漢文を音読しょうNO,55

                                                              

 
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  (一)タモリと胎内教育                         2014.4.10  
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3月31日で32年間続いた「笑っていいとも」が終了しました。

サラリーマンを32年間勤めるよりも難しいことであります。
 
サラリーマンであれば有給休暇年間20日、祭日は休日ですから実勤務日

は大分少なくなります。

所でタモリさんと言えば安産祈願で有名であります。

このようなことがなぜ可能だったのでしょうか。

これは胎内教育と密接に関係しているのであろうと思われます。
 
私事ですが小学4年生の時、夏休みに母親の実家(田舎)に初めて遊びに

出かけて行きました。

その時に不思議に思ったことがありました。

田舎の家族の人たちの声が皆聞き覚えがあるのです。

母親はこの実家にきて私を生んだことで納得したのです。

生まれて間もなくとも10日間でもはっきりと全員の声を記憶しているのです。

実際には胎内にいた2か月間に聞いた記憶かもしれないという思いがあった

のです。

生まれて10年後であったのに余りにも居心地がいいことを覚えています。
 
胎内にいる時に5か月目ぐらいからの胎内への呼びかけを聞いた記憶を持って

いる幼児がいたり、生まれた時に黄色のタオルに包まれたと記憶する赤ちゃん

がいたりします。

そのように考えるとタモリさんが胎児に話しかけて安産で生まれると話し

かけたり、逆子だから頭はこちらに向けてと指示すると3日ぐらいで正常

な態勢に変化するのは何の不思議はないように思えます。

実際に妊娠5か月ぐらいから音楽を聞かせたり、歌を歌って聞かせたり、

毎朝挨拶する習慣にしたり、いろいろ話しかけて周囲の景色、情景を説明

したりして胎児教育をすると天才児が生まれることを実証しているかたが

大勢おられることを聞いています。

妊娠したと分かった時から実際に生まれた赤ちゃんと同じように育成する

ことで生まれた幼児全員が秀才で飛び級で大学生になった兄弟がいる家族

がいるそうであります。

妊娠5か月ぐらいからは夫婦の会話はすべて胎内から聞いていることを理解

した方がよいのではないでしょうか。

胎児に話しかけて生まれる前学習を行えば生まれる恐怖感を緩めて安産の

役目があるだろうと思われます。

タモリさんの安産、安産という声、思いが妊婦の心の安定につながり、胎児

に伝わって安産につながっていくのであると思われます。

参考文献 

胎児はみんな天才だ ジツコ、スセデイック著 祥伝社
 
 
(二)道は近きにありを音読しよう。
 
道は近きにあり 大内青巒著
 
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○恩徳

忠孝仁義の大道は、神代ながら我が国に自然に具わった道であって、

誰教えると云うこともなく知らず知らず美しく行われ来ったのであった

けれども、追々と世が末になり、人が増し家が殖え、且つ外国から入り

こんでくる者も多くなるに従って、自然の成り行きにばかり任せて置いて

は段々とその道に背く者も多くなるに依って、儒書の中庸に言うてある如く、

「道を修むる之を教えと謂う」即ち其の忠孝の道を踏み誤らないように導く

所の教えというものが無ければならぬことになる。然るに我が国には昔から

其の道は自然に具わった有って、其の道を修むる教えという物は無かった

のであるから、今より千三百六十年前、聖徳皇太子が始めて支那と交通の

道を開かれ、我が国の政治法律学問技芸その他百般の事を支那から御採用

なさる時に當りて、儒教すなわち孔子の教えも仏教即ち釈尊の教えも、

皆ことごとく御取り調べになった様子であるが、其の中に孔子の教えは

国王大臣が天下の政治を執り民百姓を治めて往く所の心得としては誠に

結構であるに依って、其の方の側には儒教を御採用なされたけれども、

如何にせん忠孝の道に対しては忠孝不岐というわけに往かないのみららず、

甚だしきは君を弑したことを弁護して一夫の誅するを聞くなどと云う例さえ

ある程のことで有って見れば、直ちに之を日本の道徳の教えとするわけには

往かなかったのである。然るに仏教の方は本々其の目的とする所は出離解脱

ということに在るので、世の中の事に関係ないようなもので有るけれども、

同じ仏教の中にも大乗という方の教えに到りては、俗諦世間の教えとして

道徳倫理の説が具わって在り、殊に忠孝の道に於いては二つの間に少しも

優劣なく、親に事うる道も君に事うる道も共に此の上なく重きことに説いて

あるのであるから、却って道徳の助けには此の仏教の方を採用せられ、儒教

の方は政治の助けに採用し、サテ又我が国の神を祭る法は古来の仕来りに

任せて之を神道と名付け、即ち神道と仏道と儒道と三道ともに並べ用いて、

其の目的とする所は三道みな別々の受け持ちがあり、言うは分業分担して

而して互いに相助けて国を護ると云うことに定められた者である。
 
参考文献 道は近きにあり 大内青巒著 東亜堂書房 

                大正4年発行
 
 
(三)養生訓を音読しよう。
 
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○養生の術の第一は心気を養うことである

養生の術は先ず心気を養うべし。心を和にし、気を平らかにし、怒りと慾とを抑え、

憂い、思いを少なくし、心を苦しめず、気を損なわず、是心気、気を養う要道(ようどう)なり。

又、臥すことを好むべからず。

久しく睡り臥せば、気滞りてめぐらず。飲食いまだ消化せざるに早く臥しねぶれば、

食い気ふさがりて甚だ元気をそこなう。

いましむべし。酒は微酔にのみ、半酣をかぎりとすべし。

食は半飽に食いて十分に満つべからず。酒食ともに限りを定めて節にこゆべからず。

又若き時より色慾を慎み、精気を惜しむべし。

精気を多くついやせば、下部の気弱くなり、元気の根本絶えて必ず命短し。

もし飲食色慾の慎みなくば、日々補薬を服し、朝夕食補なすとも、益なかるべし。

又風、寒、暑、湿の外邪をおそれふせぎ、起居動静を節にし、慎み、食後には歩行

して身を動かし、時々導引して腰腹をなですり、手足を動かし、労働して血気をめぐ

らし、飲食を消化せしむべし。

一所に久しく安座すべからず。是皆養生の道は、病なき時は慎むにあり。病発りて

後、薬を用い、鍼灸を以って病をせむるは養生の末なり。本をつとむべし。
 
参考文献 養生訓・和俗童子訓 貝原  益軒著 岩波文庫

     日本の名著 貝原益軒 中央公論社
 
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