古典を音読しょうNO,66

                                                              

 
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                                  2014.7.30
(一)日本的経営に取り戻せ
 
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1990年から日本のGDPは500兆円で20年間成長が止まっています。その理由

はいろいろあると思われますが、一番の原因は日本的経営を止めたことに起因

していることだと思われるようになってきました。

日本的経営から合理的経営が推奨され、西洋の真似が入り込んでから大会社で

あっても傾く経営に変貌しています。

特に著しく破綻の憂き目にあっている会社はソニーであります。

際立つ技術があったソニーが優秀な技術者が他社に又独立されるような状況に

追い込まれたのは合理的経営がソニー社内を新しい技術が生まなくなった最大

の原因であろうと思います。
 
社内の特長であった燃える集団がアメリカ式合理的経営を施行した結果やる気の

ない普通の集団になってしまい、技術者は合理的経営の犠牲となり大量に退社する

事態になり技術が売り物の会社が何も取り得の無い会社に変貌してしまいました。

退社した人たちの技術の製品によってソニーは敗れてしまったのです。
 
又、ソニーが重工業への移行ができなかったことも大きな失敗であろうと思います。

三菱、日立、東芝、川崎重工業が好景気になっているように軽工業から重工業に社会

全体が需要が変遷してきてその社会を見究めることができなかったことが大きな失敗

の原因であります。
 
合理的経営者の特徴は上司になるほど人相が悪くなるそうであります、何時合理化で

自分がその犠牲になるかが分からないという不安感、恐怖感が性格を変質してしまう

のでしょう。

日本的経営の良いところは上司と意見が違っても堂々と異見を云い議論しても、失敗

してもそれによって社を辞めるようにはならないことでしょう。

英語では優越感と劣等感をまとめて「コンプレックス」と言う。

今まで失敗ばかりしていた人間がそれをバネにして一気に挽回することもあり得る

のである。劣等感が大仕事の原動力となっているのが日本的経営の特徴であろう。
 
「本当に面白いアイデイアを思いついたら、上司に内緒で物をつくれ」

健全な組織と言うのは、上司の権威など屁とも思わない部下と、そういう元気のいい

部下を頼もしく思う上司から成り立っています。
 
参考文献 マネージメント革命 天外 伺朗著  講談社
 
(二)五輪の書を音読しよう。
 
宮本武蔵著 五輪の書
 
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二刀一流の兵法の道(空の巻)

空の卷として書顯す事。

空と云心は、物毎のなき所、

しれざる事を、空と見たつる也。

勿論、空はなきなり。

ある所をしりて、なき所をしる、是則、空なり。

 世の中におゐて、悪く見れバ、

物をわきまへざる所を空と見る所、

実の空にはあらず。皆まよふ心なり。

 此兵法の道におゐても、武士として 

 道をおこなふに、士の法をしらざる所、

空にはあらずして、色々まよひありて、

せんかたなき所を、空と云なれども、

是、実の空にはあらざる也。武士ハ、

 兵法の道を慥に覚、其外、武藝を能勤、

武士のをこなふ道、少もくらからず、

心のまよふ所なく、朝々時々におこたらず、

心意二つの心をみがき、觀見二つの眼をとぎ、

少もくもりなく、まよひのくものはれたる所こそ、

実の空と知べき也。

 実の道をしらざる間は、

佛法によらず、世法によらず、

おのれおのれは、慥成道とおもひ、

能事とおもへども、心の直道よりして、

世の大がねにあわせて見る時は、

其身、其身の心のひいき、其目、其目の歪に

よつて、実の道にはそむく物也。

 其心をしつて、直成所を本とし、

実の心を道として、兵法を廣くおこなひ、

たゞしくあきらかに、大き成所を思ひとつて、

空を道とし、道を空とみる所也。
 
 空有善無惡、智者有也、理者有也、道者有也、心者空也 
 
参考文献 武道秘伝書 徳間書店
 
 
(三)落語小噺を音読しよう。
 
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垂乳根(たらちね)
 
長屋の八五郎に、家主が嫁を世話しようという。

年は二十歳。近所の医者の姪だという。

人並み優れた器量で、夏冬ひととおりのものは持ってくる。

たった一つの疵は、言葉が丁寧すぎることだというが、八五郎はそんな事は

お構いなし、大喜びで早速婚礼することに決め、家の中を掃除して七輪に

火を起しながら、独り言でさんざんノロケを云っているうちに日の暮れがた、

家主が嫁さん連れてきて「仲人は宵の口」とばかり、嫁の名前も教えずに、

さっさと帰ってしまう。
 
弱った八五郎、お前さんの名は、と聞くと

「そも我が父は京都の産にして

姓は安藤

名は慶三

あざなを五光、

母は千代女と申せしが、

わが母三十三歳の折、

ある夜丹頂の鶴の夢を見て

はらめるがゆえに、

たらちねの胎内を出でしときは

鶴女と申せしがそれは幼名、

成長の後これを改め千代女と

申しはべるなぁりいー」
朝起きれば起きたで

「アーラ、わが君、   アーラ、わが君、」

と八五郎を起し、やっとのことでご飯をたくと、再び夫の枕元へ来て

手をつかえ、
「アーラわが君。

日も東天にましませば、

うがい手水(ちょうず)に身を清め、

神前仏前へ燈灯(みあかし)を備え、

御飯召し上がってしかるべし、恐惶謹言」
 
「飯を食うのが恐惶謹言なら、

酒ならよって(=酔って)件の如しか」
 
注記)恐惶謹言、よって件の如し

昔は書状の結語としてよく使われたが、最近ではあまり用いられない

ので落ちとしても、通じにくくなった。
 
 
 
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