古典を音読しょうNO,77

                                                              

 
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(一)日本ーアジア唯一のノーベル賞多数受賞者を輩出する理由       2014.11.20
 
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この季節になると日本人がノーベル賞を受賞する話題が花盛りになります、今年は

青色発光ダイオードのLED発明で3人の受賞者が発表されました。

いつものノーベル賞対象の技術は生活には余り関係のない発明でありましたが今回

は生活上で目立つ、テレビ、スマートフォーン、信号機、電球などが美しく、長期

間寿命で数分の一の電力消費で世界に貢献したものに対象になったことで世界の

人々もこの発明が世界で役立っているので身近に感じられた一件であろうと確信

しました。
 
このように誇り高い発明を自然、科学の分野で日本人が多く選出されるのはどうい

う理由があるのでしょうか。改めて考えてみたいと思います。
 
A、江戸時代から数学が一般の人たちが関心を持ち学習に熱心であったこと。

  寺子屋の数学書、塵劫記が江戸初期に全国に配布されて数学を教え行脚して職業

 とする学者が存在したこと、俳句行脚の松尾芭蕉のように数学を教える者が日本

 の地方周遊するほど、農民、工人、商人には数学を学ぶ人たちが大勢いたのです
 
B、日本語が左脳言語であること。

 外国語はすべて右脳言語であり、左脳が発達して軽薄短小の技術が発達して他国に

 できない技術に秀でていること。
 
C、江戸末期から明治維新において日本語の熟語20万個が考え出されて外国語を

 日本語に完璧に翻訳できる態勢が整ったこと。
 
D、鉄工、木工の匠の技術が江戸時代から優秀であったこと。

 日本刀の匠、神社仏閣を建設する匠と近代的な技術の基礎が出来上がっていた事。
 
E、江戸幕末から寺子屋制度が発達して子供教育に熱心であったこと。

 ペリー一行の随行員が城の前の掲示板を見ている子供たち、村人たちが連絡内容

 を読んでいる姿を見て識字率の高いことを把握したそうである。
 
だいたいこれらの5つが考え出されます、益川敏英氏はノーベル賞授賞式に英語を話

せないと話題になりました。アジア人は自然科学、西洋の学習はすべて仏、独、英語

で小学校から教わります、従ってノーベル賞を取る人が英語を話せないとは信じられ

ないと思ったのです。アジア諸国は西洋の学問を習うためには外国語で習う以外に

学習する手段がないのです。 アジア諸国では西洋の学問用語は自国語には該当する

言語がないのです。

日本では明治時代に独、仏、英語を日本語に翻訳作業を必死に大学生が行い20万語

の熟語が新たに作成されて天文学、数学、政治学、軍事学、科学物理等あらゆる分野

の学問であっても日本語で学ぶことができることで外国語を使用しなくとも不便を感

じなかったのです。

ドイツ、フランスは合せて人口が1億4千万人でノーベル賞を250人受賞している

そうです。22人の日本人は後10倍の受賞者がいて始めて優秀な国民だと思われる

のであります。 其の為にはもっと外国語を話すこと必要であると思われます。
 
 
(ニ)勝海舟全集を音読しよう。
 
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(嘉永六年にペリーがやってきて、さすがの幕府も海防体制確立の必要性を痛感し、

まず有志者や豪商から資金を集めようとしたが、はかばかしくない。そこで此れまで

の軍政を改めることで切ぬ抜けようとするのだが、具体的な改革案も作られないまま

に年月を経過していたので、直ぐに続いて海舟が出て各地の富豪に課し、その献金を

促すに至る)
 
冨商に献金を諭す

丑八月

御代官へ申し渡しの覚え

外冦の義は国家の大患に候ところ、近来異国舟たびたび渡来、その次第により候ては

安危にも拘わり候義につき、西の丸御普請を始め、臨時の御出し方相続き候折柄には

候へども、莫大の御入費ををも厭わせられず、内海へ厳重に御台場御取立て仰せ出さ

れ、なほ追々御処置の次第もこ此れあり候つもり、国家の安危は四民の憂いにて、

武家は武備一図に力を用い申すべき旨仰せ出され、農工商の義は別段御沙汰もこれ

なく候へども、防御筋においては四民共力を尽くし申すべき義につき、御料所村々の

うちにも右体、容易ならざる筋を会得いたし、かつは昇平ニ百年来の御恩沢に浴し、

御備え筋御入用内へ上納相願い内存の者もこれあるべくや。

左候はば前書の次第はもちろん、西の丸御普請につきても格別下々を厭わせられ、

いささかの御用金も仰せつけられざる厚き御仁恵の程もとくと相聞かせ、銘々力の

及び候だけ、身分に応じ、右御入用の内へ上納いたすべき旨、穏やかによくよく申し

諭し、もっとも、強いて上金申し達し候ことに相成らざる様いたざるべく候。

右は、伊勢守殿御沙汰に候事。
 
参考文献

勝海舟全集 9 海軍歴史  講談社  
 
 
(三)語猛字義を音読しよう。

著者
伊藤仁斎(1627〜1705)江戸時代の儒学思想学者
 
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理  凡五条(2)

楽記に「天理人欲」の言有りと雖も、然れども本老子に出でて、聖人の言に非ず。

象山の陸氏之を弁ずること明らかなり。 象山の陸氏の曰く。「天理人欲の言、亦

自ずから是れ至論ならず。若し天は是理人は是れ欲なるときは、則ち是れ天人同じ

からず。此れ其の原蓋し老子に出づ。 楽記に曰く。『人生まれた静かなるは、天

の性也。物に感じて動くは、性の欲也。物至り知知って、而る後好悪形る。

身に反すること能はず、天理滅ぶ」と。天理人欲の言、蓋し此に出づ。楽記の言、

亦老子に根づく」
聖人毎に道の字を以て言を為して、理の字に及ぶ者は甚だ稀なり。

後世の儒者の若き、若し理の字を捨つるときは、則ち以て言う可き者無し。

其の聖人と相齟齬する所以の者は何ぞや。 曰く。「後世儒者は専ら議論を以て

主と為て、徳行を以て本と為ず。 其の勢い自ずから然らざること能わず。

且つ理を以って主と為るときは、則ち必ず禅壮に帰す」蓋し道は行う所を以て言う、

活字也。理は存する所を以て言う、死字也。聖人は道を見ることや実、故に其の理を

説くや活す。老子は道をみることや虚。

故に其の理を説くや死す。聖人毎に天道と曰い天命と曰うて、未だ嘗て天理と

曰わず。

人道と曰い人性と曰うて、未だ嘗て人理と曰わず。唯荘子屡理の字を言うて、其の

多きに勝えず。 彼蓋し虚無を以て其の道為るが故也。 所以に詞を措くこと自ず

から此の如くならざること能わず。 吾故に曰く。「後世の儒者理を以て主と為る

者は、其の本老子より来るが為也。」
 
参考文献

日本の思想11 語猛字義  伊藤仁斎著
 
 
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