古典を音読しょうNO,85

                                                              

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(一)中国は物進人退
 
  読み上げ音声
 
中国人からも我が国は物質は進歩して世界二位になったが人は退化して低IQ人間ばか

りが住んでいると言い放っている。原始人が近代化した世界に住んで汚れた水を飲

み、くすんだ空気、信用できない食べ物を食べながら生活していることに耐えられな

くなって逃げ出したい気持ちの表れであろう。
 
二宮翁夜話の中に国家の衰亡は利権の争奪から始まると記している、「おのおの利を

争うことが甚だしいから富者は足ると云う事を知らないし世を救うという心も無い。

手前勝手なことばかり工夫し、天恩も知らず、国恩も思わない。貧者は貧者で何とか

して己の利益を図ろうとするが別に工夫も無いから、納めるべき村費を滞らせたり、

出すべき小作米を出さなかったり、借りたものを返さなかったりしている。

こうして貧富ともども義を忘れて誰も利にならない工夫ばかりして利を争っている」
 
二宮金次郎が記した通りのことを建国65年の中華人民共和国は繰り返している。

経済評論家は既に崩壊は始まっているというが、この国家が30年で隆盛を窮めた裏に

は世界を牛耳る世界資産家である大金持ち軍団、財団が操っているという。

このまま崩壊させてしまえば大損をしてしまうのでこの中国をもう一段階引き上げて

金のなる国に押し上げてみようという力が働いて後15年は崩壊を隠して、見えないよ

うにして世界一GDPにしてから滅亡させれば大きな金が儲かるという魂胆が入り混じっ

ていると言われている。
 
このような力が働いている関係上、現在の中国の共産党の利権も組みして最後のあが

きが続き中々崩壊には進まずに紆余曲折を繰り返しながら現体制が15年続くという

考えが進行中であります。 15年後この広大な汚染国家を再生するのには長い期間が

必要で有ります。汚し放題が45年続けば最低でも同じ年数が必要になります。
 
一番の問題は自分だけの利を求める精神を利他の精神に改めさせることが先決であり

ます。 3000年続いた自分だけの利益を求める精神を改める教えが浸透するかにか

かっているのではないでしょうか。
 
 
(二)二宮翁夜話を音読しよう。
 
二宮金次郎 1787年9月4日-1856年11月17日

江戸時代後期の農政家・思想家。

寝る間も惜しんで勉学に励んだ「歩きながら本を読む」姿は、勤勉のシンボル

としてかつて日本全国の小学校などに銅像として建てられた。
 
    音読音声
 
中庸は実行容易、孟子は困難(二二一)
 
儒学者があって、孟子はやさしい、中庸はは難しいといった。すると翁がいわれた。

私は文字の上のことは知らないが、これを実地の仕事に移して考えれば、孟子が難し

くて中庸はやさしい。どうしてかといえば、孟子の時代はもう道が行われなくなっ

て、異端の説が盛んであった。だから孟子は、もっぱらその弁明に努めて道を開こ

うとした。それ故仁義を説きながら仁義に遠いのだ。そなたたちが孟子はやさしいと

いって孟子を好むのは、おのれの気持ちに合うからだ。

そなたたちが学問をする気持ちは、仁義を行わんが為に学ぶのではない、道をふみ行

うために修行したのではない。 ただ書物の上の議論に勝ちさえすればそれで学問の

道は足りたと考える。議論が達者で人を言い伏せれば、それで儒者のつとめは立つと

思っている。しかし聖人の道と言う者は、どうしてそんなものではない。

聖人の道は仁をつとめるにある。

五倫五常を行うにある。決して、弁舌によって人に勝つ事が道でもなければ、人を

言い伏せることが務めでもない。

ところが孟子はそれなのだ。そんなものが聖人の道であったら、はなはだ難道だ。

容易に行えるものでない。だから孟子は難しい。というのだ。

ところが中庸は、通常の平易な道であって、一歩から二歩三歩と進むようにまことに

行いやすい。たとえば百石の身代の者が勤倹をつとめて五十石で暮らし、五十石を

譲って国の為になることをするのは、まことに行いやすいことで、愚夫愚婦にもでき

ないことがない。この道を行えば、学問はしないでも、仁であり義であり忠であり

孝であって神の道も聖人の道も、一挙に実行できるわけだ。

至って行いやすい道だから、中庸といったものだ。私は、わが道は分限を守るのを本

とし、分内をを譲るのを仁とすると教えているがそれこそ中庸で行いやすい道ではな

いか。
 
参考文献

二宮翁夜話(下) 佐々井典比古 一円融合会
 
 
(三) 聖徳太子,十七条憲法を音読しよう。

 聖徳太子(574〜622) 

今回は九条〜十七条まで音読しよう。
 
   九条〜十二条音声       十三条〜十七条音声
 
九に曰わく、信はこれ義の本なり。事毎(ことごと)に信あれ。それ善悪成敗は

かならず信にあり。群臣ともに信あるときは、何事か成らざらん、群臣信なき

ときは、万事ことごとく敗れん。
 
十に曰わく、こころのいかり(忿・いかる)を絶ちおもてのいかり(瞋・いかる)

を棄て、人の違うを怒らざれ。人みな心あり、心おのおの執るところあり。

彼是(ぜ)とすれば則ちわれは非とす。われ是とすれば則ち彼は非とす。

われ必ず聖なるにあらず。彼必ず愚なるにあらず。共にこれ凡夫(ぼんぷ)のみ。

是非の理(ことわり)なんぞよく定むべき。相共に賢愚なること鐶(みみがね)の

端(はし)なきがごとし。ここをもって、かの人瞋(いか)ると雖(いえど)も、

かえってわが失(あやまち)を恐れよ。

われ独(ひと)り得たりと雖も、衆に従いて同じく挙(おこな)え。
 
十一に曰わく、功過を明らかに察して、賞罰必ず当てよ。このごろ、賞は功に

おいてせず、罰は罪においてせず、事を執る群卿、よろしく賞罰を明らかにすべし。
 
十二に曰わく、国司(こくし)国造(こくぞう)、百姓(ひゃくせい)に斂(おさ)めとる

ことなかれ。国に二君なく、民(たみ)に両主なし。率土(そつど)の兆民は、王を

もって主(あるじ)となす。任ずる所の官司(かんじ)はみなこれ王の臣なり。

何ぞ公(おおやけ)とともに百姓に賦斂(ふれん)せんや。
 
 
 
    十三条〜十七条音声
   
十三に曰わく、もろもろの官に任ずる者同じく職掌(しょくしょう)を知れ。

あるいは病(やまい)し、あるいは使(つかい)して、事を闕(か)くことあらん。

しかれども、知ること得(う)るの日には、和すること曽(かつ)てより識(し)

れるが如くせよ。それあずかり聞くことなしというをもって、公務を防ぐる

ことなかれ。
 
十四に曰わく、群臣百寮、嫉妬(しっと)あることなかれ。

われすでに人を嫉(ねた)めば、人またわれを嫉む。

嫉妬の患(わずらい)その極(きわまり)を知らず。

ゆえに、智(ち)おのれに勝(まさ)るときは則ち悦(よろこ)ばず、

才おのれに優(まさ)るときは則ち嫉妬(ねた)む。

ここをもって、五百歳にしていまし賢に遇うとも、千載(せんざい)にして

もってひとりの聖(ひじり)を待つこと難(かた)し。

それ賢聖を得ざれば、何をもってか国を治めん。
 
 
十五に曰わく、私に背(そむ)きて公(おおやけ)に向うは、これ臣の道なり。

およそ人、私あれば必ず恨(うらみ)あり、憾(うらみ)あれば必ず同(ととのお)らず。

同らざれば則ち私をもって公を妨ぐ。憾(うらみ)起こるときは則ち制に違(たが)い

法を害(そこな)う。故に、初めの章に云(い)わく、上下和諧(わかい)せよ。

それまたこの情なるか。
 
 
十六に曰わく、民を使うに時をもってするは、古(いにしえ)の良き典(のり)なり。

故に、冬の月には間(いとま)あり、もって民を使うべし。春より秋に至るまでは、

農桑(のうそう)の節(とき)なり。民を使うべからず。

それ農せざれば何をか食(くら)わん。桑(くわ)とらざれば何をか服(き)ん。
 
 
十七に曰わく、それ事(こと)は独(ひと)り断(さだ)むべからず。

必ず衆とともによろしく論(あげつら)うべし。少事はこれ軽(かろ)し。

必ずしも衆とすべからず。ただ大事を論うに逮(およ)びては、

もしは失(あやまち)あらんことを疑う。

故(ゆえ)に、衆とともに相弁(あいわきま)うるときは、

辞(ことば)すなわち理(ことわり)を得ん。

参考文献 聖徳太子 憲法十七条 梅原 猛 小学館
 
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