自責厳者、責人亦厳
自ら責めること厳なる者は人を責める事もまた厳なり、 人に恕する事寛なる者は自ら恕する事も亦寛なり。
言志四録にある言葉であるが、論語,孟子を又性善説を学習していると、 陥りやすい言動が生じるのである。 自分を戒めるべき言葉のはずが、 他人を批判する物差し,基準になってしまうのである。従い、他人を厳しく 叱責する,批判するのである。 これは決して間違いでなく、正論であり 意見は正しいのである。 そして何時の間にか,自分がお留守になり 自分には寛,他にだけに厳になってしまうのである。
エリートと呼ばれる人達は25歳ぐらいまでの学歴,テストの結果でキャリア となった者達もこの道を踏むのである。 学歴,資格試験にてトップの 成績をおさめ、将来を約束されるのである。そのときに、20代で税務署長、 警察署長、いろいろな場でトップを演じるのである。降格する心配も無く 次から次へと、部署の長を歴任していく。その経過で彼らの頭の中に 有る考えは何か,それは、誇伐である。この誇伐には、自分の誇り,偉いん だと言う気持ち、陰の一面から見ると周囲に対しておまえらは劣って いるんだと言う考えである。
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人間の頭脳には顕在意識と潜在意識があり隠れた意識である潜在 意識では、自分と他人を区別できないように出来ている。従い周囲を 馬鹿にする、劣っていると思えば必ず潜在意識は主語が無い意識の為 自分が劣っていると解釈してしまう,その長い年月が、無能の秀才ができ あがるのである。
テレビに出てくるキャリア県警トップの言動は世間のの常識からかけ離れて いたことは、中学生でも判断できることである。 出来なかったと堂々と言う無能,無駄な秀才が日本の警察を動かして いるのである。30年前の犯人検挙率のデータはここにないからはっきり 言えないが、10%以上下がっているはずである。競争の無いキャリアは 20万人以上の警察官を管理しているのでなく、只その上に乗っているだけで ある。
県警本部長を勤めた人が上司に迎えて一緒に仕事を行ったことが あるが警察関係の仕事以外はさせてもできないのは当然だが、150人 社員の前で、訓示をお願いしたことがあるが、士気が下がるほど、 覇気が無く,内容が無いので社員から批判を浴びて,訓示はご遠慮 願ったことがある。 競争の無いエリートの終末の姿が国境無き,厳しい 競争世界で官僚,公務員,警察,学校の教員の人達のミスが露呈してき ている。 このミスの連続は決して偶然ではない。エリートと呼ばれた人達の これから修羅場を体験するようになっていく。
わずかに誇伐の念頭有らば,便ち、天地と相似ず。(言志四録)
これは,一般の人達にも,言える中小企業の社長、会社の課長、 部長の言葉に、部下に役立たずが多い、最近若い者は駄目,能力 が無い,駄目、駄目と繰り返す上司は、自分の頭脳に俺は駄目だ と繰り返しているに等しく、部下が駄目でなく自ら無能な経営者だと イメージしているのである。育成するのが自らの仕事である。
無能な秀才にならない為に、自ら厳しく戒め、他人には寛容に見つめ 育成することが、自らを成長させる方法であろう。
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