古典を音読しょうNO,67

                                                              

 
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(一)中国の国家、人民の体質                     2014.8.10
 
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中国人の妊婦はアメリカに渡って子供を産むということが最近の流行に

なっているようであります。これは二人以上の子供を本国で産むと罰金を

取られてしまうのでアメリカで産むことにより避けることができることが

その流れにつながっている理由であるようであります。

又子供がアメリカ籍となるとその家族もアメリカ籍を取り易いことも最大

の理由であるそうである。

子供を産んでからそのままアメリカに住む人たちも多く出ているようです。
 
その理由を聞くと中国本土では内乱が必ず起こるので中国には戻りたくない

と言います。130年前の清朝時代には内乱を治めるために日英米独墺伊仏露

の8カ国が駐在していました。今の中国は表面は経済的安定していますが人民

としては内乱暴発する状態であり、軍隊が7軍部に別れており同じ言語であって

も地方訛が違う為に会話が通じないことで230万人いる軍隊はひとつに統制の

守備、攻撃は一切できない状態です。

日清戦争時代であっても同じ230万人体制であり、日本は十分の一の体制で勝利

しています、どの時代も日本の十倍の軍隊であっても中国の欠陥は国が広過ぎる

ことによる不統制であります。

一人っ子政策のために戦争が始まれば半分は脱走、逃亡して軍隊の統率は乱れる

と危惧されています。しかしそれを補うために核がありますが核攻撃で攻める段階

から核のある場所、原子力発電所を攻撃されれば核不要でも同じ被害が受けます。
 
しかし一番の弱点は国家、人民共に「自分、自国が良ければ良い言動です」この

性質はすべての中国の国家問題に関係しています。
 
空気汚染、水質汚染、土地汚染、食物製造汚染、製造の粗悪品すべての問題は自分、

自国さえ良ければ良い言動から生み出されています。
 
この性質を修正するためには共産党独裁がなくなっても三世代、100年経過しなければ

新生中国が生まれることができないでしょう。
 
 
(二)東海道中膝栗毛を音読しよう。

著者 十返舎一九

(1765〜1831)江戸時代後期の戯作者、浮世絵師。日本で最初に、文筆のみで

自活した。『東海道中膝栗毛』は21年間長年月にわたって連載 
 
道中膝栗毛発端
 
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 武蔵野の尾花がすえにかかる白雲と詠みしは、昔、昔浦の苫屋、鴫たつ

澤の夕暮れに愛でて、仲の町の夕景色をしらざる時のことなりし。

今は井の内に鮎を汲む水道の水長(とこしえ)にして土蔵造りの白壁建ち

つづき、香の物桶、明俵、破れ傘の置所まで、地主唯は通さぬ大江戸の繁昌,

他國の目よりは、大道に金銀も蒔きちらしあるようにおもわれ、何でもひと

稼ぎと心ざして出かけ来るもの、幾千万の数限りもなき其の中に、生國は

駿州府中、栃面屋弥次郎兵衛というもの、親の代より相応の商人にして、

百二百の小判には、何時でも困らぬほどの身代なりしが、安倍川町の色酒に

はまり、其の上旅役者華水多羅四朗が抱えの鼻之助といえるに打込み、この道に

孝行ものとて、黄金の釜を堀いだせし心地して喜び、戯氣のありたけを尽くし、はては

身代にまで途方もなき穴を掘明けて留度なく、尻の仕舞は若衆とふたり、尻に帆かけ

て府中の町を欠落するとて

借金は富士の山ほどあるゆえにそこで夜逃げ駿河ものかな
 
斯く足久保の茶なることを吐きちらし、やがて江戸にきたり、神田の八丁堀に新道の

小借家住居し、すこしの貯えあるに任せ、江戸前の魚の美味に、豊嶋屋の剣菱、明樽

はいくつとなく、長屋の手水桶に配り、終に有金を呑みなくし、是ではすまぬと鼻之

介に元服させ、北八と名乗らせ、相応の商人方へ奉公にやりしが、元来さいはじけも

のにて、主人の気にいり、忽ち小銭の立まわる身分となり、弥次郎は又國元にて習い

覚えたりし油絵などを書きて其の日ぐらしにつき米當座買、たたき納豆、あさりの

むきみ、居ながら呼び込んで喰ってしまえば、びた銭壱文も残らぬ身代、田舎より

着続けの布子の袖、綿が出ても洗濯の気をつけるものもなく、是はあまりなるくらし

と、近所の削り友達が打ち寄って、さるお屋鋪におすえ奉公勤めし女、年重なるを

媒して、弥次郎兵衛にあてがえば、破鍋に綴じ蓋が出来てより、狼の口開いたような

ふくろびもふさぎてやり、諸事手健も人仕事などして、弥次郎を大事にかくる様子、

此の女房の奇特なる心ざしに、弥次郎夜もはやく寝て、随分機嫌をとりくらしける。
 
参考文献
 
  東海道中膝栗毛 岩波文庫
 
 
(三)五輪の書を音読しよう。
 
著者 宮本武蔵
 
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他流に目付けと云うこと。
 
目付けといいて、其の流により、敵の太刀に目を付くるもあり。

亦は手に目を付る流もあり。或いは顔に目を付け、或いは足などに目を付る

もあり。其のごとく、とりわけて目をつけむとしては、まぎるる心ありて、

兵法のやまひと云う物になるなり。

其の仔細は、鞠をける人は、まりによく目を付けねども、ひんすりをけ、

おいまりをしながしても、けまわりても、ける事、物になるるとゆふ所あれば、

確かに目に見るに及ばず。又ほうかなどするもののわざにも、其の道になれては

戸びらを鼻にたて、刀をいく腰もたまなどにする事、是皆確かに目付とはなけれ

ども、不断手にふれぬれば、おのづから見ゆる所也。

兵法の道においても、其敵其敵としなれ、人の心の軽重を覚え、道をおこない得て

は、太刀の遠近遅速迄もみな見ゆる儀也。

兵法の目付けは大形其の人の心に付たる眼也。

大分の兵法に到りても、其の敵の人数の位に付けたる眼也。

観見二つの見よう、観の目強くして敵の心を見、其の場の位を見、大きに目を付て

其の戦のけいきを見、其のおりふしの強弱を見て、まさしく勝つ事を得る事専也。

大小兵法において、ちいさく目を付ける事なし。前にも記す如く、濃やかにちいさく

目を付けるによって、大きなる事をとりわすれ、まよふ心出できて、確かなる勝ちを

ぬがすもの也。此の利能々吟味して鍛錬有るべき也。
 
参考文献
 
  武道秘伝書  徳間書店
 

 

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