古典を音読しょうNO,92
(一)日本の実力 読み上げ音声 日本に来る外国人が去年あたりから急激に増えて多くのことに驚きを与えている。 その主なものは、乗り物が時間通りに来ること、道路が清潔であること、人々が親切 でサービスが良いこと、トイレが清潔便利であることなど多くの賛辞を述べている。 日本は今まで技術力が世界に知られて多くの製品を輸出してきてその技術から日本人 の人間力にまで評価を上げようとしています。 日本は識字率はほぼ100%を誇っている、世界から賞賛を浴びる教育システムを 持っている、江戸時代のペリーの使節団が来た時でさえ、城の前の掲示板を小さな 子供たち、町民、農民たちが読み話し合う姿を見て老若男女が字が読めることに驚い たことを使節団の感想が記録に残っていて、又町の鍛冶屋の卓越した技術に驚愕して いる。 改めて日本の現状を眺めてみますといつも見ていることなので普通だと思っ ていたことが異国人から見ると驚くような数々の意見を聞いて始めて誇るべきもの を日本にあったことを思い知らされます。 日本の技術力はたゆまない研究努力の成果が結実していて、団結力と和の結実による 研究成果が実を結んだ創造力で世界に表現しています、青色のバラ、青色のLED の発明はその最たるものであります、青色は今まで多くの国、人が研究してきたが どうしても発見、発明できなかったことがチーム力と継続力、研究成果引継ぎの 成果が大発明を成し遂げたのであります。 今までのノーベル賞は専門家でないとわからないことでありましたが青色LEDの 発明は今最先端のエネルギーエコ消費のLEDで青色が発明されたことで白色が製品 化できたことですべての色が1/10以下の電力消費量で美しい装電飾を見ることが できるようになりました。 本当の日本の実力は雑貨店での製品であります、100円ショップ、雑貨文房具、便利 品の数々の製品が日々生み出されています。 生活雑貨便利品においての多くの製品は 日本でなくては見られないものであります。 他の先進国は軍事力に重視して生活製品に人材が生まれない状態でありますから日本 の独壇場であります。その延長上において医療技術製品が世界の人々の健康に影響を 与えています。 この医療産業で重粒子加速器の放射線治療法で癌をピンポイントで発見し、其の部分に だけ重粒子線放射してがん細胞死滅させます。前立腺がんなどは切らなくても重粒子線 を5分当てるだけで治療できます。この機械は世界に4機しかない。 三菱電機の鎌倉製作所が製作されたこの機械の原理はミサイル誘導の技術が共通していて 新型地対地ミサイルが完成されていて今必要な場所、尖閣諸島のある一地区に配備すれば 50目標から100目標の舟艇が襲来したとすると一回の発射でそのすべてを目標に命中 させて相手を全滅させる事が出来ます。 これはコンピューターとレーダーで制御されており、人間の力によるものではない。 現在生活経済、産業面で活躍している技術が世界の安全保障、防衛体制を築き上げている 実力を養成しているのであります。 参考文献 中国崩壊前夜 長谷川慶太郎 東洋経済新報社 |
(二)枕草子を音読しよう。 清少納言 生没年未詳。清原元輔(908〜990)の娘。一条天皇の中宮定子(藤原道隆の 娘)に仕えた。 音読音声 春は曙。 やうやう白くなりゆく山際(やまぎわ)、すこしあかりて、 紫だちたる雲の細くたなびきたる。 夏は夜。月の頃はさらなり、闇もなほ、螢飛びちがひたる。 また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くもをかし。 雨など降るも、をかし。 秋は夕暮。夕日のさして山端(やまぎわ)いと近くなりたるに、烏(からす)の寝所 へ行くとて、三つ四つ二つなど、飛び行くさへあはれなり。まして雁などのつらねた るが、いと小さく見ゆる、いとをかし。日入りはてて、風の音(おと)、蟲の音 など。はた言うべきにあらず。 冬はつとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず。霜などのいと白きも、 またさらでも いと寒きに、火など急ぎおこして、炭(すみ)持てわたるも、いとつき づきし。昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、炭櫃(すびつ)・火桶(ひおけ)の 火も、白き灰がちになりぬるは わろし。 参考文献 枕草子 三省堂 |
(三)方丈記を音読しよう。 著者 鴨 長明 1155〜1216 平安時代末期から鎌倉時代にかけての日本の歌人 随筆家。 音読音声 遷都(続) 元より此所に居れるものは、地を失ひてうれへ、今うつり住む人は、土木のわづらひ あることをなげく。道のほとりを見れば、車に乗るべきは馬に乗り、衣冠布衣なる べきはひたゝれを着たり。都のてふりたちまちにあらたまりて、唯ひなびたる武士に ことならず。これは世の乱るる瑞相とか聞きおけるもしるく、日を経つつ世の中うき 立ちて、人の心も治らず、民のうれへつひにむなしからざりければ、おなじ年の冬、 猶この京に帰り給ひにき。されどこぼちわたせりし家どもはいかになりにけるにか、 ことごとく元のやうにも作らず。ほのかに傳へ聞くに、いにしへのかしこき御代に は、あはれみをもて國ををさめ給ふ。則ち御殿に茅をふきて軒をだにとゝのへず。 煙のともしきを見給ふ時は、かぎりあるみつぎものをさへゆるされき。これ民をめぐ み、世をたすけ給ふによりてなり。今の世の中のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。』 又養和のころかとよ、久しくなりてたしかにも覚えず、二年が間、世の中飢渇して、 あさましきこと侍りき。或は春夏日でり、或は秋冬大風、大水などよからぬ事ども うちつゞきて、五穀のことごとく成らず。 むなしく春耕し、夏植うるいとなみありて、秋かり冬收むるぞめきはなし。 これによりて、國々の民、或は地を捨てゝ堺を出で、或は家をわすれて山にすむ。 さまざまの御祈はじまりて、なべてならぬ法ども行はるれども、さらにそのしるしな し。京のならひなに事につけても、みなもとは田舍をこそたのめるに、絶えてのぼる ものなければ、さのみやはみさをも作りあへむ。念じわびつゝ、さまざまの宝もの、 かたはしより捨つるがごとくすれども、さらに目みたつる人もなし。 たまたま易ふるものは、金をかろくし、粟を重くす。乞食 道の辺におほく、うれへ悲 しむ声耳にみてり 。 参考文献 方丈記 講談社学術文庫 |