性悪説は自らを強くする

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店には音楽が流れている,ある日に50曲入ったCDを購入した,その50曲が1時間半で終了する。

しかし気に入った曲ですので毎日流していました。

一週間後営業が終わって後かたずけをしていましたところ、音楽が流れています、今プレイヤーを

止めたはずなのに,音楽が流れてきます。

1曲が終わり、次の曲も聞こえてきます。プレイヤーをもう一度止めに行きましたところ電源は切って

ありました。これは潜在意識に刻印されて流れていない曲を頭脳が流しているのを聞いていたことに

なります。これと同じ効果が素読にあります。

素読を行うことにより考え,行動がその内容と同じ行動を自然と起こしている。

坂本竜馬も、西郷隆盛も、吉田松陰も命を賭けして国のために行動したのは素読が基であると

言われています。

しかし、素読の内容の選択は現代社会に合わせる必要があるのはもちろんであります。

しかしそれ以外に,他人のために、他人は善であり、真面目であり、信用すべきである。

と言う性善説の考えだけだと、他人の策により自分が被害にあったりします。

そんな被害に遭わないためには,他人はだらしが無い、自分の思ようには動かない,信用できない

存在である。と言う考えを知識にいれておくべきであります。

 

自らを戒める為には,性善説で自ら自己研磨して他人を見るには、性悪説で判断していく、

そうすることにより他人には寛容な態度となり自己に厳しい見方になる。

性善説だけを主張するようになると、過ぎたるは猶及ばざるが如し、と論語にあるように、

礼に欠ける面が出てくる。性善説を非常に引かれることは、自らの行動に性悪的行動を

起こす人が多いのである。人間には優しければ,乱暴な面を時には出して中和しようと働く。

真面目であれば,時には粗雑な面を出し、中和している、眼も赤ばかりみていれば眼の裏には

中和するために緑を作り中和している。表面が悪であれば裏では正義感が渦巻いているのである。

性善説を学習をしている人は,必ず兵学,法家(性悪説)を学ぶべきである。    

現代の中国古典の聖人である安岡正篤氏、岡田武彦氏両者ともに兵法,性悪説の重要性を

解いている。最近の古典を解いている研究家は性善説の良さだけを解いているため,深みが無く、

ただ漢字の説明で終わっている。

 

難解な文章,例えば筍子、正法眼蔵,孟子,中庸などは黙読でなく,声を出して読むことである。

黙読では、読めないことも解らずに読み、解ったつもりになってしまう。

孫子の兵法、三国志、マキャべリ―,筍子,韓非子と黙読で学習したのでは、解らないのが当たり前で、

20年間学習していて解らない人もいるのです。

古典とは、解ったと言う終着点がないところに良いところがあるのではないかと思います。

難解な古典,文章は、必ず声を出して何回も読むべきです、必ず潜在意識が吸収して、

自然と必要なときにその読んだ行動が出てきます。

性善説ばかり学習すれば中身だけが性善説だが,外部行動は性悪的行動が出てくるのが

人間の頭脳です。

みなさんの周囲の人を良く見てください。

常に性善説(良いこと感心することを言う人が自らは性悪的行動(他人が迷惑したり、腹が立つ

ような行動が多い人)を起こしている人は多いのに気がつくはずです。

性善説ばかり、唱えていると必ずや性悪的行動がでるのが普通です。

性善説だけの学習では、現実を無視することである、現実は自我の心理、競争世界である,自分が

、自分だけが合格するために,自分だけが入社するために、自分だけが進学するために,

自分だけが昇進する為に努力しているのです。

自分が良ければと言う性悪説を無視すれば競争世界を生きていけないことになります。

現代の社会は,性善説80%,性悪説20%割合で学習すべきである。

性悪説のない人間は、塩を入れていない甘いだけのお汁粉に似ている。

味に締まりがないことになります。

締まりのあるけじめのある態度を作るために、性悪説を学習することをお勧めする。

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