば、一日三十分ぐらいの散歩に
  切り替えてもよいが、もし続けるのであれば、2時間ぐらいを
  100日続けることが、いろいろな効果が確認できるように思う。

   そんな時間はとれないと言うかもしれない、朝四時、五時に起きて

   毎朝二時間歩くことである、精神的疲れと,肉体的疲れがイコール      

   になった時、頭にこびりついていた,過去の記憶が流れ去り、

   素晴らしい心の光が輝き、生活、仕事の壁が氷解して、インスピレー      

    ションが冴え渡るようになって行く自分に生まれ変わるのである。

                      

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