ミクロとマクロの眼

 

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 1)現代の世界は陽と陰の戦い、対立の世界

     陽         陰

     暴力ーーーーーーー非暴力

                非暴力主義のガンジー首相、アメリカのキング牧師は暗殺という暴力を受ける。

     陰過ぎると陽となる。陽を引き付けるのである。

 

     乱暴ーーーーーー優しさ

     最近の十代の犯罪で気になることは、優しい、大人しい子供が殺人を犯している。

 

     病気ーーーーーーー健康

     健康と思われていた人が、急に入院し、大病であったことを知る。

 

     戦争ーーーーーーー平和

     平和を謳歌している国、平和主義を唱えている国が平和を守る理由で

     戦争を仕掛けている。

 

     悪 ーーーーーーー 善

     悪義ーーーーーーー正義

      正義感があり過ぎる人間は他人に正義を求めすぎ、悪義を行う。

 

     ミクローーーーーーーマクロ

      ミクロを研究している人間がマクロでも活躍できると錯覚している組織が多すぎる

      ように思う。 医師が病院経営をするシステム。ミクロの技術者である医師が病院

      経営など出来るはずはないのである。学校の先生が学校の経営を行おうとして

      も顕微鏡を見ながら、病院、学校の経営ができるはずはないのである。

      ミクロの見方を長年やっていた者が即マクロ的見方に切りかえることは出来はしない。

 

      カネの国ーーーーーーカミの国

          現在の事件を見てみると、大人しい人、やさしい人、優秀な人が

       暴力事件を起こし、人を殺したりしている。私は健康です、病気

       したことがない人が、大病にかかったりする。善い事をすること

       が私の使命です、と公言している人が有る時から詐欺で捕まったり

       する。 このような事件を見ていくと非暴力過ぎる人は、暴力事件  

       を起こしやすく、優し過ぎる人は乱暴な人になりやすく、健康と思い過

       ぎる人は病気になりやすく、平和過ぎる国は戦争を起こしやすく、招き

       引き寄せている。 善行を推進している人は悪行を行い易くなっていく。

       60年前神の国は、現代はカネの国、経済大国になっている。

       

       従い過ぎる考えが問題になる元になる。

     例えば先日、森総理がカミの国発言で記者が、野党が騒いだが、言った

      人間が悪いように報道されているが、反論している人間は戦前(60年前)

      であれば刑務所に入れられているのである。又日本のかみの国のままで

     あれば、アメリカは、世界は脅威を感じて、日本を精神的に根絶してしまえ  

      とアメリカ人が法律を作って国の精神的支柱を脆弱することを目的にした

      のである。 

     従い先日の反論した人達は60年前のアメリカの主張を手助けしているのである。

     この反論者はカネの国を基に反論したのである。

     では、どちらが真論なのか、どちらも過ぎるのである、

 

  

 

(2)現代の世の中の風潮

  別の言い方では他人の批判だけの世の中 、政治は野党も与党も他を批判

  政策論争は二の次となっている。

  サッカー協会、オリンピックが近いのに最近まで監督の批判だけで協力なし、

  記者、レポーターは揚げ足取り、〔ワイドショウは視聴率が良い)

    子供は他人の批判、いじめ、

    現代はどの分野も批判のみ

    只相手の弱点をついて批判することが偉い、評判を呼ぶ従いズバリ言う人間がマスコミを

    賑わしている。 批判するだけで自己主張の意見は持っていない。

 

記者、レポーター、政治家、ワイドショウの常連、政治評論家、世界を見渡せば国、企業、団体を

評価ランクずけする会社が高い評価をうけている。、すべて悪いことを指摘して有名になっている。

政治評論家と政治記者の言動は日本、世界の縮図がある。

 

総理大臣が質疑応答で、記者の質問は”貴方はいつ責任はとるのですか、”“失言など気にしないで

自分の意見を堂々と述べてくださいよ”どちらが総理かわからないような質問が飛び出すのである。

上下関係が無い自由な社会は国全体を乱す基になると思う。

 

上下関係に敬が無い世界である、生徒は先生をけなし、部下は上司をけなし、政治家は総理を

馬鹿にして、評論家は総理の欠点を暴き、自分の目標とする役職を叩いているのである。

敬いがあって初めてその人の教えが流れてくるのである。すべての人達ガ自分の登ろうとする目標

階段をこわして、目標を達成しょうとしている。   

 

 3 ミクロとマクロ 

  日々の仕事が忙しい、忙しいとそれだけに費やして他に気を向けない人が多いように思う。

忙しいことで、其の仕事にだけに精神を集中していると、森の中で一本の木の根を、顕微鏡で調べて

いるのと同じで、その木の上の幹が、枝が葉が枯れていることが気がつかない状態も掴めないことに

なる。  

時に忙しければ忙しいほど、離れて見る、ミクロばかりを追いかけなくマクロから見つめる必要

が出てくる。 細かい仕事ばかりをしていたものが、上に立って指揮しても今までの顕微鏡的見方

をしていたものは、鳥の眼、俯瞰した見かたはできない。

 

忙中閑をつくる努力が必要となる、閑をつくり旅行するなり、他のセミナーで学習するなり、異なる仕事

をいれる努力をすることである。  遠く離れた位置より気になるもう一つの仕事を考えるようになる

その離れた時に、マクロ的見かたが生まれるのである。 そしてインスピレーションが生まれ、良い

アイデイアが出るのである。  

日々の仕事に埋没しないで、表に出よう、違ったことを無理に入れてみよう、

必ず違った見かた、考えが生まれるはずである。  

 

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