漢文を音読しょうNO,36

                                                              

 
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(一)ミクロとマクロの磨き方
 
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日本語は左脳言語であり
外国語はすべて右脳を主に使用する言語だと前記しました。
従いミクロ的考えは日本人は特に優れています。
マクロ的には日本人は不得手であります。

外国人は、特に西洋人はマクロ思考は秀逸です。
それは言語は4000ヘルツ以上の発音を常時使用
することで頭脳にマクロを磨く刺激を与えているので
あります。
日本語は150ヘルツから1500ヘルツを発する
言語のためにミクロ思考の刺激を受けています。
大会社になると日本人の社長では対処できなく外国人社長と
交替して経営が好転したという例が1990年代に良く
見かけました。
最近はマクロ的の日本人経営者が出てきております。

ミクロとマクロと両脳を磨くにはどのようにしたら良いのかの
方法であります。
ミクロ思考とは樹に譬えると葉っぱ、幹だけを見て樹の育成を考え

マクロ思考は根っこの育ち方を見て考えて育成法を見ます。

しかしミクロとマクロとを両方見なければいけないのです。


マクロの磨き方は意味、解釈を無視して素読することです、

そうすることによって潜在意識の働きが活発になってきます。
不明な言語が多く潜在に浸透させることによって磨かれます。
ミクロの磨き方は意味解釈を充分に行い、音読を繰り返すこと
ことで言語の一つ一つに気配りすることです。
 
又最近の情勢を考えて気をつけなければならないことは
スマホを余り見ないこと、歩く時、電車に乗っている時に皆が
スマホを片手に持ち、暇があれば見ていますが雑情報を頭脳に
入れて煩雑にしています。
頭が身近なことに気をとられて必要な情報を逃がしている場合が
出てきます。
十住心論の 七番目、覚心不生心
 
その澄み渡る心は自由自在。物の有無に迷うこともなく、自利・他利の
 
境もない心の状態に保つためにはその雑情報が邪魔になります。
少しの時間があれば心を一点におさめて沈黙の姿勢を
とること、黙想であり、瞑想の一種を行うことです。

日本人の頭が良いと思われる人は目の前に囚われて時間を動かす
ことができない特徴があり、発想、想像力に欠けます。
 


(二)枕草子を音読しよう。
 
清少納言作--生没年未詳 平安中期の女流文学者

紫式部(源氏物語)と女流文学の花を競った。
     
  
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枕草子(一)
 
春は、曙やうやう白くなりゆく、山ぎはすこし明りて、紫だちたる
 
雲のほそくたなびきたる。
 
夏は、夜。月のころはさらなり、闇もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。
 
また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光りて行くも、をかし。
 
雨など降るも、をかし。
 
秋は、夕暮。夕日のさして、山の端いと近うなりたるに、
 
烏の、ねどころへ行くとて、三つ四つ二つなど、
 
飛び急ぐさへ、あはれなり。
 
まいて、雁などのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。
 
日入り果てて、風の音、虫の音など、はた、言ふべきにあらず。
 
冬は、つとめて。雪の降りたるは、いふべきにもあらず、
 
霜のいと白きも、またさらでも、
 
いと寒きに火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。
 
 
 
昼になりて、ぬるくゆるびもていけば、
 
炭櫃火桶の火も白き灰がちになりて、わろし。 

 参考文献:枕草子 石田 穣訳 角川出版
 
 
 
(三)十住心論を音読しよう。
 
弘法大師空海ー(774年〜835年)

 真言宗の開祖
 
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 十住心論
 
◎六、他縁大乗心(たえんだいじょうしん)
 
有縁、無縁の悩める人をへだてなく救う、菩薩の位
 
物事の因果の種を知った己は、縁に囚われるという
 
ことがなくなる(無縁)。
 
他縁とは、縁に囚われずに、すべての人々に別け隔てなく
 
慈悲の心を感ずることである。
 
小乗というのが己一人のためのものであれば、
 
大乗というのは自他の境を虚しくするものである。
 
 
◎七、覚心不生心(かくしんふしょうしん)
 
この世に存在する、あらゆる物も現象も、すべては空であると観想する
 
般若思想の位。
 
その澄み渡る心は自由自在。物の有無に迷うこともなければ、
 
自利・他利の境もない。
 
 「不生・不滅・不断・不常・不一・不異・不去・不来」
 
これら八不によって、実在からの迷妄は断ち切られる。
 
ひたすらに空を観じれば心は静かに澄み渡り、
 
なんらの相(すがた)なく(無相)安楽である。
 
 
◎八、一道無為心(いちどうむいしん)
 
如実一道心(すべてが真実である)の法華経をよりどころとする
 
天台法門の位。
 
この心を知るものを、仏(大日如来)という。
 
この境地においては、すべてが清浄である。
 
人の持つ徳性は汚れに染まらないと観想し、すべての人の心は
 
清浄であることを知るのである。
 
 「心は清らかであり、心は外にもなく内にもない。
 
その中間(中道)にもない」
 
その心は、欲の世界のものでもなければ、物の世界のものでもない。
 
精神世界のものですらないのである。
 
 
◎九、極無自性心(ごくむじしょうしん)
 
法界はすべて無自性であるという華厳の世界を説く位。
 
 「水は自性なし。風に遇うてすなわち波たつ」
 
 水はそれ自体に定まった性質(自性)はない。
 
風が吹けば波が立つだけである。
 
そこには一切の対立がない。
 
対立・矛盾がないゆえに、その世界には一つとして自性(固定的本性)
 
をもつものがない。
 
 宇宙の中のすべては、互いに交じり合い、互いに融け合っている。
 
 「一と多の融合」
 
 
◎十、秘密荘厳心(ひみつそうごんしん)
 
宇宙そのものが仏身である、全体は常に一つの中に盛られ、
 
どの一つもみんな全体に通じている無限に展開する位。
 
 一般的な仏教は塵を払ってくれ、そして真言密教が庫の扉を開く。
 
 残念ながら、この境地を説くことは許されていない。
 
 容易く説いてはならない、と戒められているのである。
 
ゆえに「秘密」といい、すべての分別を超えた境地(荘厳心)
 
がここにはある。
 
これは空海の言であるが、的を知らずに矢を放つことの虚しさ
 
を説いている。
 
たとえば、空海の真言宗というのは、即身成仏、
 
すなわち生きながらにして「仏」となることを肯定している。
 
いわゆる自力本願である。
 
 「十住心論」とは、その仏への道筋を示すものであり、
 
たとえ分からなくとも、何となくそんな心の段階を踏んでいく
 
のかということくらいは知ることはできる。
 
参考文献:

密教入門 大栗道榮 鈴木出版

新十住心論  池口恵観 KKロングセラーズ
 
  
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