古典を音読しょうNO,74

                                                              

 
 目次ページ  前ページ  次ページ
(一)中国と韓国はどうして反日を行うのか。      2014.10.20
   
   読み上げ音声<<クリック
 
中国共産党は日本とは戦ったことはないのであります。戦ったのは将介石が率いる国

民党軍であり、毛沢東共産党軍は山奥に籠もって雲隠れしていたのであります。

韓国は日本に併合されており第二次大戦では日本軍に入っており韓国は日本と戦って

おりません。 韓国の若者は朝鮮戦争を日本と戦ったと思っている者もいるほど歴史

に無知であります。 戦ったことない内に日本が第二次大戦でアメリカに敗戦してし

まいました。
 
敗戦した国家に植民地にされていたという過去の歴史を事実から消すためには、反日

を行う以外に国家の面目を保てない状態におかれたことは事実でありましょう。

事実を消すためには嘘を捏造すれば過去の事実が消すことができ嘘が真実になると

いう考えがこの二国のまやかし頭脳であります。戦後30年経てばGDP2位に日本

がのし上がっていくと益々二国の面目は立たなくなり一時は沈黙をせざるを得なくな

り援助を求める状況になりました。 所が少し国家の経済が安定してくると歴史の捏

造に輪をかけて責めてくる癖が出始めて難癖をつけてくるのがニ国家の習慣(悪癖)

で有ります。

それは反日の教育のために人民を納得させるためには反日の言動をしていないと自分

の地位が保てないのであります。

現在の習近平主席、パク・クネ大統領は共に反日を掲げている以上は日本の首脳と会

うと同時に批判の的となり国内を指揮する力を削ぐことになりかねない状態になり

ます。
 
日本首脳とあったら自らの権力を失うことを決定づけられた位置にいるのであり

ます。これは自ら作った罠でありその罠にはまることは命を取られることに繋がっ

ています。
 
金大中が1998年に韓国の財政危機の際には親日政策をとっていたから日本は支援

したが今回の韓国財政危機になっても反日政策のパク政権には一切支援はできない。

自分の失敗は自分で処理することになるのであろう。
 
中国は100箇所以上の鬼城都市を建設した結果でバブルは完全に破綻しているのは

確かであるがこの破壊がすべての都市で破綻が表面化してしまえば習体制が崩壊して

しまう、それは命を失うことを意味している。
 
中韓は今の地位を失えば亡命するか、命を失うかどちらかである、中国は10年、韓

国は5年間は其の地位を維持しなければならない。
 
中国は空気環境は最悪、水環境も最悪、食物衛生は水、空気悪化で国内では生産最悪

このまま共産党政権では改良、改善は無理、国内では人間の生活はできない土地であ

るために陸、海を広げる以外に道はないことで近隣諸国のきれいな土地、海を侵略

する戦略をおしすすめていくで有りましょう。
 
 
  注記)国民党軍:蔣介石は第二次戦争後毛択東軍と戦い台湾に追われる。
     共産党軍の下部に中国、国家が存在しています。
 
(ニ)枕草子を音読しよう。

枕草子 清少納言作 平安時代の歌人
 
   音読音声<<クリック
 
上にさぶらふ御猫は

かうぶりにて命婦おとどとて、いみじうをかしければ、かしづかせたまふが、端に

いでて臥したるに、乳母の馬の命婦、あなまさなや。入りたまへ。と呼ぶに、日の

さし入りたるに、ねぶりて えたるを、おどすとて、翁丸、いづら。命婦のおとど

食え。と言うに、まことかとて、しれものは走りかかりたれば、おびえ惑いて御簾

の内に入りぬ。

朝餉の間に、上おはしますに、ご覧じていみじう

驚かせたまふ。猫の御ふところに入れさせたまひて、男ども召せば、蔵人忠隆、

なりなか参りたれば、この翁丸打ち調じて、犬島へつかはせ。

ただ今と仰せらるれば、集まり狩り騒ぐ。馬の命婦をもさいなみて、乳母替えてむ。

いと後ろめたし。と仰せらるれば、御前にも出でず。犬は狩りいでて、滝口などして

追いつかはしつ。あわれ、いみじうゆるぎありきつるものを。
 
三月三日、頭の弁の柳かづらせさせ、桃の花をかざしにささせ、桃腰にさしなどして

ありかせたまへし折、かかる目見むとは思はざりけむ。などあわれがる。

お膳の折は、必ず向かいさぶらふに、さうざうしうこそあれ。など言いて、三、四日

になりぬる昼つ方、犬いみじう鳴く声のすれば、何ぞの犬のかく久しう鳴くにかあら

むと聞くに、よろづの犬 訪い見に行く。
 
参考文献

枕草子 角川文庫
 
 
(三)五輪書を音読しよう。
   五輪書 宮本武蔵
 
  音読音声<<クリック
 
 兵法、心持の事。

兵法の道におゐて、心の持様は、

常の心に替る事なかれ。

常にも兵法のときにも、少も替らずして、

心を廣く直にして、

きつくひつぱらず、すこしもたるまず、

心のかたよらぬやうに、心をまん中に置て、

心を静にゆるがせて、其ゆるぎのせつなも、

ゆるぎやまぬやうに、能々吟味すべし。

静なるときも、こゝろはしづかならず、

何と早き時も、心は少もはやからず。

心は躰につれず、躰は心につれず、

心に用心して、身には用心をせず。

心のたらぬ事なくして、心を少もあまらせず、

上の心はよわくとも、底の心を強く、

心を人に見分けられざる様にして、

少身なるものは、心に大なる事を残らず知り、

大身なるものは、心にちいさき事を能知りて、

大身も小身も、心を直にして、我身の

ひいきをせざる様に、心をもつ事肝要也。

心の内にごらず、廣くして、

廣き所に智恵をおくべき也。

智恵も心も、ひたとみがく事専也。

智恵をとぎ、天下の利非をわきまへ、

物毎の善悪をしり、

万の藝能、其道々をわたり、

世間の人にすこしもだまされざるやうにして、

後、兵法の智恵となる心也。

兵法の智恵におゐて、

とりわきちがふ事、有もの也。

戦の場、万事せわしき時なりとも、

兵法、道理を極め、うごきなき心、

能々吟味すべし。
 
 
参考文献

五輪書 兵頭二十八 新紀元社
 

inserted by FC2 system