素読道とは(2)

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老子14章に

 

之を視れども見えず、名づけて夷と曰う。

 

之を聴けども聞こえず、名づけて希と曰う。

 

之を捕えんとすれども得ず、名づけて微と曰う。

 

この三者は致詰す可からず。

 

故より混じて一と為る。

 

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見えないもの夷(い)という。

 

聞こえないもの希(き)という。

 

掴めないもの微(び)という。

 

夷、希、微は五感では全く解明できない。

 

夷、希、微の基は混ざりあって一体>>道・ドウ

 

 

この見えない三者を体得する道である。

 

その方法として日本古典、中国古典を同じ文章

 

を何回も素読(音読)することである。

 

一、腹の底から声を出すこと。

 

二、自分の声を良く聞くこと(時に録音して聞く)

 

三、意味、解釈はしないこと(顕在意識は意味不明)

 

四、潜在意識に語句を声音を通して五感(視覚、聴覚、

 

触覚、味覚、嗅覚)に浸透させること。

 

五、顕在意識で覚えようとしない、只声を大にして素読

する。

 

○ 繰り返す素読により潜在意識が働き、潜在意識に刻印

 

され口が覚えてしまう。

 

○潜在意識は素読繰り返しにより徐々に少ない回数

 

で浸透、刻印されるようになる。

 

○潜在意識に浸透、刻印することで礼儀作法の言動

 

 が体得されている。

 

そのほかにもいろいろ体得することができるが

 

  自らの感覚で体感して頂き確認してください。

 

 

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