陰 陽 雑 感
                             このページ内目次 2000.2.10
自然界と人間 世相とコンピユーター 多 様 性 不 審 船
東西文明の融合 戦略的陰陽学 アメリカの世界 真の教育改革

 

                                                                                             トップページに戻る

       自  然  界  と  人  間
                                                        
 陰と陽について記そうと思う.
 

人間の頭脳は顕在意識と潜在意識ー  陽 と   陰に分けられる。 
 
人間のDNAも2種類の陰陽に分けられる。
 
AーアデニンとTーチタニン  GーグアニンとCーシトシンという    
 
4記号である.
 
地球上の植物.動物はすべてこの4記号の構成によって創られている。
 
人間のDNAはこの4記号が30億個の構成である.大腸菌は500万個である. 
 
 全く違うようにみえる植物もATGCの4記号でその組合せにより植物となり、
 
動物 となる又男となり.女になり.豚になり.ライオンになり.花になったりする。 
 
 DNAがが100億個もあれば高等な動物ではないかとおもわれるが、
 
古い屋敷の天井にいるイモリ細胞のかずである。
人間よりDNAの個数が多い.
 
物質は原子N01水素からN092ウランまである今111番まであるが自然界で
 
つくられるものは92までのウランである.
 
水素1は陰  ウラン92-陽  物質は陰と陽の割合.配合により鉛.になり
 
鉄になり、金になりする。
 
 水素に、あるショックを与えて陰極まると、陽になり、エネルギーが
 
発生水素爆弾が、造られる。 ウランにあるショックを与えると陽極
 
まり エネルギーが発生しウラン爆弾が造られる。
 
この異なる二種の爆弾が広島、長崎に投下されたのである。 
 
地球上にある人間が作り出したものはすべて陰陽の組み合わせでできて
 
いる。  大自然界の物質もすべて陰陽の組合せでできている.
 
従い宇宙万象の動きを八卦にして易経が4000年前に創られている. 



現代に伝わる易経は64卦から構成されている
 
この同じ構成はDNAの64の構成になっていることがわかり、アメリカ
ではこの人間DNAを音楽にしてしまい.その音楽がシヨパンの曲と同じであったこと
が発表されている.
 コンピユーターも1と0の組合せでできているがこれも構成が完全に易経と一致している.
                         
        

 

  世相とコンピューター                   

1999年の年には、2000年問題が大きな話題になったが.この 
コンピューターの誤作動は2進法の0と1  すなわち0陰と1陽の問題で

ある。  表面的には99が00になり1900年と違えて解釈して
 
しまうことが問題であるがコンピューターの内部では0と1の攻めぎ合い
 
である。  0と1とは碁板の上の白石、黒石の争いの如く展開していく。
 
 このコンピューターの内部と同じことが地球上でも起きている。    
 
囲碁でも碁石の位置の変化により周囲が様変りする。  囲まれれば中は
 
すべて取られる。      地球環境においても 陰陽の攻めぎ合いが起き
 
ている.
 
この陰陽の原典は4000年の歴史を持つ易経である.また干支(えと)を加
 
味して.むずかしい面はすべて排除して陰陽のみで世相の物事を解釈し
 
ていこうということがこのシリーズの提言である.世の中は朝があれば
 
夜がある、始めがあれば終りがある.男がいれば女がいる.   この世の中
 
、大自然は.すぺて相対的なものをつくり成立している.
 
従い敵と思わわれることは自らみると相対的関係にありその者を完全に
 
消せば自らも消える運命にあることを知る必要がある。
予言的、推定的、占い的を易経には、常につきまとうが、決して


迷信や不思議なことではないのである、先にも記したが、コンピューター
 
も、発明された基は易経の考え方であり、現在科学の最先端のDNAの
 
構成も易経のシステムと同一なのである。

 
これは何を意味しているのか、4000年前に、コンピューターも、DNAも
 
すべて発明、発見されていたのでなく、大自然の仕組みも、人間が作り出す
 
すべてのものは、すべて陰陽の応用に過ぎないだけである。


人間がいくら頑張ってみても、大自然を征服することはできないのである。    
男と女を生み分ける事が出来ると言っても、全体からみると、いくら大事件が起き、
戦争があって男性が多く亡くなってもしばらく経てば大自然は 男女同数に
しているのである。
世の中難しい問題が、山積しているのは、陰陽のバランスを崩すことにより問題に
なるのである。 地球的問題にしても西洋倫理にかたより過ぎているために、金銭が
小人数の人々にかたより過ぎ、権力が片寄り過ぎているため、戦争が起きるのである。
 従い戦争は権力ー陽が強過ぎれば 片寄り過ぎれば弱い権力ー陰が 勝つのである。
 
長引けば長引くほど陰の方が有利になるのである。
 
ベトナム戦争と同じである。 陽と陰に分けたときに、最終的には 陰が勝つように
できている。
  
始  め  は  陽  が  勝  ち  最  終  的  に  は  陰  が  勝  つ
  
しかし、いろいろな局面に置いて、陰陽を判別でき、トータル的な

 陰陽をどのように判断するか ここが問題になってくるが、あまり
  
細部を見ると、全体を見誤ることになる。
  
政治にしても、大蔵大臣や、公定歩合を決める立場の人がその道の専門家であれば、
    
細かいことに拘泥して全体的方向を指し示す決断が誤るのである。  
病院経営の院長が、医者として優秀であればあるほど病院は経営悪化を避けられない
のである。
   
経理に詳しい人が会社の経営を行えば、会社は悪くなるのである。
   
ギニアの親善大使で、テレビに よく出ているサンコン氏は日本に来る前は、
   
視力は両目とも、6.0だったそうである。             
 普通の日本人が何も見えない遠くの人影を見て、三人こちらに歩い て来ると言い
、一時間後、その三人が本当に表れてくる。      これと同じで、毎日 顕微鏡
を見ていた人間が、本の数字だけをを見てい た人間が政治や、経営の遠視的視野
は見えるはずがないのである。
    
そのようなことが、現在の日本、世界の視野においてあちこちで見られ、多くの問題点
 が表出、浮き彫りにされている。
  
囲碁の白石と 黒石の 如く黒が多局面で多くなり、白を囲んで搾取している。
  
そんな世界情勢が現在の世の中になっているように思う                  
 

 

多  様  性

 
 テレビの番組で.動物の多様性について.放映されていた.同種のキツネで
 
も寒い土地に、暑い国に、温暖な場所に必ず生息していて地球環境が急激

に変化しても必ずキツネ種がどこかのキツネ種が生存しているように多種

多様な場に大自然が 住まわせている。
 
 従い体質.気性.食物も違うようにつくられている.人間世界も各々地域に
 
より多種多様性であることが 大自然の法則である。 したがって現代の世
 
相を孝えると同種の.同意見でないとミサイルが飛んできて殺戮が起る.
 
常に西洋の考えが発展成長的思想であり、小国に対して.同意見になれと
 
求めてすべて陽思想になれと強要していく。反論すれば東南アジアの金融危
 
桟を起し、またイラクやユーゴにはミサイル攻撃を行なう。次に北朝鮮
への下準備ができ‘ユーゴと同じシナリオになってしまう。 
 
この戦いは大国と小国. 陽と陰の争いだが.精神的な面を考えると大権力
 
と小権力、陽と陽の反発.陰陽の争いである‘電気でいえばプラスとプラスの
ショートしていることである.
 
同じ動物を、同じ場所に集めたり、同じ性質にしていないように、大自然が、
創りだしているように 人間も同じ意見、同体質にしてはならない。
 
アメリカは、人道上許す事はできない行為で、ユーゴを非難して正当性を
 

訴えていたが、二百年前のアメリカは、ユーゴやイラクと同じ行為を
インディアンに対して行い、アメリカを建国したのである。
自らと同じ欠点である行動を許すことができないアメリカの人間性、及び
 
国民性がはっきり出てきている。
 
人を愛せよと愛し過ぎて不倫を犯してしまう、人道上、正義感を発揮し過
 
ぎて、人道上あるまじき殺戮を繰り返す。

平和主義者が平和を求め過ぎて戦争をしかけていくようになる。 
陰過ぎて陽になり、陽過ぎて陰に生ずるーーを今世界は転換期にきている。
日本も戦争放棄の法を守りつつ、平和過ぎて他国から侮られて、戦いを仕掛
けられる状況になっている。
中立国であり戦争を否定するスイスでも軍隊を持っている。
しかし若者が、精神的にも肉体的にも堕落しているのは、日本とスイスのように感じる。
スイスの公園に行くと、注射針が落ちて居て、それに刺さって、エイズになって
しまうような事態も起こっている。
その麻薬用の注射針は政府より無料で配布されるものであると聞いて驚くべきことである。 
このような過ぎた社会状況には 必ず何かを引き寄せる力が生まれるはずである。
 スイスは、世界の富裕な人々の莫大な金が集まっている。
預けると手数料を取られるのに、預ける人が居ることは、その秘密は、知られたくない、
あまりきれいな金銭ではないことである。
数え切れない程の金銭が集まってスイスは 極陽のような状況にある。
従い極陰を引き寄せる状況にあるといえる。
この極陰とは何か、それは戦争であり、 殺戮、貧である。
それは考えられないと、国際情勢に詳しい人は、反論すると思う 。
これは、偶然や、突発的事故、考えられない出来事を引き寄せているのである。  
大自然は同じ場所に、同種のものを多く集めることを嫌うようにできている。
大自然はその集まったものを破壊するように働くはずである。                
 

 

 不  浸  船                                     
 
北朝鮮らしき不侵船の時に防衛庁長官の記者会見の受け答えのしどろもどろな
言葉を気にならなかっただろうか.もっとはっきり言えと.怒鳴りたくなる程不明確
 
な言論であった。

あの態度で指揮すれば戦は‘必ず敗れる。
 
政治の世界に年功序列を採用している証である。適材適所に人材を配属し

ていない典型である.不侵船が逃げられるのは当然である。

大将を統卒.指揮する立場の人間が.N防衛庁長官の態度.言動では戦争

はできない。 何も覇気が感じられない。

もうー件気になることは公定歩合を決定する立場のH総裁である。ゼロ

金利政策が続いているがこの人自身がゼロ総裁言動である.この人が公定

歩合3%にすると言っても逆に預金をして3% 利子を取られるように感じて

しまう.それ程覇気が感じられない.  政治家は官僚のトツプを変えるぐらい

の勢いを持つべきである,      N 防衛長官も.H総裁にしても共に戦場にいる
のである。   経済戦争も公定歩合のミスも景気を左右し.自殺者も

出る場合もある.二者の言動は全国民に訴える力がなく気力を委縮させる.

国家の役割ポストに年功序列を除くべきである.

景気が陰の状態の時に陰氣な人間をトツプに配置してはいけない.

景気が悪くとも景気が良くなる胎動が見えている.と大ぼらを吹く人間を

理路整然と言う人間を配置せよ.政治家は無責任な言動は慎むべきと若い

農林大臣が堺谷太一に吼えたが自らの責任逃れの言動ばかりでは、 景気は

良くならない.   大ぼら吹いて.公定歩合3%にして十分景気は上昇すると

何人かの政治家が唱和せよ、国民の1200兆円が動き出す.いくら0金利でも

貸し渋りの銀行や、借りる人間がいなければ無用の長物。公定歩合は.国民の
 
心理ー陰ーを無視している. 公定歩合、数字の専門家は、ミクロの眼では
 
全体の胎動を 動かす事はでき得ない。 
                                   
マクロの眼で見るべき政治家も 保身に 躍起となっている。
政治家よ、自らの心の中の  私 欲と言う 不 侵 船を追い出せ!

 

  東西文明の融合
                                                    
東洋と西洋の考え.思想 習慣の違いがあり宗教.人種の違いがありその違
が進歩.発展の基となるがその前に、まず混乱.争いがある.この争いは.
 
我の考えに固執し  他を受けつけないことから起る。
 
ユーゴ問題としても権力と権力のぶっかりあい.陰場思考としては陽と
 
陽との反発しあい、アメリカの倫理は 人道、愛 を厳守し過ぎて.人間道徳
 
を踏みはずしている.その人道上という表情の裏には、利権が渦巻いている。
 
 しかし現在の世界情勢をみて、まだ凧の糸 がつながっている.
 
ロシヤが陰となり凧糸をしっかり掴まえている.その為凧であるアメリカ(陽)
 
は勝手気ままな行動はとれない.今後この凧糸が切れた時その代理国はどこがなるか.
 
ヨーロツパのトツプ層の人がこの世界でロシヤと日本がなければこの地球上は
 
住みやすくなると言った首脳がいたが、経済的に凧糸をひっぱっている日本、

  政治.軍事的にはロシヤがいなければアメリカ及びヨーロッパ.NAT0諸国は

どこかに飛んで行ってしまう.凧糸が切れた凧はデタラメな行動をとる.
 
ユーゴ問題において、限界点に来ている.
 
この世界のあらゆる問題において、西洋倫理は個を重要視.経済競争において
 
N0.1企業が勝を制するまで勝敗を競っていく世界. NO1以外はすべて極貧にあえぐ
 
地獄絵図となる。人道上.平和. を唱えて殺戮を繰返す。
 
  平和主義者や人道主義者が戦争.悪人道を行ない.人を愛せよと唱えて不倫を実践.
 
西洋の倫理は今や行き過ぎにストツプできなくなっている.
 
東洋倫理は、全体を重要視し今までの日本の企業のように90%以上の中小企業が活躍し.

大企業と競争し.又協力しあう.この西洋.東洋文明の融合こそ21世紀の真の発展の基となる。
 
日本この狭い小さな島国.大国からみれば.資源が何もない陰の国この微小国が今やどの国
からも借金はない.どころか世界のあらゆる国々に援助している.  


 
しかし現今不景気に甘んじている。
 
裕福でありながら貧を演じている.        
景気の良い国々は.貧な国々にささえられながら福がある.‘すべてが金持国はあり得ない.
 
西洋倫理には陰のささえがあるから自らが幸福があることを知ろうとしない.

 その陰を葬り去ろうとしている.自らの墓穴を大きく堀っている.
 
自ら大国であることで巨大な穴を工事中である.その墓穴こそユーゴ問題であり
 
今後の行動である。.この1年がアメリカ葬儀の序奏である。
 そこから東西文明の融合の幕開けとなるであろう。
                                                                      
 

 

戦略的陰陽学     
                                                  
 荀子の言葉に、人間真に、善なれば、道徳は全く必要ない。 現代の人々は、道徳と
いう 陽思想を波立つ顕在意識(陽)で解釈しているため、潜在意識(陰)には浸透
せずに、 道徳の行動は守られることが少ない。  但し顕在意識は知っているために
、解って いる積もりになっているだけで、行動はともなっていない。  
従い知識が 豊富な若者が、また 団塊の世代の間で 売春、買春交際を平然と行われ
ていて、若者は、自分の判断で、他人には迷惑をかけないことを、正当化している。  
 大人は、自分も楽しく、若い女の子も楽しければ良いのではないか。そこには
罪悪感、人間としての倫理観のかけらもない。
  
肉体と物との売り買いであり、人間の精神性は無視されている。
  肉体は、果たして自分のものなのか という難しい問題は、別の機会に譲ることにして 
 自分の肉体を他人に、売る事は、昔で言えば人を売る奴隷業者と同じである。ただ、 
自分が自分を売っている奴隷業者である。
今の若者は、百年前の人と知識レベルは 向上しているにもかかわらず、このような行為
をするようになることは、道徳を知らないのでなく、道徳は知っているが道徳行動をとる
教えがなされていないことになる。
これは、道徳教育でなく、家庭教育がなされていない証しである。
家庭教育は、どうあるべきか考える前に、現状はPTAの圧力により、学校の先生
は萎縮して、学校の先生が、登校拒否がある時世である。 
すべて学校の責任にして、家庭の責任を回避している。  これからは、江戸時代の寺子屋の
ように、学校に行く前に、四書五経を子供に、学ばせるべきである。 その場所は、幼稚園、
寺院など、塾などで行われるようになれば、二十年後には、  立派な国家が、誕生するはず
である。 その時、四書五経の現代的にマッチした教えを選択する事と、素読の徹底であろう。
 解釈して、解らせてしまえば顕在意識の教育となり、現在と同じ、知識偏重な教育になって
しまう。
目先の頭脳を良くするだけでなく、将来の知恵の種蒔きをするためには、日本
の古典、及び中国の古典の素読を徹底させることである。             
和俗童子訓(貝原益軒)で 力説しているように、意味が解らない事を、徹底して素読を
繰り返して行くこの膨大な漢字群が、潜在意識に網の眼になって五年、十年、経って
、大きな壁に、突き当たった時に、突破力になり、日本人としての真価を発揮する礎になる
のである。 
明治維新の英雄達は皆、この素読の素養により、育成された人々である。 
国家が、無血で変革を遂げた男たちのその基は、素読と言う素養の成果が結実したのであろう。
これからは、二十一世紀への維新が始まる。
この世界変革は、紆余曲折はあろうが、いずれ日本が必ず行うようになる。
そのためには、現代の若者が、世界の東西融合の橋渡しをするようになる。
東洋の教え、東洋哲学、すなわち中国古典、日本の江戸時代から昭和にかけての東洋の教えを
説いた聖人から学ばなければならない。 
二十一世紀の変革の中心は、日本であると確信するのは、西洋文明もとりいれ、東洋文明も、
体験している国は日本だけである。そして精神的にも西洋の個人主義 の主張、東洋の全体の
主張 の中庸をとる東西融合の世界への実現は東洋哲学の雄、中国は今や自己主張の塊になって
いる為なりえない。日本は、自国の人間でも、馬鹿呼ばわりされてきた、曖昧模糊とした、
まあまあ外交、ファジイな態度こそ、この二十一世紀の大変革の原動力となるのである。
 
 最近、アメリカのサマーズ 副長官が世界のエンジンは、アメリカだけ一つでは不足である。
と言っていたが、まだアメリカは自国がエンジンだと思っているらしい。  
 世界から見ると、アメリカは道楽息子であり、エンジンの時代は、終焉している。 
現在は、他人の懐をねらう盗っ人であり、道楽息子である、今イラク、ユーゴ、北朝鮮
という喧嘩相手を物色して居て、どの相手を選べば一番の金になるかを物色しているのである。
日本の戦略は「世界の維新、東西融合のための礎の建設」そのための戦術、若者教育の革新、
傭兵でなく、自国の軍隊に変革、歴史上で自国の軍隊を持たず他国の傭兵で安閑としていれば
すべて滅びている。
                                                                       
歴史を繰り返したくなければ、アジア諸国は自国で自国を守る体制をつくるべきである。
そこから世界平成維新がはじまるのである、今のアジアの小学生,中学生が主役である。

 

アメリカ世界
                    
 
アメリカのコロラド州の高校生による銃乱射事件は13人の犠牲者と犯人2人の死者を出した。
 
その事件に対し、大統領はー怒りを表現したり対立を解決したりするには武器によってではなく
 
言葉で行なうように教えなければならぬーとクリントン大統領は 演説した。
 
自らの言葉を自分に当てはめてみてはいかがであろうか言いたくなる。
 
大きな世界で起きていることが、 小さな子供世界に起きているだけである。 
 
子供世界のいじめもまた大人世界に大きな問題点があるのであり子供世界は大人世界、その反映に
 
過ぎない。
アメリカの学級崩壊の極みが 銃乱射であるが、日本も十年遅れて同じ事件が起こる可能性は高い。
 
アメリカの離婚率は、50%以上であり、2,3回も結婚する人がいる事を考えると家庭崩壊の家族
 
が多いことになる。  子供をどちらが扶養するかの争い又財産分与の争い、この両親の精神的葛藤を
感じながら育つ子供たちは、周囲の人々にどのような態度で接してどのように対処して行くのか、
ある時は、発散も必要であろう。      
このことを考えると、離婚は二人の争いが、二人のその両親、離婚する二人の間の子供、
弁護士へ 依頼する、離婚した二人は友達へも相談して迷惑をかけるであろう、
 又子供たちは家庭崩壊により学校友達や、そのほかの友達に何らかの負担をかけて行くのである。
又学校の先生にも心配をかけていく。
このことを考えると50%以上の離婚率は社会全体にいかに悪い影響を与えているかが分かる。
 アメリカの離婚という家庭崩壊、小さな世界で起こっていることが周囲、環境、学校への争いの 
基を作っているように、この家庭崩壊の集積が大きな世界 アメリカは他国への戦争を仕掛けていく
ようになっている。
どのような、大きな問題も、小の集積が大となっている。 又大は小に還って行く、その小こそ、
銃乱射事件だと思えてならない。 皆さんはどのように感じるだろうか
                                                                   

 

 真の教育改革
               
   
  これから記すことは共感を生む意見かも知れないし、無駄な意見かも知れないしかし記さずには
いられない程、乱れている教育界に提言したいのである。まず大学の先生、経営学部の先生は
実際に中小企業の部長、取締役に スカウトされて、実績を上げる教授がいるだろうか科学、
化学、コンピューターの教授陣たち、実際に社会に出て、役に立つ人間がいるだろうか政治学の先生
方よ、実際に政治を挑戦してみてはいかがだろうか、 一般の会社より大学教授がスカウトされ、
活躍できる実力者こそ生徒を教える資格があるのではないだろうか。
実力のない人間から、教えられた生徒が、社会に役立つ人間には育成されるはずがない。
 
名実ともに、実力のある教授を大学は迎えなければならない。
  
実際に役立たない学問だけの大学を廃止すべきである。
  
現今大学には実力のある教授は数少ない。現在少子化で学生が少なく益々財政が苦しく優秀な教授を
迎えるお金はない。 この時こそ専属の教授を半分以下にして、講師教授を外部にて活躍する、
経営者、小説家、実業家現在一線で活躍するビジネスマン、いろいろの分野の人達に講義を実行し
てもらうことである。
 
山口県に住んでいる時に高校の先生をして居る友人がいつも口癖で英語の先生が20人程いる
英会話ができるのは、4,5人しかいない 日本では、英語を教える先生は、
80%は英会話は全然駄目な人である。 従い生徒は10年以上勉強しても英会話はできえない 。  
  
社会で役立つ教授がいなければ、社会に通用する学生は育たない証しであろう。 教育改革、
変革をしょうと 常々聞いているが関係者だけで話し合っても、自分らが何も役に立ってはいない
とは決して言わない。
 
ここに、教育改革と言いながら先生の人数をもっと 多くして30人生徒に対し一人の先生態勢に
していこうと我々には実力がないからと言わずに、子供たちの精神的不安定、いじめ、学級崩壊
などを理由にして 楽になるように、職場から追われないように保身のため 教育改革とは少子化
にもかかわらず先生の人数を多くする方法を選択している。
 
教育改革はまずその学校の校長は、専門外の外部から招聘することから始めなければならない。
 教育関係の人が校長では、全く変革は得られない。
全く素人がなってこそいじめも、学級崩壊も解決の方法を見つけだす
事ができるし社会に役立つ生徒を育成できるようになっていく。    
 

トップページに戻る

             
 
 
                          

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system