漢文を音読しょうNO,47

                                                              

 
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(一)離見の見                                                         2014.1.20
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風姿花伝「舞に、目前心後と云うことあり。目を見て、心を後に置け」となり。
 
見所より観る所の風姿は、わが離見なり。しかれば、我が眼の観る所は我見なり。
 
離見の見にはあらず。 離見の見にて見る所は、すなわち見所同心の見なり。
 
其の時は、わが姿を見得するなり。」とある。
 
 一つは我が目で見てもう一つは心で我の後から観よと世阿弥は離見の見
 
の眼で物を見よと説いている。 (目前心後)
 
これは自らを主観の目と客観視する両眼が必要であると教えている。
 
600年以上前の日本においてこのような進んだ見方がなぜ生まれたのであろうか。
 
その考えの基を探れば猿面、能面、鬼面を被って演じる能の形式がその考えを
 
生み出したのではないだろうかと推定するのであります。
 
 現代においてもビート・たけし、北野武氏が滑稽な被り物をつけて話を語るのは
 
どうしてかと質問されて、面をつけたり、被り物を着けていると一瞬間自らを
 
 頭上高く、天井から見ているもう独りの自分を感じることがあって自らを客観視
 
するためであると答えています。
 
 他の例でも若きイケメン男優が赤、黄、青レンジャーと仮面を被って正義剣士
 
に扮してから有名人気俳優になった例が数人出現しているのは自分と違った言動を
 
演じる演技に加味する意義があるのであろう。
 
仮面を被って豹変した自分を第三者的立場で観ることができることが600年前の
 
世阿弥は世情の人とは違った考え方を生み出した基点になっている。
 
 又ワキ役である霊が主役であるシテに問いかけて時間的にも奥行きを与えて表面的
 
な物語を過去から自分を離れて観察する見方を教えてくれるのである。
 
 

(二)風姿花伝を音読しよう。
 
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作者 世 阿 弥 (ぜあみ)(1333〜1384年)

能の演劇論、父観阿弥から学んだものを言葉で綴った能楽書
 
  ○秘する花を知ること。

秘すれば花なり、秘せずば花なるべからずとなり。

この分目を知ること、肝要の花なり。そもそも、一切のこと、諸道芸において、

その家々に秘事と申すは、秘することにおいて大用かるがゆゑなり。

 しかれば、秘事といふことを現はせば、させることにてもなきものなり。

これを、させることにてもなしといふ人は、いまだ秘事といふことの大用知らぬ

がゆゑなり。まづ、この花の口伝におきても、ただ、珍しき、花ぞと、

みな人知るならば、さては、めづらしきことあるべしと、思ひ設けたらん見物衆

の前にては、たとひめづらしきことをするとも、

見手の心にめづらしき感はあるべからず。

見る人のため、花ぞとも知らでこそ、しての花にはなるべけれ。

されば、見る人は、ただ思ひのほかに、おもしろき上手とばかり見て、これは、

花ぞとも知らぬが、しての花なり。さるほどに、人の心に思ひもよらぬ感を催す

てだて、これ花なり。
 
  たとへば、弓矢の道のてだてに、強敵にも勝つことあり。

これ負くるかたの目には、めづらしきことわりに、化されて、敗らるるにては

あらずや。これ一切の事、諸道芸において、勝負に勝つことわりなり。

か様のてだても、 こと落居して、かかる謀よと知りぬれば、その後はたやすけれど

も、未だ知らざりつるゆゑに負くるなり。
 
さるほどに、秘事とて、一つをばわが家に残すなり。ここをもて知るべし。

たとへ、現さずとも、かかる秘事を知れる人よとも、人には知られまじきなり。

人に心を知られぬれば、敵人油断せずして、用心を持てば、却て敵に心を附くる

相なり。敵方用心をせぬ時は、こなたの勝つこと、なほたやすかるべし。

人に油断をさせて、勝つことを得るは、珍しきことわり大用なるにてはあらずや。

さるほどに、さが家の秘事とて、人に知らせぬをもて、生涯 の主になる花とす。

秘すれば花、秘せぬは花なるべからず。 
 参考文献
  風姿花伝 世阿弥 NHKテレビテキスト 100分 de名著
  風姿花伝 世阿弥 水野聡訳 PHP 
 
 
(三)外郎売を音読しよう。
 
外郎売  は歌舞伎十八番の一つ。

声優、俳優、アナウンサーなど、声や言葉を職業とする人たちが、

発声,発音の練習に使用。
 
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外郎売(後半)

 親も嘉兵衛、子も嘉兵衛、親かへい子かへい、子かへい親かへい、 

ふる栗の木の古切口、雨がっぱか、番合羽か、

貴様のきゃはんも皮脚絆、我等がきゃはんも皮脚絆、 

しっかわ袴のしっぽころびを、三針はりながにちよと縫うて、

ぬうてちょとぶんだせ、 かわら撫子、野石竹、のら如来、のら如来、

三のら如来に六のら如来、 
 
一寸先のお小仏に、おけつまづきやるな、細溝にどじょにょろり、

京の生鱈、奈良なま学鰹、ちょと四五貫目、 お茶立ちょ、茶立ちょ、

ちゃつと立ちょ茶立ちょ、青竹茶煎で、お茶ちゃと立ちゃ。来るは来るは、

何が来る。高野の山のおこけら小僧、狸百匹、箸百ぜん、天目百ぱい、

棒八百本。武具、馬具、武具、馬具、三ぶぐばぐ、合せて武具馬具六武具馬具、

 菊、栗、菊栗、三菊栗、合せて菊栗、六菊栗、 麦ごみ麦ごみ、三麦ごみ、

合せて麦ごみ六麦ごみ、 あのなげしの長なぎなたは、誰がなげしの長薙刀ぞ、
 
向こうのごまがらは、荏の胡麻がらか、真胡麻がらか、 あれこそほんの真胡麻がら、

がらぴいがらぴい風車、おきゃがれこぼし、おきゃがれこ法師、 ゆんべもこぼして

又こぼした、たあぷぽぽ、たあぷぽぽ、ちりから、ちりから、つったっぽ、

たっぽだっぽ一丁だこ、落ちたら煮てくを、煮ても焼いても喰われぬものは、

五徳、 鉄きゅう、かな熊どうじに、石熊、石持、虎熊、虎きす、中にも、東寺の

羅生門には茨城童子がうで栗五合つかんでおむしゃる、かの頼光のひざ元

去らず、鮒、きんかん、椎茸、定めてごたんな、そば切り、そうめん、うどんか、

 愚鈍な小新発知(こしんぼち)、小棚の、小下の、小桶に、こ味噌が、こ有るぞ、 
こ杓子、こもって、こすくって、こよこせ、おっと、がってんだ、 心得たんぼの、

川崎、神奈川、保土ヶ谷、戸塚を、走って行けば、やいとを摺りむく、 

三里ばかりか、藤沢、平塚、大磯がしや、小磯の宿を七つおきして、 早天そうそう、

相州小田原とうちんこう、隠れござらぬ貴賎群衆の、花のお江戸の花ういろう、

 あれあの花を見て、お心を、おやわらぎやという、産子、這う子に至るまで、

 此(こ)のういろうのご評判、ご存知ないとは申されまいまいつぶり、角だせ、

棒だせ、 ぼうぼうまゆに、うす、杵、すりばちばちばちぐゎらぐゎらぐゎらと、
 
 羽目をはずして今日お出での何茂様(いづれもさま)に、 上げねばならぬ、

売らねばならぬと、息せい引っぱり、東方世界の薬の元締、 薬師如来も照覧あれと、

ホホ敬って、ういろうは、いらっしゃりませぬか。   (終) 


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