漢文を音読しょうNO,45

                                                              

 
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(一)すべては陰陽の戦い                                                                        2014.1.3 Me
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TPPでアメリカと交渉段階に入り去年中に解決予定が今年に持ち
 
込まれて1月中旬から再度交渉が再開される。
 
日本は外交交渉は下手であります、今までの多国間の交渉で
 
日本が有利に交渉を終えたことを聞いたことはありません。
 
これは何が起因しているのでしょうか。
 
 対アメリカ、対中国、対韓国、対ヨーロッパのあらゆる交渉事
 
は負けて相手が有利になることで決着しています。
 
これは日本語に原因しています、日本語はすべて15〜1500ヘルツ
 
の言語波で話しています。
 
他国はすべて2000ヘルツ以上の言語波で話します。
 
これは日本語は低波(陽)で話し他国は高波(陰)で音声で話します。
 
 陽とは部分、自分だけ、局部、狭い部分、細事に気を回す(顕在意識)
 
 陰とは全体、相手まで、大局、広い場に、粗事に気を回す(潜在意識)
 
 日本人は顕在意識で考え、
 
 他国人は潜在意識で考えます。
 
 従って他国は交渉事で相手は次に何をするのかを常に考え事に当たって
 
きます。 しかし日本人は自分だけの考えで満杯なのです。

 
従って心身に故障、乱れて気合、気迫で負けているのです。
 
他国はこの交渉事の強気策謀が国内では混乱を招いているのが近頃のアメリカ
 
の共和、民主党との議論遅れで国家公務員を一時自宅待機となり、国家が休眠
 
状態となりました。
 
中国の国内騒乱も国外の強気策謀と同じ原因であります。
 
今回のTPP交渉もアメリカと日本との条件は大きな差があるのでしょう。
 
内状は知らせてもらえませんが非常に日本に悪い条件で妥結されるでしょう。
 
交渉する担当者はアメリカは余裕綽綽とした態度で応対しているが日本側は
 
担当大臣が病気で入院するほど気を病み気合負けしているので大不利な条件
 
を背負い込むことになると思われます。
 
しかし日本は今までも不利な条件を国民の力でそれを押し返して結果は勝利
 
してきました。
 
1990年代の自動車、アメリカ輸出関連の問題でもニュースで日本車を
 
ハンマーで押し潰される画面を配信されるほど大きな問題がありましたが、
 
不利な条件を克服して10年後GM自動車を倒産させるほど挽回しました。
 
TPP問題でも日本国内が騒然とするような不利な条件が国民が新しい開発、
 
奮起努力することで禍を福に変える働きをしてアメリカの輸出産業を崩壊
 
させるほどの盛り返しをするでありましょう。
 
その底力が日本の武士道精神なのであります。
 
日本は維新後どの戦いにおいても、どんな出来事においても10倍以上の
 
戦力と戦って勝ってきたのです、このTPPでも10倍以上の世界の輸出産業
 
に対抗して勝利を収めていくでありましょう、特にTPPの農業部門の不利な
 
条件を背負い込むことは必定でありますが、それを跳ね返す労力と農業技術力
 
を発揮して世界を牛耳ることでしょう。
 
減反していた田畑を復活させて、植物工場、魚類養殖工場を建設して海外から
 
技術習得移民を募集して農業、漁業を大復活させる機会到来であります。
 
日本の魚類養殖産業は温泉利用、淡水魚、海水魚を同じ水槽で養殖する技術
 
を山で養殖する漁業が世界を折檻するでしょう。
 
この技術が世界に輸出すれば砂漠でもマグロ、はまちを養殖することができる
 
のです。
 
注記)

その他にも深海水、海面温度差発電所は完成の域に達しています。

これは赤道近辺の小さな諸島を裕福な社会に育成するでしょう。
 
 
(二)修 省 論を音読しよう。
 
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幸田露伴著  修 省 論より

(1867年-慶応3年 〜 1947年-昭和22年)日本小説家。

  
自助の精神
 
の高尚善良なることは今更言うまでもないことであって、此の強大
 
剛健なる精神の保持と存養と発揮と展開とが、人の一切の思想と言語
 
と行為との背骨となり心臓となり髄脳となるときは、其の人を光明と
 
希望と怡悦との境にゥ(お)くに至ること、争う可からず否む可から
 
ざるものである。
 
しかし自助の尊ぶ可きを知って、甚だしく自助の精神を保持し存養し
 
発揮し展開することにのみ傾く時は、又一種の厭う可くして喜ぶ可
 
からざる光景を生ずることを免れぬ。 由来
 
日本人は自助的精神に富む
 
で居る国民であって、卑屈の弊よりは貢高の弊に陥り、阿附の陋より
 
は孤独の陋に墜ち易い傾きがある。
 
これは絶海に孤立して居る国状が之を致したのであるか、古来より
 
して他の征服するところとなった経験などの無い歴史の誇りが之を
 
然らしめたか、或いは又本来の民性が勇武自尊である為であるか。
 
乃至は狭小なる国の割合には、高山峻嶺が多く、急流深谷がおおくて、
 
そして山水が自然に地理的区画を多からしめて、人民を部分的に
 
割虚して、心理的習慣を多からしめた。
 
独立自助の精神気風の強い半面として、和衷協同の精神に缺け易い
 
傾きのあることであって自助の尊きをば身に染みて知れる余りに、
 
互助の精神に富まぬことを致して居るのは、余り悦ぶ可きでは無い。
 
参考文献
 
  修 省 論 幸田露伴著 東亜堂書房 大正三年発行
 
 
(三)大鏡を音読しよう。
 
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この作品は万寿二年(雲林院菩薩講で大宅世継、夏山繁樹二老人語り手

から若侍が記録したと云われている)
 
六十四代 円融院 守平
 
円融院の略歴 安和の変 中后と大斎院
 
次の帝、円融院天皇と申しき。
 
これ村上の帝の第五皇子なり。
 
御母 冷泉院の同腹におはします。 この帝、天徳三年己未三月二日、
 
生まれさせたまふ。 
 
この帝の東宮にたたせまふほどは、いと聞きにくく。
 
いみじきことどもこそはべれな。 
 
これは皆人の知ろしめたることなれば、
 
ことも長し、とどめはべりなむ。 
 
安和二年己巳八月十三日にこそは位に
 
つかせたまへいけれ、御年十一にて。
 
さて天禄三年正月三日、御元服、御年
 
十四。世を」たもたせたまふこと十五年。
 
母后の御年二十三、四にて、うちつづき、
 
この帝・冷泉院とうみたてまつり
 
たまへる、いとやむごとなき御宿せなり。
 
御母方の祖父は出雲守従五位下藤原経邦といひ人なり。
 
末の世には、奏せさせたまひてこそは、
 
贈三位したまふとこそはうけたまはりしか。
 
いませぬ後なれど、この世の光はいど面目ありかし。
 
中后と申す、この御ことなり。 女十宮うみたてまつりたまふたび、
 
かくれさせたまへりし御嘆きこそいとかなしくうけたまはりしか。
 
村上御日記御覧じたる人もおはしますらむ。
 
ほのぼの伝えうけたまはるにも、
 
およばぬ心にも、いとあはれにかたじけなくさぶらふな。
 
そのとどまりおはします女宮こそは、大斎院よ。
 
参考文献
 
 大 鏡  小学館
 
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